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一 大葉導子の語り

 私は楽しい人生だったけれど、聞いても面白くないんじゃないかしら。

 普通よ、普通の人生。大工の家に生まれて、女学校に通って、お見合いをして、子供を生んで、孫ができて……。普通でしょう。まあ、今は、好きになった人と結婚するのが当たり前みたいだけど。

 戦争に父と兄は駆り出されていったけど、それも運良く終わりかけの時期だったし、戦後も家族は誰も欠けずに過ごせていたの。

 住んでいた地域は運良く空襲もなかったわ。隣だったかしら、近くの都市は空襲もあったみたいだけど。

 国家総動員がどうとかBHQがどうとか騒がれていたけれど、同じ日本にいたはずだったのに、どこか遠い国の話のような、他人事みたいな話だと思って聞いていた気がする。

 普通だって言ったけど、なんだか幸運だったのね、私。

 えっと、子供は三人いて、三人とも結婚して子供を産んでいたから、孫は八人もいるの。みんな可愛くてね。でも、今の子って、金平糖とか、食べないのね。嫌がられてびっくりしちゃった。

 あ、あなた食べたことないの。ここまで持ってきたらよかったわね。

 ……ああ、そうだ。話したいことを思いついた。

 聞いてくれるかしら。

 なんとなく、あなたが、私の、大葉導子の話を聞いてくれる、最後の人のような、気がするの。

 ……なんでも聞いてくれるの? どうも、ありがとう。

 私、生きていく中で、差別だけはしないって決めてたの。

 そう。そう決めたきっかけがある。

 私、空襲で大怪我をした人……あ、いや……話してないから、多分、空襲で怪我をした人、だと思うんだけど、その人を一度だけ、妖怪だって揶揄ったことがあるの。

 道ですれ違った人だから、名前も素性もよくわからないわ。

 全身に包帯を巻いていて、足を引きずるみたいにして歩いていた。近くを通ると、包帯をしばらく変えてなかったみたいで、なんだかすごい匂いがした。だから、周りの人も、その人を避けるようにして歩いていたわ。

 だから、妖怪だ、誰か退治してー、って。あなた、早くこの町から出て行きなさいよって。

 あのときは、別に、本当に妖怪だって思ったわけじゃないの。別に怖くもなかった。

 ただ、包帯まみれのちょっと変な人が、みんなに怒られたらおもしろいな、なんて変なことを考えていたわ。

 母に頬を思いきりぶたれて、すごく叱られちゃった。

 あの時は母に頭を押さえつけられて、形だけは謝ったけれど、正直、あんなのは心からの謝罪じゃなかった。

 馬鹿なことをしたのよね。今考えると。私も娘がそんなことを言い出したら、泣き出すまで叩くと思う。

 包帯に血を滲ませながら、必死で歩いている人を馬鹿にするなんて、本当に愚かだったわ。

 きっと、包帯の下、すごく痛かったと思う。周りの人から興味津々に見られるのも、同情っぽい目で見られるのも、痛かったと思う。

 あの人は、通りすがりの人だったから当たり前だけれど、あれ以来は会ってないわ。

 それで、私、そのあと、腕をやけどしたの。学校で火事があってね。

 逃げ遅れちゃったんだけど。ちょっとのやけどで逃げられたの、幸運だったわね。

 腕だけだったけど、色が変わって包帯でぐるぐる巻きになった私の腕をみて、みんな、気持ち悪い、近寄るなって言ったわ。

 痛いのに、誰も助けてくれない。蔑まれる。辛かったわ。

 保健の先生が何も言わずに何回も包帯を巻き直してくれたのが、唯一の救いだった。

 ね。ようやく、あの人に悪いことをしちゃったって気づいたの。

 いつ聞いたか忘れちゃったけど、差別って言うんだって。そういうことをすることは。

 それで、こんな場所でも話すくらいには、私がしでかしてしまったことを忘れられなくなったの。

 ……あなた、笠で顔が見えないからかもしれないけれど、嬉しいとか、悲しいとか、そういうのが、あんまり見えない人なのね。

 ……いいえ、気にしないでちょうだい。そっちの方が話しやすいわ。蔑むみたいな顔されたら、話しづらいじゃない。

 せめて罪を償おうと思ってね、そこからは、差別をしないようにしようと思ったの。

 具体的には、痛そうな人を、周りの冷たい目から守ってあげようと思った。

 級友にね、顔が、あの、戦争で、やけどで顔がどろどろになった女の子がいてね、英子ちゃんっていうんだけど。好きな男の子に気持ち悪いって言われて泣いてたの、英子ちゃん。

 やけどをする前は、髪が長くて、肌が白くて、目元がぱっちりしてて、それはもう別嬪さんだったのよ。

 だから、余計に辛かったんじゃないかしら。急に周りの態度が変わるんだもの。びっくりするし悲しいわよね。

 なんとなく、自分が揶揄ったあの人と重なって見えたわ。

 私が守ってあげくちゃいけない、これが私の贖罪だって、強く思った。

 揶揄われて泣くたびに、あなたはかわいいって言いながら、抱きしめた。

 そうしたら、あの日馬鹿にしたあの人も、許してくれるような気がした。罪悪感が軽くなるような。

 ……苗字? 英子ちゃんの?

 深山よ。深い山で深山。結婚をしていたらわからないわ。

 そんなことを聞くってことは、英子ちゃんを、最近乗せたの? 

 そう。あ、あなたに、旧姓まで教えてくれたんだ。

 なぜかしら。

 ……私を探してた。そうなんだ。 

 ちょっとびっくりしちゃった。英子ちゃん、私のこと、覚えてたんだ。死んだ後も探すくらい、一緒にいたのね。私たち。

 何か言ってた? 英子ちゃん。私のこと。

 ……。やっぱり、無理して教えてくれなくていいわ。

 幸せそうだった?

 ……ならいいの。学校を卒業したあとは一回も会えなかったけれど、幸せになれたならよかった。

 ……あの人も、あなたの船に乗ったのかしら。

 背が高くて、背中が大きくて、全身に包帯を巻いた、男の人。

 名前がわからないわ、でも。

 母と一緒に謝ったとき、なんにも言わずに、泣きそうな顔で去ってしまった。よく覚えてる。

 ……乗せたんだ。いつ? ……そう。

 なんて言ってた? やっぱり、私のこと、怨んでいた?

 ……。

 ……聞いてどうするんですか、って……まあ、確かにそうよね。

 聞いたって、どうしようもないかもしれない。もう会えない。

でも、気になるものよね。わかるかしら。わからない? そう。

元気そうだったかしら。

ならいいわ。きっと、死んだらもう怪我も病気も痛くないのよね。

 ふう。思ったよりもおもしろい話ができた。

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