第5話:夜の執務室、甘すぎる契約書
月明かりが差し込む団長執務室。
エマは緊張した面持ちで、アルドルフの向かい側に座っていた。テーブルの上には、彼が用意した最高級の茶菓子と、一通の羊皮紙が置かれている。
「……あの、アルドルフ様。追加の契約、というのは?」
アルドルフは組んだ指の上に顎を乗せ、熱っぽい瞳でエマを見つめた。
「ああ。君の待遇を正式に改めたい。……これを見てくれ」
エマが手渡された書類に目を落とすと、そこには驚くべき条件が並んでいた。
• 報酬: 王宮筆頭魔道士と同等の年俸
• 住居: 騎士団本部最上階の専用スイート(永久提供)
• 特権: 外出時は団長自らが常に護衛を務める
「えっ……! こ、こんなにいただけません! 私、ただ魔獣とお喋りしているだけなのに……」
「……君は、自分の価値を分かってなさすぎる」
アルドルフは立ち上がり、エマの背後に回ると、その肩にそっと手を置いた。低い声が耳元に響く。
「昨日、君が鎮めた魔獣たちの医療費と修繕費だけで、この報酬の十倍は浮いている。……それに、何より。君がここにいてくれないと、私は安心して眠ることさえできないんだ」
その言葉に、エマの心臓が跳ねた。
「エマ。これは契約だが、私からの……個人的な願いでもある。私だけの『聖域』になってはくれないか?」
アルドルフの指が、エマの頬に触れようとした、その時――。
ガシャァァァン!!
執務室の窓ガラスが派手に割れ、黒装束の男たちが数人、室内に躍り込んできた。
「見つけたぞ、不気味な女! ヴィルガスト様の命令だ、大人しく……ぐふっ!?」
男が言い切る前に、アルドルフの抜剣すら見えない一撃が、刺客の鳩尾を捉えていた。
アルドルフの表情から「甘さ」が消え、戦場の「死神」の顔に戻る。
「……私の部屋で、彼女の名を呼ぶなと言ったはずだ。その汚い口、二度と開けられないようにしてやろうか?」
刺客たちは震え上がった。彼らが相手にしていたのは、ただの騎士ではない。数多の魔獣を屠ってきた最強の男だ。
逃げようと窓へ向かう刺客たち。しかし、そこには別の絶望が待っていた。
「グルルゥ……」
割れた窓の外、テラスには、エマの異変を察知して駆けつけた「双頭の鷲」が、四つの瞳を怒りに燃やして待ち構えていたのだ。
「ひ、ひぃぃぃっ! 化け物が!!」
「めっ、ですよ! みんな、怪我させちゃダメ!」
エマの叫びで、オルトロスは寸前で噛み付くのを止め、刺客たちを前足で「ぺちん」とはたき落とした。
数分後、刺客たちは騎士たちに引きずられていった。
アルドルフは乱れた服を整え、再びエマに向き直る。その瞳には、先ほどよりも深い、底なしの執着が渦巻いていた。
「……やはり、君を外に出すわけにはいかないな。ヴィルガストというゴミも、そろそろ完全に処分する必要があるようだ」
アルドルフはエマの手を引き、その指先に誓いを立てるように唇を寄せた。
「エマ。この契約書にサインを。……君の人生、すべて私が買い取ろう」




