十一 木苺
外の世界は、うるさい生き物の音と、人の声と眩しい光でいっぱいだ。
人が大勢いるせいなのか、真っ黒な地面のせいなのか、賽の河原が恋しくなるほどに暑かった。
袖で額の汗を拭う。
美紀の家の周りは、まだ人通りも少なかったはずだ。あてもなく歩くうち、いつのまにか人ごみの中まで来てしまった。
人の歩いている道から少し外れようとすれば見たこともない大きな箱がものすごい速さで走っているし、立ち並ぶ建造物は世界が窮屈に感じるほどに背が高い。
じっと俯き、ひたすらに歩を進めていると、不意に腕を引かれた。
「……あっ?」
そのまま強く引っ張られ、歩みが止まる。
腕の持ち主の方へ顔を向けると、レイジが苦笑いで立っていた。
「やぁっと見つけた。探してたんだぜ。てか、信号は無視しちゃダメっしょ」
レイジが私の進もうとしていた方向を指差した。
その先に、赤と緑の板がついた背の高い棒が立っている。赤色の板が光っていた。
「……あれが信号、か」
そう呟くと、レイジは怪訝そうな顔で私を見た。
「なあ、ずっと疑問なんだけど。ミチビキちゃん、パラレルワールドっつうの? なんか変なとこから来てるよな」
「……というと?」
「なんか、世間知らずすぎる割に中途半端に知ってるっていうか、言葉だけ知ってる? みたいな」
「私は船頭です。死者から話を聞きますから、色々と知っている。ただ、見たことはなかった」
「ふーん。ま、いいや。デートしようぜ、ミチビキちゃん」
そう言うレイジは、勝手知ったる風に見える。
よく考えてみれば、それこそおかしな話である。
執行人は全員、生きている間に重い罪を犯し、気がふれるほどの長い時間罰を受けた者だ。おそらく、罰を受ける時間は、何百年、何千年に渡る。
そして、長年、死者の話を聞いていれば、時代の流れも読める。
こちらの体感で、数年単位で時代は移り変わり、人びとの暮らしは様変わりする。
死後、数百年、数千年が経っている人間が、今の世界でなんの引っかかりもなく過ごせるわけがない。
「……ほら、青になったよ。渡ろう」
「それ、誰から教わったのですか」
歩き出したレイジの後ろを追いかけ、そう尋ねる。
「誰って、強いて言えば親、とか? 常識だろ、信号とか」
レイジは振り返らないまま答える。
「変です」
「何が」
「疑問に思いませんか。あなたが死んだのは、少なくとも千年は前でしょう。なのに、ここはあなたの勝手知ったる世界のようだ」
「じゃ、俺がパラレルワールドから来てるんじゃない? てか、そんなこと知って何にもならないよ。俺たちただの執行人だし」
レイジはくるりと振り返り、私に笑いかけた。
「な、今日はそんな難しいこと考えなくていいだろ。なんか、行きたいとことか、食べたいものとかないの」
「場所も食べ物も知らない」
「死んだ人から話聞くんでしょ? 行ってみたいなとか思った場所、ないの?」
言われて、考える。
ふと思いつくのは、永剛からもらったまんじゅうのことだった。
まんじゅうはもう、食べたくない。
「……赤い、甘い、実」
ぽつりと呟くと、レイジは不思議そうに首を傾げた。
「なにそれ? 名前、わかる?」
「名前、は、私が生きていた頃にはなかったのだと思います。母、が、よくくれたもので……その」
「原始人? ま、いいや。それ探してみようか」
レイジは楽しそうに笑って、私の手を引いて歩き出した。
思い当たるものがあるのだろうか。
彼の歩みに迷いはなかった。
時折りつまづきそうになりながら、手を引かれるままについていくと、色とりどりの実が置かれている棚の前に出た。
棚の奥に、気の良さそうな中年の男性が立っている。
「いらっしゃい。初めましてだね。兄妹かい」
中年の男性は私たちに気付き、笑顔で話しかけてきた。
「ま、そんなとこです。あ、これとこれ、ください」
レイジは問いかけを軽く流しながら、赤い実を二つ手に取り、男性に手渡した。
何やら丸く平らなものを男性に手渡し、再び実を男性から受け取った。
六文銭を渡さなければ、舟で向こう岸へは渡れない、あれとよく似ている。
「お待たせ。行こうか」
レイジは再び私の手を取り、歩き出した。
中年の男性は笑顔のまま、私たちに手を振った。
それからレイジは似たことを似たような場所で、五、六回繰り返した。
自分のやりたいことをやっているわけでもないのに、彼は随分と楽しそうだった。
最後に、彼は開けた場所へ私を連れてきた。
私が最初に目覚めた場所と、よく似ている。
レイジは木でできた長椅子に腰掛け、私に赤い木の実たちをばらっと並べて見せた。
「ごめん、連れ回して。この中に、ある?」
レイジは袖で額の汗を拭きながら、にっこりと笑った。
空はいつのまにか、青色から橙色に変わっている。
蒸されるような暑さも、生ぬるい風が吹くだけになった。
もらった時計は、短い針が左を向いていた。
「それ、変な時計だよな。普通、二周で一日なんだけど」
「……へぇ」
「で、ある?」
再び問われて、椅子の上に並べられた赤い実を見る。
大きさも形もばらばらだが、どれも赤い。
彼は、私の、赤く甘い実、という手がかりのみで、彼の知る限りのものを集めてくれたのだろう。
しかし、じっくりと見てみても、どの実も私の記憶とは合わない。
「……どれでもない、と思います」
そういうと、レイジはがっくりと肩を落とした。
「なんだ。ま、買ったついでだし、教えてあげる」
レイジはそう言って、大きく丸い実を指差した。
「これがりんご、トマト、いちご、さくらんぼ、いちじく、ざくろ。あとすもも」
「えっ、と、りんご、トマト、いちご、さくらんぼ、いちじく、ざくろ、すもも」
「そうそう。いいね」
レイジの真似をして、指を指しながら実の名前を呼んでいくと、彼はにっと目を細めた。
「楽しいね。俺、先生とか向いてたのかも」
「……」
「座んなよ」
レイジが端に寄って、空いた隙間をぽんぽんと手で叩いた。
促されるまま、腰を下ろす。
「ミチビキちゃん。口開けて」
言われるままに口を開けると、何かが口の中に放り込まれる。
噛み締めると、甘い汁が口の中に広がる。
がり、と歯が硬いものにあたった。
「これなんだ」
「さくらんぼ」
「うん。硬いのは種って言うの。口から出して。食べるものじゃないから」
「……あなたのやりたいことは?」
差し出された紙に種を吐き出して尋ねると、レイジは気まずそうに肩をすくめた。
「俺も死ぬ前の数年は刑務所にいたからさ。ミチビキちゃんよかマシだけど、世間知らずなんだよな。何があるのかよくわかんない。家族にも合わす顔ないし、やりたいことって特にない」
好きならさくらんぼ、全部食べていいよ、とレイジは誤魔化すように付け加えた。
兄がいたらこんな感じだっただろうか、とぼんやり思う。
いつのまにか、橙色の空は濃い藍色に変わっていた。賽の河原よりも随分と暗い。
ふとあたりを見渡すと、背の低い緑の中に、赤い実がいくつかくっついているのが見えた。
「……あ」
吸い寄せられるようにその方向へ近づき、その実を一つもぎ取った。
見覚えがある。
間違いなく、母がよく私に渡してくれたものだった。
探し求めていたものは、散々探し回ってかき集めたどれでもなく、適当に立ち寄った場所に何でもないような顔で鎮座している。
それがおかしくて、笑みが溢れた。
「それ?」
レイジはいつのまにか私の後ろにきて、私の手元を覗き込んだ。
「はい」
「よかったね。それ、キイチゴだな、多分」
「……うん。キイチゴ。うん」
「食べないの?」
手の中の赤い実を転がしながら、首を振る。
「怖いから、食べない」




