第5話 瑠々の励まし
楼は自室に閉じこもっていた。
……ここ一か月ろくに食べていない。
思い出される悪夢の瞬間。
ディミオスが盛義の石像を粉々に粉砕し、飛び散った血管や内臓を踏みにじり。回っていたテレビカメラの前で拳を突き上げ名乗りを上げた。
「我が名はディミオス! クソリプ魔は私が砕き尽くす‼」
その光景を楼はただ呆然と眺めているしかなくて。
以来トロールでは『ディミオスはトロールの救世主だ』などと囁かれるようになった。
メディアは連日ディミオスの破壊活動を大きく取り上げ、ディミオスの罪は殺人なのか死体損壊かが議論の焦点として熱く論じられるようになった。そもそも石化した時点で死んでいるのではないか、いやいや石化しているのはまだ命がある状態で「死」とみなすのは早計である……などなど石化と死を巡る楼にとっては実にどうでもいいオハナシが延々と繰り返されているのだ。
あのあと盛義の葬式も執り行ったが、石化した盛義の死体はやはり冷たく、そして重たかった。
あの日トロールの垢の反応が次々と消えてしまっていたのは、本当に石化していたらしい。楼はのちの報道で知った。警察はディミオスと石化させている犯人を全力で追っているのだとか。
部屋を優しくノックする音が聞こえてくる。
「楼ー? お昼ご飯置いとくね。今日はちゃんと食べるのよ?」
扉の向こうからの母の声に、楼は無言で頷いた。何気に机の上を見てみると、楼のスマホが放置されていた。
「トロール……」
盛義があんなものにクソリプを書き込まなければ。ディミオスに見つかっていなければ。今頃盛義は生きていたはずだ。
「父……さ……ん……!」
楼の頬を涙が伝う。ひとしきり涙を流したあと、スマホの通知音が鳴った。
訝りながら楼はスマホを開いた。楼の垢にDMが入っている。
――誰だろう。
トラウマと闘いながらトロールを開く。
『楼ちゃん大丈夫? お葬式のとき以来だけどどうしてる?』
「瑠々か……考えてみりゃオレに連絡してくるのなんてあいつくらいしかいないよな」
ちなみに現在二人の学校はそれぞれ休校となっており、楼たちは『不登校』の称号から逃れられていた。
学校側は「生徒にスマホやパソコンを使わせないで」と通達してきているのだが、楼はそんなのお構いなしに使っている。学校の言いなりになんかなりたくないのだ。
涙を拭い、瑠々のDMに対する返信を考えた。まとまらない思考を必死にまとめようとする。
すると。
『気分転換にどこか遊び行かない?』
瑠々が不器用なりに励まそうとしてくれている。
ここ一か月上がっていなかった楼の口許がかすかに上がった。
『うん』
気が付くとそう返信していた。
玄関のインターフォンが鳴ったのはその返信から間もなくのこと。ずっとパジャマ姿だったので、楼はねずみ色のパーカーと紺色のジーンズに着替え、ショルダーバッグをぶら下げて部屋を出て行った。
部屋の外には友里が作ったサンドイッチが皿に盛りつけられてお盆の上に置いてあったが、どうにも食べる気分になれなかったので「ごめん」と一言だけ言って通り過ぎる。楼が「食欲はないけど気分転換してくる」と言うと、友里はにっこり笑って快諾してくれた。
玄関ドアを開けると、白の生地に黒いストライプが入った長袖Tシャツに黒のスカパンを穿いた瑠々が門前で待っていた。いつものものぐさな瑠々とはまるで違う印象にどきりとする。
今日の幼馴染は素直に可愛かった。
「やほー! 楼ちゃーん!」
「瑠々……お前それ……!」
瑠々はにまっと笑って、
「あ! いま可愛いって思ったでしょ? そうでしょ!」
図星だった。
「いや、あの、えと……」
「もう! 素直に認めちゃいなよ!」
実に楽しそうにからかってくる瑠々。
「か、か、可愛くなんかない! 可愛くなんかないぞ! お前自惚れるなよ! ただちょっとどきっとしただけだ!」
「ま、負けた……楼ちゃんの可愛さに負けたぁ……。無念なり」
「はあ? でさあ、今日はどこまで行くの?」
「まあちょっと街まで行ってさ、ぶらぶらして楼ちゃんの湿気た心に風を送り込もうよ!」
「ところでさ」
「なに?」
「お前そのカッコ寒ない? もう十一月だけど」
瑠々は手を大きく突き出してサムズアップ。
「楼ちゃんは天然だねえ、優しいねえ。大丈夫、あたしの身体は鋼鉄でできてるから!」
街に出ると、人の波が行きかっていた。ディミオスが暴れまわっているとは到底思えない喧騒だ。
「よーし、とりあえずご飯食べようよご飯! どうせまだなんでしょ?」
「お、おい瑠々!」
瑠々に手を引っ張られて、楼は雑踏のなかを小さな歩幅で走る。
走ったのはいつぶりだろうか。それくらい楼の負っていた精神的ダメージは大きかった。
二人はハンバーガーショップに入る。カウンター席に隣り合って座ることに。
期間限定の新メニューが発売されているらしく、楼はそれを頼んだ。ステーキのような肉厚のハンバーグがパンで挟まれている。香ばしい香りが鼻腔をくすぐり楼の腹の虫が大きな音を立てて鳴ってしまった。スマホでトロールをしていた瑠々が噴き出す。
「あははー。楼ちゃんお腹の虫だけは大きいんだなあ!」
「べ、別にいいだろ!」
楼はうっすらと頬を染める。この幼馴染は元気づけようとしてくれているのか、それともからかっているだけなのか。
「……お前飯食う時もトロールなんだな」
スマホを凝視する瑠々を見て楼は呟く。
「いいじゃん面白いんだから。そういう楼ちゃんはトロールしないの? 三日坊主はあかんよ」
「あんな物騒なSNSしねえよ。下手すりゃ石化するんだぞ」
石化しようものならディミオスの鉄球の錆だ。なんのデスゲームなのかと突っ込みを入れたくなる。
「クソリプしなきゃいいだけの話じゃんそんなの!」
「はぁ……お前のその図太さが羨ましいよ」
この小娘は楼の自宅が襲撃されたときも腹を出して昼寝していたらしいから、楼はなかば真剣にそう言ったのだった。
解らないのはディミオスの目的だ。なんだってクソリプ魔を破壊してまわるのだろうか。楼はハンバーガーをひと齧り。
「何人くらい犠牲になったっけ?」
楼が瑠々に訊くと瑠々はバニラシェイクを飲みながら、
「えーっと都内で千人とちょっと」
「石化してるのは?」
「いまんとこ全国で三万人ほどだね。石化してるのは日本人が中心だよ」
瑠々はトロールのタイムラインを眺めながら返事をしてくる。この女はトロール廃人となれそうだ。
楼はオレンジジュースを一気に飲み干す。
「ちょっとオレンジジュースをおかわりしてくるよ」
「あんた小さい頃からホントオレンジジュ―ス好きね。オレンジジュースの霊にでも憑かれてるんじゃないの?」
楼は唇を尖らせて、
「別にいいだろ? おいしいんだから」
そう言って席を立つ。おかわりのオレンジジュースを買ってきた楼が目にしたのは、なにやらガラの悪い革ジャンの男どもに囲まれている瑠々。
「ねえ君どこに住んでるの? 可愛いね~!」
「あたしそういうのお断りなんで」
――瑠々のピンチだ!
……しかし、まさに石化したように身体が動かない。楼の臆病さは間違いなく堂に入っている。
それでもファイティングポーズをとって必死に唇を動かす。
「る、瑠々から離れろ、ぶ、ぶぶ、ぶっ飛ばすぞ……」
自信なげな声に革ジャンどもが一斉に楼のほうを振り向く。
「おいあれ妹か?」
「妹さんも可愛いねえ!」
「俺こっちの妹のほうをもらうわ!」
下卑た面を向けて、革ジャンAがオレンジジュースを持っていた楼の右手を取った。オレンジジュースが床のタイルにぶちまけられる。引っ張り上げられ宙づりになった楼は、
「いやああああぁぁぁ――ッ‼」
と金切り声を上げる。どうでもいいがこの男、いちいちやることなすこと女っぽい。
「楼ちゃん!」
楼の危機を見て、瑠々が助けに入ろうとしたとき、どこからともなく現れた大きなスイカほどの石の塊が革ジャンAのつま先に落下した。つま先を盛大に潰され、革ジャンAがモンスターの断末魔のような悲鳴を上げる。
楼を取り落とした革ジャンAにできた隙を瑠々は見逃さなかった。
「行くよ楼ちゃん!」
瑠々に手を引かれ、楼たちはハンバーガーショップからの脱出に成功する。
「ありがとう瑠々……」
「お礼言うのはあたしのほう! 『ぶっ飛ばす』って言ってくれた楼ちゃん可愛かったよ!」
「どうせならカッコよかったって言ってくれよぉーっ!」
走りながら思った。
――最後の石はなんだったんだろう。誰があんな重そうな物投げてくれたんだ?