眠りを知らぬ女王
屋敷の主は、長い眠りについた。それはそれは長い眠りで、彼女自身、眠っていることを忘れてしまうほど、気づくことがないほどに長い眠りだった。
彼女は、生まれた時から吸血鬼の女王で、物心ついた時からたくさんの下僕を従えていた。
一言命令をすれば、誰もが彼女の言うとおりに動いた。何をしても誰も怒らず、何を言っても皆にこにこと笑うだけで、黙って従った。
彼女は、そんな日々がひどくつまらなくてしょうがなかった。
そんな変わり映えせず、退屈すぎるほどの日々を過ごしていた。彼女のもとに、吸血鬼の街へ人間の幼い少年が迷い込んだという報告が上がった。人間は吸血鬼の餌だ。若ければ若いほど、幼ければ幼いほどその血は甘く、その肉は柔らかい。要するに、人間の少年は吸血鬼からすればまたとないほどのごちそうである。
人間の噂など全く流れて来ず、おまけにそれがごちそうだという情報に、興味が湧いた女王は、部下に命じて少年を王城へ招いた。決して傷一つつけるな、という勅命を出してまで。
女王の前に跪かせられ、彼女の顔を恐れに満ちた顔で見上げる少年の表情を、女王は甚く気に入った。人払いをし、謁見の間に女王と少年が二人きりになった。その時、小動物のごとく怯えていた少年は、中身が変わったかのように目つきが変わった。勢いよく立ち上がり薔薇を模した銀の杭を懐から取り出した。
あまりの変わり様に女王は虚を突かれたが、後れを取るほど脆弱ではない。彼女は、君臨するから女王ではなく、力を持つから女王なのだ。いとも簡単に少年を取り押さえ、彼の背中を踏みつけて見下ろした。
踏みつけられた状態でも、少年は抵抗のつもりで女王を睨みつけた。
こんなことは生まれて始めてで、始めは殺してやろうかと考えたが、面白みに欠けると感じてやめた。女王は自分が簡単に殺されるわけもなく、死ぬことがないとわかっていた。代わり映えのしない日々を変えたくて、女王は少年を専属の部下にしようと決めたのだ。
自分の所有の証を、と女王は少しだけ強く少年の首筋に噛みついた。口に流れた血液は熟れた果実のように甘くて女王は喜んだ。そして、少年の首筋についた噛み跡を眺めて楽しげに微笑んだ。
それから幾年の月日が経ち、少年は青年に、それも美しい顔立ちの青年に成長した。女王直々に礼儀作法も叩き込まれ、誰が見ても優雅だと感じるだろう。
だからといって、青年が女王へ刃を向けなくなったのかといえば、そんなことはない。隙を見ては、彼は女王の心臓を狙う。一瞬もためらうことなく。
そのたびに女王は踊るようにかわして、戯れるように彼の首筋から血を飲んだ。お前など脅威でもないと嘲笑うように。
女王は退屈な時間に差し込まれる、刺激的なこの時間が楽しくて仕方がなかった。日に日に青年の腕は上がっていて、そのたびに女王は笑みを深めた。女王の日々には、青年だけが刺激を与えてくれた。女王はそれが嬉しかったのだ。
しかし、成長するに連れて彼の血の味は落ちていった。それに合わせて、女王は人間の孤児を囲って育てる環境を作った。だが、それでも女王は彼のその血を飲み続けた。理由は誰も知らない。女王自身もわからなかった。
女王の耳にある情報が届いた。女王は特に驚くこともなかった。そうでなければ色々と辻褄が合わないだろう。人間の子供が吸血鬼の女王の命を狙うなど、枯れた花が再び美しく咲くことに等しく荒唐無稽なことだ。
——青年は人間で構成された暗殺組織の一員である。彼に課された役割は吸血鬼の女王を殺すこと。
その目的は不明なままだが、青年が女王を殺そうとしている理由が明白となった。青年は女王を殺すために派遣された暗殺者であった。
その情報ともう一つの情報も届いた。しかし女王はあまりに強すぎた。青年が任務を果たせないからと、青年を殺す暗殺者が送られた、と。
女王は怒った。何を理不尽に感じたのかもわからぬほど女王は怒り狂ったのだ。その様子を見ながら青年はただ目を伏せるばかりで、いつ女王の手によって首を飛ばされるのかと考えた。
怒りの静まらぬ女王に向かって、青年は自ら女王に跪き、首を差し出した。
物わかりの悪い青年に女王は余計に怒った。青年を殺す暗殺者を返り討ちにすることなど、女王にとっては造作もないこと。しかし、恐らく任務を遂行するまで暗殺者が送られてくることは容易に想像できた。それはとても煩わしい。
女王はふと思いつき、自らの首に手を当て、胸に手を当て不敵に微笑んだ。
悲劇は突然だった。女王が永い眠りについたのだ。
犯人は青年だとされたが、違った。そもそも犯人などいないのだ。女王は薔薇を模した銀の杭で、自らの心臓を突き刺した。
なぜ自殺をしたのかはわからない。しかし、誰もが察したのだ。
誰よりも女王へ殺意を向けていた青年が、誰よりも女王の死を悼む涙を流している。女王はきっと、青年のために自殺をしたのだ、と。
青年はわかっていた。なぜ女王が自殺をしたのか。自分がなぜ自殺をするのかと言う理由を、直接女王の口から説明されたのだ。
青年の命が狙われる原因は、女王が生きていることだと気づいた彼女は、青年から杭を取り上げた。いつぞやの薔薇を模した銀の杭だ。
そして自らの心臓に突き刺したのだ。
青年は始め絶句して動けなかったが、我に返ると女王に向かって怒鳴り散らした。自分に、そんなことをするほどの価値はない、と。しかし、女王は青年を愛おしそうに見つめて、ため息を一つついた。
——いつか、お前が迎えに来てくれ。
それが、女王の最期の言葉となった。
さらなる悲劇はここからだ。女王は死んでなどいない。吸血鬼の弱点である銀の杭で、急所である心臓を刺したところで女王は痛くも痒くもないのだ。眠ったあとに誰かが杭を抜けば。
女王は死ぬつもりなど毛頭なかった。女王自身が死んだと組織へ報告が入れば、青年を殺す理由がなくなるから。そう考えて自ら仮死状態へ陥った。しかし、口下手な彼女は青年を信じて、言葉数少ないまま眠ってしまった。杭さえ抜けば目を覚ますことができるから。
しかし誰も知らなかった。青年は気づくことができなかった。女王は君臨するにはあまりに自らを語らなかった。それが仇となり、眠りから目覚めるはずだった女王は、目を覚ますことはなかった。二度と。
心臓に杭が刺さったまま、彫刻のように美しい姿のまま、彼女の体は豪奢なガラスケースにしまわれ、眠り続けている。たくさんの枯れることのないドライフラワーに囲まれて。
いつか誰かが、彼女の杭を抜くまで。




