七 身内
黒髪の、中年の男性は痩せた体を膝ごと抱えて俯いていた。
「……自殺は、贖罪のつもりでした」
震えている小さな声は、まるで子どものようだった。
山水瀬の流れは心なしか、いつもより穏やかな気がする。
自分の命を自分の手で終わらせてしまうことは、人を殺したことになるらしい。
それでも、自死を選ぶ罪人は、いつも流れが緩い山水瀬に通される。
それが人殺しよりも自死の罪が軽いからなのか、奪衣婆と懸衣翁が彼らに同情したせいなのかはわからない。
「からの贖罪のために、罪を犯したわけですか。あなたは何も罪など犯していなかったというのに」
「……その通りですが。ひどいことをおっしゃりますね」
「あなたは運が悪い。虫の居所がよろしくないのです。申し訳ない」
長田永剛の言ったことが、胸につっかえている。
目の前の乗客は関係がない。
よろしくないことだとわかりつつも、八つ当たりをするしか、解消の術がわからなかった。
「……俺、は、地獄行きですか」
彼は水面をじっと見つめながら尋ねた。
何度も訊かれた問いだが、他の乗客とは何かが違う。
「ここでは判断できかねますが、人を殺した者は大抵、地獄へ行きます。己を殺した者も含めて」
同じように答えてみても、彼の表情は変わらない。
「じゃあ、俺は地獄へ行くのでしょうね。よかった」
彼は無表情のまま、抑揚のない声で言った。
視線は水面に強く固定されたまま動かない。
笠を被って顔が見えづらいはずの私と、わざと視線を合わせないようにしているようだ。
「地獄へ行きたがる人間とは、非常に珍しい。ですが理由はわかっています」
彼のような人間は、数こそ多くないが、出会ったことがないわけではない。
彼らはきまって、私の視線から逃れようとする。ひどく怯える。
断罪を恐れているような目だ。
「身内に咎人がいる。でしょう」
そう指摘すると、彼はびくりと肩を震わせた。
「あなたの名前は?」
「……玉枝星輝と申します」
玉枝、と言われて、あの醜男の顔をすぐに思い出すことができた。
体格がかなり違うものの、言われてみれば、細長い目元は中々に似ている気がする。
「小学生をたくさん自動車で轢いて死刑になった、と言っていた」
あの男が語っていたことをそのまま口にすると、彼は怯えたように私を見た。
「そ、その通りです、兄、兄、兄は。あなた、事件のこと、知ってるんですか」
「なるほど。あれが兄とは、気の毒だ。何を恐れているのです」
「毎日毎日、家までマスコミが追いかけてくるんです、両親もそれで疲弊してるんだ、ご近所さんは、まるで俺たちまで犯罪やったみたいな、そんな目で見てくるんです」
両腕に抱え込んだ膝に顔を埋めて、掠れた震え声で星輝は言う。
マスコミ。ご近所さん。必死に記憶を辿り、言葉の意味を確認しながら話を聞く。
黙ったままでいると、星輝はオロオロと話し続ける。
「……つまり、その、あの視線が怖い。血が繋がってるから、俺もあいつと、同じ、なんでしょうか」
「死んだ後では、血の繋がりなど何の意味も持たない。あなたは地獄へ行くとしても、兄と同じ罰は受けない。あなたと兄は全く別の人間、別の魂、でしょう」
「……そうですか。そうですね」
消え入りそうな声で答えたあと、星輝は目元を乱暴に拭った。
「じゃあ俺、あいつの贖罪とか、しなくていいの」
「元より、他人が罪を清算することなど不可能です。そもそも本人にも、地獄で償う以外の方法などない」
「どういうことですか」
「……後の善行で、過去の悪行を消せるわけではない、ということです」
思い出すのは、大葉導子の顔だった。
罪を犯したからと言って、先の人生でいくら善行を行ったとて、ただの自己満足だ。
「……次は、恵まれた環境のもとに産まれるとよいです」




