第1話 私に天使が舞い降りた
「……もっ、もしもし……？」
「もしもし？しのぶちゃん？もしかしてもう寝ちゃってた？」
「う、ううん！起きてたけど……どうしたの？こんな遅くに……もしかして何か危険なことでも！？」
「違うの、遅くにごめんね。……あのね、今日もしのぶちゃんから電話くるかな？って私、勝手に待っちゃってて……。こんな時間だしもうあきらめて寝ようとしたんだけど、やっぱり眠る前にどうしてもしのぶちゃんの声が聞きたくなっちゃって……」
「あっ……あのっ、ごめんね！……本当はかけたかったんだけど……その、おとといも昨日もかけちゃったから、さすがにしつこく思われるんじゃないかって……思ったから……」
「全然そんなことないのに！！私、しのぶちゃんからの電話だったら、いつだって何度だっていつもすっごく嬉しいよ……？」
「……う……ん……ごめんね……」
「ううん……。別に約束してたわけじゃないし、私が勝手に待ってただけだから……」
「………」
「……ねぇ、しのぶちゃん？」
「……な、なに？」
「大好きだよ」
「わっ！私も……大好きです……青山さん」
「もぉー！また敬語と名字！」
「あっ！！ご、ごめんね！つい仕事中の癖で……」
「…………」
「ごめんね……？……お、怒っちゃった……？」
「…………」
「あの……えみりちゃん……？」
「ちゃんと、もう一回言って」
「……大好き……えみりちゃん……」
「……その方がずっと嬉しい。二人だけの時はいつもちゃんと名前で呼んでね？しのぶちゃん」
な、なんなんだ！！？！
この可愛い生き物は！！！
この子は何で出来てるんだ！！！
神様の創造技術だとしてもここまで可愛い子が作れるとは思えない！！！
私の心の扉前に置いてあるきゅん呼び出しベルをリンリンリンリン容赦なく連打してくるこの電話先の女の子は、紛れもなく、私の彼女だ……。
青山えみりちゃん……
彼女と、友達から恋人という関係になって約３ヶ月になるけど、いまだに私はこの事実が長い長い夢の中と思えてならない……。
何故かと言うと、死ぬほど幸せ過ぎるのだ！！！『死ぬほど』というのはこの場合、巷で俗に使われる言い回しのレベルではなく、呼吸が止まり心肺が停止するという物理的且つ生物学的な意味合いを指す。目の前にすれば、いや、電話越しで声を聞いているだけでも、あまりの可愛さに気道がじわじわと締まるほど、とにかく可愛い……。それゆえ、彼女と話している時の私は話し方に難が出てしまう。だって、気道が締まるんだから！！このままだと数分のうちに死ぬかもしれないと冷静な判断をしつつ、むしろそんな死の迎え方なら本望だと思ってしまう。それくらい今私は幸せの頂に上り詰めているのだ。
こんなことがあっていいのだろうか？？
今年の年末当たりに地球は滅亡でもするんじゃないだろうか？！
近頃はいよいよ大真面目にそんなことを心配している。
「明日はしのぶちゃん、何時入り？」
「私は１８時から……えみりちゃんは？」
「私もおんなじ！じゃあ明日、更衣室で会えるね！」
「う……ん……」
「そろそろ寝なきゃだよね……寂しいな。……一緒のベッドで眠れたらいいのにな……」
い、今、なんて！？！
「……そんなこと思ってるの、私だけだよね……？」
「そっ、そんなことないよ！」
「ほんとかなぁ〜？」
「あ、あの……えっと……」
「ふふ。もういいよ！そう言ってくれただけでも嬉しい。今日はいい夢見れそう。おやすみ！」
「うん……おやすみ……」
「ねぇ、お願い。最後にもう一回言って？」
「あ、うん……え、えみりちゃん……大好き……」
「ありがとう。何回も言わせてごめんね？私も大好きだよ。今度こそ本当におやすみ、しのぶちゃん」
電話を切った後はいつもしばらく動けない。耳元に残るえみりちゃんの声と息の余韻が、私に毒薬を盛るせいだ……。
……出会いは半年ほど前だった。
東京の大学に通うため、田舎から上京してきた私が初めてアルバイトをしたお店は、個人経営の小さな居酒屋だった。一年半ほど働いた秋、その年の年末を待たずして突然そのお店は潰れた。
新しいアルバイト先を見つけなきゃいけなくなった私は、せっかく東京に来たんだから！と、前職とは打って代わって、都心のオフィス街にあるちょっとお高めなフレンチレストランの求人募集に、かなり思い切って応募してみた。
勇気を振り絞った電話で早速面接の日取りを決めたものの、当日お店の前まで行った私は、想像以上に洗練されたゴージャスな店構えを目にして、一気に怖気づいてしまった。
求人には『気軽にフレンチを楽しめるカジュアルレストラン♪』と書いてあったはずだけど、入り口の前には黒塗りの柵まであって、まるでどっかの国の大使館みたいだった。
これはちょっと、私なんかが働ける店じゃないでしょ……
気合いを入れて着てきた自分的には一番オシャレなはずの服が、だんだん着古した部屋着のように見えてくる。
こんな服で入っていい場所なわけがない……
とは言え、今から服を買って着替える時間なんてない……。というか、そもそもどんな戦闘服を身にまとってたとしても、こんなお店に入れる勇気、私の中には存在しない……
仕方ない……ちょっと離れたところから断りの電話をして、面接はなかったことにしてもらおうか……？
そんなことを考えながら入口の脇で不審者感満載にうろうろとテンパっていると、王室の使用人のようなユニフォームを着た人が突然、掃除道具を持ってお店の中から出てきた。
気配を察知した瞬間に、まずいっ！！と思って顔を背けたけど、その人はまっすぐ私のところまでやって来て、顔を覗き込むように声をかけてきた。
「もしかして面接に来た人ですか？」
「い、いえ！違いますっ！！」
咄嗟に否定をしてしまった。
「なんだ、違うんだ……。新しいバイトの子かと思ったのに……」
ゆっくりと顔をあげ、残念そうに言うその声の主の顔を恐る恐る見た瞬間、私は３秒前の発言を猛烈に後悔した。
私の返事につまらなそうな顔をした彼女は、並んで立っているのが恥ずかしくなるほど美しい女の子だった……。
「あっ、あの！！面接に来ました！」
「え？でも今、違うって……」
「……き、緊張して、間違えちゃいました！！」
「えー？緊張してても、そこは間違えないですよね、普通！おもしろーい！」
初対面の私に懐っこく笑いかける白い肌のその人は、まるで本物の天使みたいだった……。
それが彼女との初めての出会い。
その後、信じられないことに面接を突破した私は、彼女と同じ制服に袖を通し、そのお店で働けることになった。
初日に更衣室で再び顔を合わせると、彼女は元からの知り合いのように私の入店を喜んでくれた。
聞けば、彼女もつい先日入ったばかりの新人らしく、歳も私と同い歳だった。だけど、同じなのはたったそれだけ。田舎者丸出しの地味な私とは雲泥の差で、彼女は常に芸能人のようなオーラをまとっていた。それもそのはず。彼女は本当に本物の芸能人だった。
小さな事務所だけど、四年前にスカウトされたことをきっかけに地元から上京してきて、それからはずっと一人暮らしをながら俳優として頑張っているらしい。
実際は、そっちの仕事だけでも暮らしていけるみたいだけど、役者を語るにはあまりにも人生経験が薄いということにコンプレックスを持ってから、少しでも糧になればと、二十歳を機に初めてのアルバイトを始めたとのことだった。
メインではなくても時折ドラマにちょっとした役で出演していたり、ラジオや雑誌にも出たりしていて、そんな情報をもらって実際に見聞きしては、私は親戚の叔母さんのようにはしゃいだ。
彼女はこの歳でこの程度じゃもう先は見えてるなんて冷めた調子だったけど、芸能人なんて子供の頃地元のお祭りに来たコロッケしか見たことのない私には、彼女は雲を突き抜けたずっとずっと先にある、眩すぎて見えない太陽のような存在だった。
いつも彼女の方から話しかけてくれるからそれに応じてかろうじて話してはいるけど、正直私はそんなキラキラと輝きを放つ彼女の姿を自らの視界に入れるだけでも罪に思っていたくらいで、挨拶をすることすらいつも身構えて緊張していた。
それがまさか、こんなことになろうとは誰が予想しただろうか……？
バイト先には他にも同世代の子はちらほらいたし、全員が全員、私なんかよりずっとオシャレで可愛いかった。それに、そんな女子たちが総出でかっこいいと噂する男の子だっていた。
その誰もが、彼女に対してどうにかお近づきになりたいというアピールを全力でしていたけど、彼女はその全てを当たり障りなくかわし、なぜかこんな私にだけ唯一、自分からかまってきてくれた。
彼女に一目置かれていることで場違いとも思える環境でも疎外感を感じなくて済んだし、バイト以外にも食事や買い物にも誘ってくれたりして、田舎から出てきて二年が経ち、彼女のお陰でようやく私は東京の生活が楽しいと思えるようになった。
それは、そんな日々を過ごしていたある日のバイト帰りだった。
いつも通り食事に誘われた夜の帰り道『しのぶちゃんが好き……。もしよかったら私と付き合ってもらえませんか……？」と、私は彼女から告白されたのだ！！！！
そう言われた瞬間、そのまま後ろにぶっ倒れてしまいそうになるくらい驚いた。心臓が止まるか、破裂するか、分からないけど体になんかしらの異常が起きると本気で思った。
実は、口にするのもお恐れながら、私も以前から彼女に対して淡い恋心を抱いている自分に気づいていた……。というか、本当は出会ったあの瞬間から恋に落ちたと自覚していた……。
だけど、あんな天使のような人に私なんかがそんなこと、思うだけでも天罰が下るに違いない！！と、私はその想いを押し殺して彼女と過ごしていた。
だから、信じられなかった。
正直疑った。
プロの役者である彼女を、事あるごとに疑ってしまう……。
「……あの……それってドッキリだよね……？」
こんなうまい話信じられるわけもなく、真に受けることも恥ずかしいと思った私は、下手な半笑いで彼女にそう返した。すると、私をじっと見つめる彼女の瞳から涙がじわじわと溢れてきた。
「付き合うのが無理なら仕方ないけど、私がしのぶちゃんを好きな気持ちを嘘だとは思わないでほしい……」
こぼれた涙が着ているシャツを濡らしても、通行人が興味本位にじろじろと見てきても、彼女はかまわずに恨むような目で私を見ていた。
たまらなくなり、ほとんど衝動で、私は彼女の手を取って握った。
「私なんかで良かったら、ど、どうぞよろしくお願いしますっ！！」
「……えっ……本当に？本当にいいの……？」
悲しい顔のまま彼女は何度も聞き返した。
「う、うん……。……実は、本当は私もずっと……青山さんのことが好きだったの……」
「……うそ」
「………ほ、ほんとです！！」
「……でもそれって、私の言ってる『好き』とは違う意味でだよね？しのぶちゃんが言ってるのは、友だちとして……でしょ？」
「ち、ちがいます！友だちとしてももちろん好きだけど……ちゃんと、青山さんと同じ意味で……。……私なんかがそんなこと、考えるだけでもいけないことだって思ってたから、無理矢理閉じ込めてたんだけど………」
色んな感情が立ち上ってきて脳が沸騰しそうになりながらもなんとか言葉にすると、彼女は涙目のまま、飛びつくようにして私に抱きついてきた。
「……嬉しい……嘘みたい……」
全身で感じる彼女の柔らかい体の感触と上品な香りに、私の意識は遠のきそうになった……。
このようにして私たちの清い交際は、数少ない星がかすかに煌めく東京の夜の空の下、静かに始まったのだった……。
