26 千冬の兄
グラスはノートパソコンの画面をじっと見つめている。
「……神山組の新しい若頭、高須さんに決まったらしい」
低い声が部屋に落ちると、タコ松は腕を組み、ふっと笑みを浮かべた。
「そりゃあいい。高須さんなら間違いねぇ。あの人は筋が通ってる」
グラスはゆっくりと椅子から立ち上がる。
「組長の様子でも見に行くか。……千冬、留守番頼む」
「はい」
千冬は静かに頷いた。
二人は玄関を出て車に乗り込む。エンジンがかかり、低い唸りが夜の静けさを震わせた。
残された千冬は、ふっと息をつき、タロウとボール遊びを始めた。
コロコロと転がるボールを追いかけ、タロウの小さな爪が床をコツコツと叩く。
穏やかな時間が流れていた。
そのときだった。
コン、コン、と硬い音が玄関に響いた。
千冬は眉をひそめ、首をかしげながらドアへ向かう。
「誰だろ……」
扉を開けると、そこに立っていたのは薄汚れたコートを羽織った男だった。
顔はやつれている。
だが、その目の奥には研ぎ澄まされた刃のような光が潜んでいた。
千冬の呼吸が止まる。
「……兄さん」
そこにいたのは、海外にいるはずの兄、剣崎士郎だった。
士郎は冷ややかに千冬を見下ろす。
「海外から戻ってきたら……みんな殺し屋狩りにやられたと聞いて驚いた。だがなもっと驚いたのは、お前がその殺し屋狩りと一緒に暮らしてるってことだ」
千冬は震える声を押し殺し、目を逸らした。
「……私は、あの家が嫌いでした。人を殺すことを正しいと教える家なんて、まともじゃない」
士郎の眉がかすかに動く。
「なるほどな。だから奴らの仲間になった……ってわけか」
吐き捨てるように言い、ほんの少しの間を置いて士郎は続けた。
「だがそんなことはどうでもいい」
「えっ……?」
千冬が顔を上げた瞬間、士郎の声はさらに低く響く。
「俺がここに来たのは、例の殺し屋狩りに会うためだ」
「二人は……出かけています」
千冬の返答に、士郎は短く頷いた。
「ならまた来ると伝えておけ」
それだけ言い残し、士郎は去る。
その夜。
「千冬の兄貴が来ただと?」
グラスの目が鋭く光る。
「はい……お二人に会いたい、と言ってました」
千冬は声を潜めて答えた。
「剣崎家の長男か……」
グラスは腕を組み、沈黙した。
タコ松が苦々しい笑みを浮かべる。
「俺たち、恨まれてるよな」
「……ああ。剣崎家を潰したのは俺たちだからな」
グラスの声は重く、部屋の空気も重くなる。
すると扉がノックされた。
三人は自然と視線を合わせた。
千冬が静かに立ち上がり、ゆっくりと扉を開く。
そこに立っていたのは士郎だった。
「入るぞ」
士郎はそう告げると、迷うことなく部屋に足を踏み入れ、床に腰を下ろした。
グラスは目を細め、警戒を滲ませる。
「あんたが千冬の兄貴か」
士郎は静かに頷き、低く名乗った。
「剣崎士郎だ」
タコ松は腕を組み、軽口を叩くように言った。
「何しに来たんだ?まさか復讐とかじゃねえだろうな」
士郎は微かに笑みを浮かべる。
「安心しろ。家族の仇を取るつもりはない」
タコ松の眉が跳ねる。
「じゃあ、何しに…?」
士郎の視線は二人を鋭く射抜いた。
「殺し屋狩りがどんな連中なのか見に来た。それと警告をするためだ」
グラスは少し首を傾げる。
「警告だと?」
士郎は言葉を選ぶように低く続けた。
「お前たちは残虐王やブラックといった有名な殺し屋を倒した。殺し屋たちの間では、次は自分がやられるんじゃないかと思っている奴もいる」
士郎の声に鋭さが増す。
「だから殺し屋たちは徒党を組んだ。お前たちを殺るためにな。これはその殺し屋たちの詳細が載った資料だ」
グラスは士郎に疑いの目を向ける。
「わざわざそれを警告しに来たのか?」
「お前たちが簡単にやられては面白くないからな」
士郎の言葉を聞いたタコ松は笑みを浮かべた。
「俺たちが負けるわけねぇよ!」
士郎は真剣な表情でタコ松を見つめる。
「雑魚の殺し屋が集まったわけじゃない。お前たちでも俺の警告がなければ100%死んでいたぞ」
グラスは拳を軽く握り、落ち着いた声で答える。
「まぁ、警戒しておく」
士郎は立ち上がった。
「それでは失礼する」
タコ松はすぐに立ち上がり、追いすがるように声を上げる。
「待てよ!俺らは殺し屋狩りだぜ?このまま帰すと思うか?」
士郎の瞳が鋭く光り、冷静ながらも威圧感を放つ。
「俺は命の恩人だぞ?」
グラスは腕を組み、顔をしかめて答える。
「関係ねぇよ」
士郎は一瞬だけ二人を振り返り、そのまま闇に向かって走り去った。
タコ松は焦った表情で叫ぶ。
「あ!待て!」
だが士郎の背中はどんどん小さくなり、夜に溶け込むように消えていった。
タコ松は拳を握り、じっと夜空を見上げる。
「くそ…次に会ったら絶対に倒す!」
夜風が二人の頬を撫で、遠くで車のエンジン音がかすかに響いた。




