6ー2
荒野を<グローリー>が走っていた。風を切り裂き、大地を踏みしめる。体勢を低くし、足に力を込めた。
跳躍。
一瞬で地面が離れ──また迫ってくる。重力というものを感じながら着地した。二○メートル近い高さから落下しても、ゴーレムの脚はびくともしない。
だいぶ慣れてきた。来希が自分の動きに満足しながら息を吐くと、器体もそれに呼応して籠もっていた熱を排気する。
準備運動は終わり。距離感も掴めてきたし、触覚がないことにも慣れてきた。来希は<グローリー>の腰にマウントされていた鉄製のロッドを取り出した。
一メートル余りと短い物だったが、来希の魔力を感知して伸びた。携帯性を考慮した伸縮式なのだ。この状態になれば長さは三メートルにも及ぶ。
人が使用する魔法杖をゴーレムの規格に合わせた物だ。放出する魔力を扱いやすくするための武器で、主に中距離戦闘で用いられる。
魔法の杖といえば、木を削り出した物をイメージするが、これは鈍い光を放っていた。確かにゴーレムが使う物が木製というのも問題があると思うが、来希としてはしっくり来ない。
気を取り直し、来希は遠くに設置された的にロッドを向ける。距離は一五○メートルほどだろうか。かなり遠い。
魔力を注入。ロッドは上に掲げるのではなく、先端を目標に向け、反対側を脇に挟む体勢で構えた。
先端部の宝石が淡い光を纏い、その光は炎に変じた。今まで魔法を投球のようなフォームで使用していた来希は微妙に混乱しながら、ロッドの魔力を解放する。
僅かな反動と共に光が奔り、荒野に一本の赤い線が刻まれた。だが、狙いが甘い。的の遥か右を通り、彼方へ。外れてしまった。
一○○メートル以上もあっては、少しの誤差が命取りになる。おそらく銃なども同じだろう。
エアガンで空き缶を撃った程度の経験しかない来希には、一発必中など夢のまた夢なのである。
『初めてでこれは上出来です。もう一度いきましょう』
リエリアの声が聞こえる。それは励ましの言葉だったが、来希は不機嫌な口振りで、
「どうせ、リエリアは最初から出来てたんだろ?」
『そ、それは……』
図星らしい。顔は見えないが、リエリアが困っているのが分かった。
「ごめんね。情けない勇者で」
出来るだけ悲しみを込めた声で言った。<グローリー>が右腕を顔面まで持っていく。泣いているような動作だった。
『ラ、ライキ殿は良くやってくれていますよ?』
卑屈になっているわけではない。距離をとられたショックからは立ち直れていないが、リエリアの慌てた声を聞いて溜飲が下がるのを感じた。
この一ヶ月ちょっとで来希は自分の器がどれだけ小さいのか、自覚できるまでになっていた。
『……私をからかっていますね?』
突然、リエリアの冷えた声が耳に飛び込んできた。来希の頭は混乱の波に攫われる。そんな中、恐怖が心に満ちてきた。耳元で囁かれているため、非常に怖い。
(なぜバレた……?)
自分の演技に自信があったわけではないが、成功の感触は確かにあった。リエリアは意外と騙し易いのだ。それが、こうも──
『私の知人に似たような手を使う男がいます。そいつはどうしようもないクズでしたが、他人を困らせる事に関しては右に出る者はいませんでした』
どうしようもないクズなどという単語は初めて聞いた。これほどに悪意が籠もっている言葉もないだろう。リエリアの口調からして、その男から多大な迷惑を被っていた事が予想できた。
『男というのはどうして、こう……』
違う。誤解だ。来希はそう思った。困らせたかった事は認めるが、それは悪意から来たものではない。
男とは得てして異性を困らせたがる生き物なのだ。だからスカート捲りなどという遊びが流行った。一種のスキンシップ、コミュニケーションなのだ。
それをこうも悪い方向に受け取られては、後に禍根を残してしまうことになる。来希は真実を伝えたかったが、語弊なく説明するには経験もボキャブラリーも少なすぎた。
(なんてことだ……)
来希は自らの伝達力不足を呪った。このままでは、リエリアが深刻な男性不信に陥ってしまう。その結果は明らかだ。
廊下ですれ違う男を憎悪に満ちた目で睨み、匂いすらも忌むようになる。仕舞いにはその権力を使って徹底的に男を排除しようとするのだ。そしてアルメイアから男が一人もいなくなり、緩やかな破滅が始まる。
来希の突出した妄想力は暗澹たる未来を導きだした。
「リエリア。話を聞いてく──」
『訓練を再開しましょう。的を一発で射抜けるようになるまで、ゴーレムからは降ろしませんので──』
「え、リエリア? ちょっ」
「──そのつもりで」
リエリアとの交信が断たれる。なんということだ、と来希は思った。すでに終焉への序曲は始まっている。
反省の兆しも見せず、彼ははゴーレムの操縦に集中した。
◇
場所は騎士団の有するヘルトロイト支部。辺りを一通り見回ってみたが、怪しい人影はない。どうしようもないクズ──シルヴァ・ウィンチェスターは蒼い瞳を不満げに細めた。
「テロリストってのは馬鹿な生き物だと思ってたんだがな……」
往々にして、テロリストの集まった組織は一人のカリスマによって統率されている場合が多い。
個人個人が苛立ちや不満、それに複雑な事情を抱えている場合がほとんどのため、リーダーシップを発揮できる人物がいないと空中分解してしまうのだ。
そして、成功したテログループほど、強いカリスマを持つ者に心酔していく。次第に動きは洗練され、正規軍でも手を焼くようになる。
反面、その指導者がいなければ烏合の衆も同然だ。今回の件でシルヴァが危険な連中を無力化できたのは、相手の連携に厚みがなかったからだろう。
誰かの能力に依存しなければ、作戦一つ満足に成功させられない。ある程度の訓練を受けた者が集まれば、大抵の事はできるというのに。自らの技能で得た勝利を他人の名誉にして──だから馬鹿なのである。
「あれは……」
二体の<グローリー>によって倉庫に一体のゴーレムが運び込まれていく。アルメイア製の物ではない。もっと無骨なフォルムの器体だった。
「……<セイブ>か」
<セイブ>とは東側諸国が運用するゴーレムの名称である。元は民間で製作された器体のため、コアの出力や部品の材質では<グローリー>に劣るが、長所も多い。
様々な所に流れているせいか、非正規組織も大量に所有しており、テロリストや傭兵、盗賊など、ろくでなしが愛用している器体でもあった。シルヴァも何回か乗ったことがある。
おそらく、テロリスト三人組から押収した器体だろう。確保をしたにはしたが、魔物の大量発生で対応は後回しにされていたのだ。
解体されたら困るが──きっとそれはない。<セイブ>は<グローリー>より維持費が掛からず、整備性も良好だ。作業用に回されるか、ギルドに売り付けるか、そのどちらかの可能性が高い。
大きな手押し車を一体の<グローリー>が引き、もう一体が後ろから押していた。ガラガラとやかましい音を撒き散らしながら、<セイブ>の姿が遠ざかっていく。
その行方を目で追っていたシルヴァは、久しぶりにゴーレムを乗り回したい衝動に駆られた。
そんな自分に呆れ、肩を竦める。これでは惨めな気分になる一歩だ。逃げるようにその場を後にする。
顔も知らない同僚が大勢死んでいた横で魔物を倒していたので、金銭には大きな余裕が生まれた。さすがにゴーレムは買えないが、しばらくは遊んで暮らせる額だった。
魔物も現れなくなり、もう少しすれば請け負っている仕事にも終わりがくる。そうなれば、いよいよ傭兵部隊へ加入しなければならない。
新しい環境に対する不安。なんだが、入学式の前後の時など、こういう心境になる……のだという。
あいにくと、国立学院に入学した時はそんな感傷に浸る余裕はなかったので、これは新鮮な気分だった。
なにせ、知り合いなど眼鏡の彼女くらいしかいない。普段は厚顔無恥なシルヴァだが、人並みに気まずさなどは感じる。
もし、環境に適応できなかったらどうしよう……?
生まれた不安が大きくなっていく。ストレスは無視できない問題だ。頭髪に影響が出たら泣いてしまうし、肌が荒れたら困る。内臓も危険に晒されることになるだろう。
食欲が失せ、食事を楽しめなくなるかもしれない。
眼鏡の彼女にしても、知り合いと言ったら語弊があるように思える。名前すら知らないのだ。
なにより、彼女は他人が苦しんでいるのを見ることに無上の喜びを感じる類いの、最低な人間である。とても信用できなかった。
ブーメラン、という単語が脳裏をよぎるが、シルヴァはそれを無視した。
(どうする……?)
今やテロリストなどより、こちらの方が重大な問題となっていた。就職先に関しての情報の不足が、不安を増大させる。今のシルヴァはとても困っていた。
額に汗が滲む。いまさら契約を先延ばしにも出来ない。仮にキャンセルなどしたら、眼鏡の彼女はシルヴァを許さないだろう。危険な呪術を用いてくるかもしれない。
<ライン・ラーク>への搭乗を勧める彼女からは、言い知れぬ熱意が伝わってきた。本当に自分以外、乗り手がいないことが分かったからこそ、シルヴァも承諾(口約束ではあるが)したのだ。無下になど出来るはずもない。
これが社会の荒波だ。
それに真っ正面から立ち向かう時が来たのだろう。シルヴァは馬鹿な決意を固め、酒場へと歩きだした。