第7話 極端な幼馴染
楼は自室に籠ってトロールばかりしていた。
この一か月の間、世間では石化する人がなおも相次ぎ、楼もいつ自分が石化するか解らずにいた。
それでも。楼はトロールをやめない。
父を殺したディミオスを捕まえるまで絶対にやめないと決めていた。
フェイクもヘイトも多いが、インターネットの情報拡散力は凄まじい。この頃には『#ディミオス様お願い』というハッシュタグもできていた。「石化した人を晒すから損壊してくれ」という物騒なハッシュタグである。
部屋のドアが優しくノックされた。
「楼ー? お昼ご飯持ってきたわよー?」
「……置いといて」
トロールのタイムラインを眺めながら抑揚のない声で答える。
「……楼。少しは出てきてよー」
「……やだ」
子供じみた返答だと解ってはいたが、楼は沈んだ自分の気持ちを上手く整理できずにいた。
ここ二か月で父の盛義を亡くし、更に目の前で石化していく人間になにもできなかった。挙句の果てには衆人環視のなかで失禁。現状の楼は引きこもりになりつつあった。
「楼。入ってもいい?」
「ダメ」
一拍間をおいてから、友里は続ける。
「……またトロールしてるの?」
「…………」
「ねえ。ネットから帰ってきてよ楼。現実世界に戻ってきて」
「……嫌だ!」
楼は足を大きく踏み鳴らす。
「オレはディミオスを捕まえるまでトロールを続けるんだ! 情報収集にはトロールが便利だし……! なにより今のオレにはネットがすべてなんだよ!」
幼い子供のように怒鳴り散らした。
……友里はしばらく黙ってから。
「……楼。あなたには現実があるじゃない。石彫だって得意じゃない」
「ないよ! オレには現実なんてない! 現実という受け皿がある母さんの言葉なんて! オレは聞かない!」
「…………」
言い過ぎた、と思った。
楼は咄嗟にドアの方向を見つめる。ドアの外の友里は黙ったままだ。
重い沈黙ののち。
消え入りそうな声で。
「……そうね。母さんも現実という受け皿なんてなかったな……」
「え……」
なにを言い出すんだろうと思った。
「あるのは地獄のような毎日。朝起きて、夜寝るまで窓からずぅーっと同じ景色を眺めて過ごすの。本当に嫌になっちゃったな……」
「か……母さん? ちょっと……」
ドア越しにぐすぐすと洟を啜る音が聞こえてきた。母の言葉に理解が追いつかない。
友里は楼の動揺などお構いなしに言葉を紡ぐ。
「母さんも毎日つらかった。死んでしまいたいほどにね……」
「母さん!」
いてもたってもいられず、楼はドアを開けた。
友里は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。その姿に楼まで涙ぐむ。
「私もね。楼と同じではないかも知れないけれど……不登校だったの……っ!」
「母さん……ごめっ……ごめんなさい……っ!」
日当たりが悪く薄暗い廊下で親子は静かに抱き合う。
友里は左手首のリストバンドをまくって見せた。そこには、うっすらとなにかで切った傷痕が残っている。それを見た楼は一層激しく泣き始めた。お盆に置いてあるカレーライスが冷めるまで親子は抱き合い、泣き続ける。友里が涙を拭いながら、
「……楼。あの人……石化する直前……私にね。『楼を頼む』って言おうとしたんだと思うの」
「え……」
「頼まれちゃったんだ。こんな大きな息子の羅針盤を。私にできるかな……」
「大きな、って……オレは……小さくて……女声で童顔で……」
友里はにっこり笑ってウインクした。
「そうね。そうかも知れない。でもあなたは心は大きな子なんだから! 自信を持ちなさい!」
そんな言葉を投げかけて、母は息子の背中をばしりと叩く。
佳宏を彷彿とさせる張り手に少し噎せた。
すっかり場の空気が落ち着いたとき、スマホの通知音が鳴る。恐らく瑠々のDMだろう。
楼は友里に断りを入れてからスマホの通知を確認する。
やはり瑠々からのDMだった。
『楼ちゃんディミオスすごいよ!』というメッセージとともにリンクが貼り付けてある。これは大手のニュースサイトのURLだ。嫌な予感しかしなかったが、楼は勇気を持ってリンクをタップする。
『ディミオスが石化した者を集団損壊』
そんな見出しが躍っていた。
「こ、これは……!」
警視庁が全国から一か所に集めて管理していた石像の保管庫が、ディミオスに襲撃されたという。十三歳以上の老若男女問わず損壊され、妊婦も混じっていたとのこと。
瑠々からDMが入った。
『ディミオスカッコいい!』
『なにがカッコいいんだよ! 妊婦の人も犠牲になってるんだぞ!』
楼はすぐさま瑠々に苦言を呈する。すると。
『なによあんた偉そうに! クソリプ魔どもはこの世に存在しちゃいけないのよ!』
『確かにクソリプ魔は厄介だ。だけど彼らだって生きている。生きている限りは命を尊重しなければいけないし、守らなければいけない。ディミオスはその原理原則に反している。違うか?』
『あんな奴らは生きてるだけで二酸化炭素を無駄に排出するしか能がないんだからいい気味だよ!』
『もっと視野を大きく持てよ。お前は小さい頃から極端なところがあった。息を大きく吸って吐いて遠くの景色を見て頭を冷やしてから考えてみろよん』
熱くなり過ぎて最後誤字った。
だが送信してしまったものはしょうがない。
瑠々相手にここまで熱くなるとは思わなかった。
『なによ「みろよん」って! こんなときにふざけないで! もう楼なんて嫌い! 大嫌い‼』
激昂している様子が文章から伝わってきたが、もはやどうしようもなかった。