第13話 神様ありがとう
「ねぇ、えみりちゃん!さっきの千堂さんたちに見られてないよね?もうだいぶ離れてたし、大丈夫だよね!?」
「ふふ、どうだろうねー?」
「ふふって……なんでそんなに余裕なの!?とにかく、だいぶ元気になってくれたのはよかったけど……」
あんなにもバレることを警戒していたはずのに、いつからかもうえみりちゃんは本当にどうでもよくなっているようだった。
「すみません、……そこの信号を左にお願いします。曲がってしばらく行ったところの建物なので……」
「はーい!」
えみりちゃんがそう話しかけると、運転手のおばさんは快い返事をした。 心なしか、さっきより少しだけご機嫌になっている気がする……。
もうすぐえみりちゃんのマンションに着く。明日の朝、完全にお酒が抜けて正気に戻ったら、改めて色々と思い出して恐ろしくなりそうな気がするけど、とりあえず今日はいったん忘れてぐっくり寝よう……そんなことを考えながら、信号が変わり、大きな遠心力で車が左に曲がった時だった。
「……うぅっ……しのぶちゃん、今さらだけど……やっぱり気持ち悪くなってきちゃったかも……」
「えーーっ!!大丈夫!?」
「……は、吐きそう……」
えみりちゃんはバックから急いでハンカチを取り出し、それで口を塞いだ。
「ちょっと、お客さん!!お願いだから車の中では吐かないでよ!?」
運転手のおばさんが慌てふためく。
「ほら!これ!!」
おばさんは前を向いたまま、いわゆるエチケット袋らしいものをノールックのバックハンドで後部座席に投げ入れてきた。
「ありがとうございます!!」
私はとりあえずそれを開いて、もしものために万全にスタンバった。
「……だめ……我慢出来ない……もう降りたい……」
えみりちゃんの限界を感じ、私は運転手のおばさんに叫んだ。
「すみません!!もうここで降りますっ!!」
車が止まると、えみりちゃんは一目散に外に出てしゃがみ込んだ。私はそちらの方に視線を向けながら運転手さんにもらった一万円を渡した。運転手のおばさんはギリギリ難を逃れてほっとした様子で、最後には「お大事にね」と、気遣う言葉を残しながらお釣りを渡し、走り去っていった。
人通りのない静かな路上で、えみりちゃんはかすかなうなり声を出しながら、うずくまっていた。私はすぐに駆け寄ってそっとその背中をさすった。
「大丈夫!?えみりちゃん!!」
「……うん……。今、少しだけ落ち着いてるから今のうちに部屋に入りたい……」
今日一で具合が悪そうなえみりちゃんの肩を抱きながら、残り100mちょっとの距離をなんとか歩き、マンションのエントランスまで来た。
えみりちゃんがふらふらしながらも手慣れた様子でオートロックを解除する。ガラス扉が開くと、目の前にちょうどよく一階に止まってくれていたエレベーターがいた。まだ比較的新築なのか、特有の新しい匂いがえみりちゃんの気持ち悪さを刺激しないか心配しながら二人で乗り込む。
「部屋、確か8階って言ってたよね?」
「うん……」
代わりにボタンを押し、8階に到着するとか細い声の指示に従いながら、えみりちゃんを部屋の前まで連れて行き、渡された鍵で扉を開けた。
中へと入り、えみりちゃんを支えながらきちんと内鍵をかけ、二人で靴を脱ぐ。
「お、お邪魔します……」
具合の悪いえみりちゃんを前にそんなこと言ってる場合じゃないんだけど、中へ入ると空間中が大好きなえみりちゃんの香りに包まれていて、私こそ意識が朦朧としそうだった。
「あ!えみりちゃん、吐きそうなんだもんね!トイレ行く?」
「……とりあえず……横になりたい……」
「分かった!」
入ってすぐの廊下の先にあるのは多分リビングだ。キョロキョロと見回すと左にも右にも扉があった。
「えーっと……」
「……こっち……」
えみりちゃんが指を指した左側の扉を開けると、そこは大きなベッドだけが置かれた真っ暗な寝室だった。
さすが芸能事務所の借りてるマンション……私の部屋とは全然違う……。若い娘一人が住む部屋に、こんなにしっかりした寝室があるなんて……。
ちょっとしたカルチャーショックを受けながらえみりちゃんを支えてベッドに向かって進む途中、奥の間接照明にやわらかいオレンジの灯りが灯った。
「わっ!すごい!もしかして自動なの?!」
私がそれに驚いている間に、えみりちゃんは私の腕からするりと落ちるように抜けて、仰向けにベッドへ倒れ込んだ。
「えみりちゃん……?」
寝ちゃったのか、苦しいのか、目をつぶったまま動かない……。
「……ど……どうしよう……」
このままにして帰るのも心配だけど、このまま起きるまでずっと勝手に居座るわけにも……
ベッドの足元で私はあご拳をを当て、しばらくの間どうしたものかと考えていた。すると、
「…………しのぶちゃん……」
やっと声になったような声でえみりちゃんが私を呼んだ。よかった!意識はあるみたいだ!
私はベッドの脇まで行って、横からえみりちゃんに話しかけた。
「お水とか飲む?」
「…………こっち……て……」
こっち来て……?って言ったのかな……?
綺麗に整えられたベッドにためらいながらも片膝だけ乗らせてもらい、上質なベットに両手を着いて上から顔を覗く。
「……えみりちゃん……?」
真上から見るえみりちゃんはリアルな白雪姫みたいで、この世のものとは思えない美しさだった。不謹慎にもその顔を見つめていると、私の心臓は爆発しそうにドックドックと、どんどんどんどん大きく高鳴っていった。
その時だった。
目をつぶったまま、えみりちゃんは私の体に腕を回してそのまま自分に引き寄せた。その衝撃で支えを無くした私は、えみりちゃんに思いっきり乗っかって倒れてしまった。
「わっ!!ごっ、ごめん!!」
思わず謝る。
「大丈夫。しのぶちゃん、ちっちゃくて軽いから」
慌てて離れようとするけど、えみりちゃんの腕がロックしてきて動けない。
「……やだ、離れようとしないで。しばらくこのままでいて……お願い……」
耳に唇がかする距離でそんなことを言われ、高揚しすぎてもはや鼓膜が破れそうだ。
だめだ……このままじゃ本当に死んじゃう……
だって!だって!
胸も思いっきり当たっちゃってるし!!
「あ、あの……えみりちゃん?具合悪いんだし、ゆっくり休んだ方が……」
そうだ、えみりちゃんは具合が悪いんだ……。私は正しい行動を取らなきゃ……と、必死に自分を奮い立たせたながら言った。
「……ふふふ」
「…………ん?」
私の体に顔を埋めたえみりちゃんから笑い声が聞こえた。
「……え?どうしたの?!大丈夫?!」
「しのぶちゃん、まだ気づかないの……?」
「なっ、なに?……なんのこと?」
「私、全然平気だよ?具合なんて悪くないよ」
「えーーっ!?全部演技だったの?!!」
「全部じゃないけどね。お店出た時は本当に具合悪かった……。ベンチのところまでは。でもタクシー乗るまでにはもうだいぶ平気だった。お茶の効果かな?」
「……たしかに、一回復活したとは思ってたけど……」
「うん。最後の最後で演技しちゃった!もしかしてこれ突然舞い降りたチャンスなんじゃ?って、タクシーの中でふと思いついちゃって。こうでもしないとしのぶちゃん、うちに泊まりに来てくれないんだもん……」
「……そのために?」
「そうだよ?」
えみりちゃんは悪びれもなく嬉しそうに笑った。
なんだか色んなことで頭が吹っ飛びそうになる。
「ねぇ、しのぶちゃん……今日は朝まで一緒にいよう?……嫌なわけじゃないってさっき言ってくれたよね……?」
「……それは言ったけど……」
「……いつも私の裸妄想してたんでしょ……?今日は本物の私の体、見せてあげるから……」
そう言ってえみりちゃんはシャツを少しだけ開いてみせた。
……あぁ神さま、朝が来るまでにきっと私の命は終わります……
こんな可愛い子を前にして、私の頼りない心臓はとてもじゃないけど持ちません……
だけど悔いはありません……
このまま死ねるなら本望です……
短い人生の中で、えみりちゃんと出会わせてくれて、本当にありがとうございました……
えみりちゃんがとろんとした目で私を見ながらシャツのボタンを上からひとつづつ外していく間、私は本気でそんなことを考えていた……




