第六話 白いゴーレム
この大陸の中心には、世界樹という大きな大きな樹木がある。世界樹は大陸中にマナを撒き、人々はそれを使って生活を豊かなものとしていた。
しかし、マナが豊富な国とそうでない国の間で格差が広がり、それは国際関係に軋轢を生じさせている。
アルメイア王国はマナの豊かな土地を中心に発展してきたので、飢餓や疫病を心配しなくていい。だが、他の国は違う。
魔物に怯え、開拓もままならない。魔法の恩恵も受けられないのだ。そこにアルメイアの高圧的な態度である。不満が出るのも当たり前だった。
「……ふーむ」
遥か彼方にそびえる世界樹を眺めながら、来希は唸った。こんなに距離があるのに、その姿ははっきりと確認できる。距離感が狂ってしまいそうだ。
緑の葉が巨大な雲のようになって太い幹の上に乗っかっている。威圧感もあるが、その姿はどこまでも美しかった。自然のもの特有の美しさだ。
虹が出た時や、雪が降った時にこういう気分になる。
(マイナスイオンとか凄そうだな……)
どこかズレた思考でそんな事を考える。同時に複雑な気持ちでもあった。あんな凄い物でも、一人はそれを巡って争ってしまう。
世界樹がどんなに重要な物でも、来希には大きな木にしか見えない。異世界から来た者特有の捉え方なのだろう。実際に、この世界の人々は、その木を神のように崇めている、
世界樹とは神であり、貴重なエネルギー原なのだ。
「悲しいよな。なんか」
しんみりとした来希の言葉に、後ろで控えていたリエリアも頷く。魔物の大量発生が収束したらしく、彼女も通常の仕事に戻っていた。
来希としては、リエリアに体を休めてもらいたいのだが、彼女は厳しい表情を崩さない。まだ何か危険な事が待っているような、そんな態度だ。
近々、勇者の召喚を祝う正式な式典があるらしく、今はその準備が進められている。
来希はもう一度、大樹に視線を移した。
世界樹にはもう一つの顔がある。大陸中に張り巡らされた根だ。そこを通って魔物が現れるらしい。仕組みは分からないが、土の中から出てくるのにはそういう理由があるのだという。
「魔物は生物のように見えて、実は違います」
「死んだ時、灰になるから?」
「はい。より正確に言えば、魔物の本体は固体の形ではなく、一種のエネルギーだと考えられています」
「ちょっと、よく分からないな」
来希は首を傾げる。自分を襲ってきた小人の本体が、実体を持たないエネルギー体だと言われても、ピンとこない。
「魔物を倒した際に石が残されるのはご存じでしょう?」
「それは……って、まさか──」
「はい。あれは魔物の本体を固体化させた物です」
(マジか……)
とても信じられない。敵の魂を石に変えているなど。まさにファンタジーである。だが、そんな思いと共に、危機感も湧いてくる。
「それって危なくないの? 元は凶暴な魔物なんだろ?」
突然その石が襲ってくるのではないか。それでなくとも呪われたりしそうだ。
「危険はありません。元は、倒した魔物の魂を再利用させないための技術でしたので」
「でも、売れば高い金になるんだろ?」
「高い力を内包しているのが分かったため、今では多くの物に魔石が使用されています」
家具や武器、水道や灯り。生活に欠かせない存在だ。ゴーレムのコアも、魔石を圧縮し、特殊な加工を施した物である。
そんなリエリアの話に、来希はただ顔を引きつらせることしかできない。
「あ、そういえば……」
ゴーレムという単語を聞いて思い出した。あの白い、一本角のゴーレム。あれが秘匿されている倉庫に無断で入ってしまった事を、リエリアに伝えていない。
「あのさ、リエリア」
「なんでしょうか」
「あっちの方にも大きな倉庫があるじゃない?」
来希は問題の起こった倉庫を指差す。おそらく叱られるだろう。また幻滅される。少しの恐怖症が芽生えたが、あのゴーレムの正体を知りたいという気持ちもあった。
「あの倉庫にさ、入っちゃったんだ」
「はぁ……」
「え? それだけ?」
リエリアの表情に変化は見られない。それがどうしたとでも言いたげな顔だ。それを見て、逆に来希が眉を寄せた。
「怒らないの? いつもみたいに」
「怒りません。というか、私はそんなに怒っていないでしょう?」
リエリアは僅かにむっとする。どうやら怒っているという自覚がなかったらしい。
「でも、勝手に入ったんだし……」
またこの感覚だ。自分の周りの状況が把握できていない。唸る来希を一瞥し、リエリアはふむと呟いた。
「あの倉庫は、ライキ殿の物です」
「えっ?」
そんな話は聞いていない。いや、そんなことはどうでもいい。大事なのは、あの倉庫が自分の物だということだ。つまりは、あの白いゴーレムも──
「それじゃあ、あ、あの白いゴーレムも!?」
リエリアの両肩をガシッと掴み、問いかける。来希の顔は興奮で紅潮し、鼻息も荒くなっていた。傍から見れば、完全に危険な人物である。
だが、来希の脳はあの白いゴーレムが自分の物になるかもしれないという事実でいっぱいだった。
そうだ。ずっと想っていた。これは愛情。あの優雅な姿に、来希は魅了されていた。神秘的な雰囲気。しなやかで力強い四肢。そしてあの鷹の目のように鋭いツインアイ。天に向かって伸びる一本角。
どれも最高だ。
「ラ、ライキ殿……?」
気が付けば、ドン引きした様子のリエリアがこちらを見ていた。来希は何故か失恋にも似た気分になる。
失恋などしたことが無いのに。
この一瞬で来希は全ての力を失った。足が仕事を放棄し、膝が地面と挨拶する。あの興奮状態から一転、今の心境といったら。
冷や水をぶっかけられたというレベルではない。形容できないほどに深刻な状態だった。
「ライキ殿……?」
リエリアとの距離が少し開けている。一歩程度だろうか。目測ではそれだけでも、心の距離は違う。
映画を見ている最中、隣にいる女の子の手を握ろうとしたら、逃げるように彼女の手が逃げていったような──
そんな経験など無いというのに、来希は絶望的な気分になった。
もう駄目だ。
そう思った。
◇
魔物の襲撃を乗り切ったヘルトロイトの街は、活気を取り戻していた。避難勧告は発令されたものの、街自体に被害は無く、人々は世間話のネタにしているほどだ。
緊張が解かれた後の弛んだ空気。それが許せない。そうやって何もかも忘れていくのだ。"この国"の人間は。
人知れず舌打ちをして、少女は大通りから離れる。このまま連中の様子を見続けていたら、暴れだしてしまいそうだった。
水色の髪にスラリとした体躯、細く整った顔。少女は特徴的な容姿をしていた。暗い路地にたむろしている男達が、場違いなものを見るような目で見てくる。
少女は苛立ちを押し殺し、澄ました顔を保つように努めた。
一人が口笛を吹き、目配せし合う。誰が最初に声をかけるか。小言で短い会議をしてから、平等を尊重したのだろう。全員で近寄ってくる。
異性にそういった視線を向けられるのは慣れっこだ。普段ならば悪い気もしないが、ここは敵地で、相手はアルメイア人。それもチンピラの類いである。
苛立ちが生まれ、それが大きくなっていく。
なにもかもが気に入らなかった。任務も、この国の空気も。
なにより、あの男だ。
シルヴァ・ウィンチェスター。
あんな低俗な男に負けるなど。歯軋りする。握った手に力が込められた。
「なあ?」
「………」
若い男が声をかけてくる。横柄な態度だ。女を下に見ている者特有の視線。しかし、少女は彼を見ていなかった。
「おいってば」
「………」
苛立ちが募る。怒りもだ。それらが混ざり合い、黒い塊となって腹の奥を重くする。
「聞いてんのかよ!?」
無視を決め込まれた男の一人が、乱暴な手つきで少女の肩を掴む。体を襲う揺れに苛立ちが増し、少女は舌打ちをした。
「あぁん? 今、舌打ちしなかったか?」
「したした。なにコイツ?」
「もしかして調子乗ってんの? ねぇ?」
三者がそれぞれ違う言葉で同じ反応を見せる。少女は無表情のまま足元に向いていた視線を戻し、
「……なに? 遊んでほしいの?」
相手の男達はニヤニヤと笑う。自分達の威圧感に少女が呑まれたと思ったのかもしれない。
少女の握ぎられた左手に魔力が籠もる。それは陽炎のように揺らめいていたが──やがて確固たる形を作った。
そうだ。まだ負けてなどいない。あの時は本気じゃなかった。負けていない。その証拠に、自分はこうして生きている。
虚ろだった少女の瞳が焦点を合わせ、体に生気が宿る。魔力が溢れ出し、辺りを染め上げた。
次は勝てる。
証明しなくてはならない。
無言で口を動かし、少女は腕を振るった。