第一話 始動
陽光が差し込む庭園。小鳥がさえずり、柔らかい風が吹く。穏やかな場所だった。
その庭園の中心にある、大きな池を前に、少年と少女が語らっている。恋人のデートスポットにはうってつけの場所だったが、二人の纏う雰囲気はそんなに甘いものではなかった。
「騎士団をクビになったのか?」
少女が言った。長い銀の髪に切れ長の瞳。その流麗な動作から、彼女の育ちの良さがわかる。
「仕方がないだろう。ゴーレムを壊しすぎたんだ。
"来訪者"に嫌な物を見せたくないんだよ」
少女の隣に座っている少年がそう言った。池の中を泳いでいる魚に、パン屑を放っている。ついさっき職を失ったばかりだというのに、思い詰めた様子は見られない。小銭を落とした程度の悲壮感しか持っていないようだった。
「これから何をして生きていくんだ」
「さあな。どうにかなるだろ。国境の近くまでいけば、働き口には困らない」
少年が立ち上がる。彼の腰には、騎士の証である剣が無い。少女はその事実から目を背けるように後ろを向いた。
「生きてれば、またどこかで会えるさ」
「おい──」
「じゃあな。クレア」
少年が放った言葉は再会を約束するものだったが、それは酷く空虚に聞こえた。
去っていく彼の背中を見つめ、少女は呟く。
「"またな"だろう。……馬鹿者め」
[アルメイア王国首都・トライドツリー]
時は戻り、二週間前。アルメイア王国では年に一度、冬が終わる頃に国立学院の入学式が行われる。
会場の中を一回りしていたクレアは一○回目の誕生日を迎えた少年少女達を眺め、目を細めた。慈しむような、懐かしむような、そんな表情だ。
彼女も五年前、その式に参加していた。無論、入学生として。幼い頃から規格外の素養に恵まれていたクレアは、入学生代表として、一番前の列でふんぞり返っていた。
競争相手などおらず、学校での生活など面倒な儀式だと思っていた。いま思い返すと頬が赤くなる。若気の至りというやつだ。
昔を振り返りながら、クレアは指定された席に腰を降ろした。一息ついて、周りを見渡す。
重厚な白壁には染み一つ無く、床には血のように赤い絨毯が入り口から壇上まで続いている。普段はスタジアムとして使われているので非常に広い。観客席も三階まである。一週間も前から準備されていたこともあって、万全の状態のようだ。
「おお、間に合ったか」
クレアが感嘆の思いでいると、誰かが慌ただしく隣の席に座った。
黒い髪が揺れ、蒼い瞳がキョロキョロと忙しなく動いている。周囲を警戒しているようだ。銀装飾の施された黒い服は、少しくたびれているように見えた。
シルヴァ・ウィンチェスター。彼もまた、五年前の入学式に参加していた者の一人だった。
そんなシルヴァの様子に、クレアは苛立たしげに息を吐いた。
「顔が赤かったぞ? まさか、入学生相手に欲情してたんじゃないだろうな」
シルヴァの一言は最低だった。情緒を壊され、クレアは俯く。
「やめておいた方がいい。いくらお前でも、犯罪者の烙印からは逃れられないだろうからな」
シルヴァの言葉は止まらない。べらべらと誤解を広げていく。クレアの対応は早かった。右腕が唸り、最低野郎の鳩尾に裏拳が突き刺さる。悲鳴もあげず、シルヴァは床に崩れ落ちた。
「お前という奴は……!」
この男はいつもこうだ。五年前の入学式、ふんぞり返っていたクレアのプライドを叩き折ったのもシルヴァだった。
一分近く倒れていたシルヴァはよろよろと立ち上がり、再び椅子に腰を下ろした。古い木製の椅子がギシリと鳴って、騎士の証である剣がカチャカチャと音をたてる。
「西の方まで行ってきたんだろう?」
気を取り直してクレアが言う。シルヴァは昨日まで大量発生した魔物の討伐に赴いていたはずだった。
「ああ。"オーガ"を六体くらい殺ったかな」
「……六体も出たのか?」
クレアの問いに、シルヴァはコクリと頷いた。西方のアイガー平原は魔物が多い事で有名だったが、オーガが六体も出たとなると、ほとんど異常事態だ。
「村が一つ潰れてたよ。それでも王宮の連中は大喜びだったがな」
「……そうか。お前以外にも誰か行ったのだろう? そっちは?」
「いや、俺一人だけだ」
クレアは驚きに目を見開いた。オーガの、それも六体もの同時出現ともなれば、一個中隊規模の戦力は必要なはず。それをシルヴァ一人でなど、死にに行けと言っているようなものだ。
騎士団内での彼の立場が如実にわかる。クレアは沈痛な面持ちで、
「今からでも遅くない。命令には従え。このままだと、本当に騎士団を追われるぞ」
「普通になれってか? 無理だよ。それは今までの経験でわかりきってる」
「シルヴァ……」
「式が始まるぞ。静かにしろ」
咎めるでもなくシルヴァが言う。思えば、この時既にクレアの中には妙な危機感があった。だが、それを指摘する事はしない。危機感と共に、恐怖心もあったからだ。彼女が不承不承、口をつぐむと明かりが消え、会場の扉が開く。
お決まりの音楽と共に入学生が列を成して入って来る。一様に緊張している様子だった。それを見て、クレア達の後ろにいる騎士達がひそひそと小声で言葉を交わす。品定めのようなものだ。
学院の入学生。すなわち未来の騎士。近い将来、国家の軍事力を支える重要な子供達なのである。当然、出席者から豊作だの不作だのの評価も──嫌な話ではあるが──下される。
そんな大人達の事情も知らない入学生の子供達は、緊張に顔を紅潮させる者、周囲を見回したい欲求を懸命に抑えている者、冷静沈着を装う者。実に多様な表情を浮かべている。
この学院は国立というだけあって、国内でも極めて優秀な成績を納めた者のみが入学を許可される。
教育過程は人や専攻する科目によって様々だが、卒業までには最低で三年はかかる仕組みだ。
とは言うものの、そんな者などほとんどいない。五年に一度現れれば良い方で、普通の生徒は年齢が倍の数になるまで在校生として過ごす事になる。
反対に、三年で卒業した者には"トライスター"勲章と相応の地位が与えられる。そうなれば、騎士としての未来は約束されたも同然だ。
事実、現在のアルメイア軍の首脳陣は、そのトライスター勲章を持つ者がほとんどである。有能な人材は早期に囲い入れるのがアルメイア王国の特徴だった。
今年はトライスター受勲者はいないらしい。特におかしい事ではないが、上役達は残念がっていた。"不作"だということだ。
「…………」
クレアは眉を寄せる。彼女はどうも、その手の話題が嫌いだった。未来に目を輝かせている子供に豊作、不作などとレッテルを貼る行為。それは酷く下品な事に思えた。
それでもクレアが苦言を呈せないのは、彼女もまたトライスターの勲章を持つ者だからだ。そんな人間が何かを言ったところで、普通の人間は耳を貸さないだろう。偽善者呼ばわりされるだけだ。
クレアは自らの不甲斐なさを振り切るように瞑目する。眉間にしわが出来た。その彼女の膝を、隣のシルヴァがトントンと叩く。
「……なんだ」
さっき静かにしろと言ったのはお前じゃないか。クレアは非難の目を向けた。
「そろそろ出番じゃないのか?」
小声で言われて、クレアはハッとした。慌てて懐にしまったはずの羊皮紙を探す。
彼女には代表として入学生に挨拶するという仕事があった。台詞は暗記しているが、こういう場合は台本が手元にないと不安になる。
騎士団長からの訓辞が終わり、クレアの名前が呼ばれる。羊皮紙は──無かった。無くしたらしい。絶望的な表情でクレアは壇上へと歩を進める。
超大国家アルメイアの第一騎士──世界最強の称号を持つ少女は、青白い顔でひきつった挨拶を始めた。