第2話 受け入れられない現実
「と……父さ……ん……?」
「あ、あなた……あぁ……」
友里は倒れた。無理もない。楼は味噌汁の椀を持ったまま全身が石化した父を見て意識が遠くなるのを感じた。顔はなにかを必死に訴えようとしている風にも見える。
力なく両膝をつき、両手もついて震える。目の前の現実が受け入れられない。
そのとき玄関のインターフォンが鳴った。どすどすと誰かが入ってきた。楼は咄嗟に石化した父の陰に隠れる。
「たのもー。石岡家の皆さん? 瑠々ちゃん勝手に入ってきちゃいました……ってうわっ⁉」
「な、なんだ瑠々か」
楼が父の肩に手を置き、顔を半分出してホッと溜息を吐くと、
「なんだ瑠々か、じゃないでしょこれなに⁉ おばさん倒れちゃってるけど……その石像は楼が創ったの? また器用に創ったねえ。お椀までよく彫れてる」
「違う! この石像は……どういう訳か父さんが石化したんだ! 持ってたお椀まで石化してさあ……!」
あたふたと身振り手振りで状況を説明するが、瑠々は「解せぬ」といった顔をするばかり。
「……あんたも昨日眠れなかったの?」
「だから! 本当なんだってば! 信じられないだろうけど信じてくれ!」
瑠々は薬指で耳をほじくりながら大きなあくびを吐き出し、ぶすっとした表情を作る。
「あのさ。あたし寝てないからあんまりからかわないでほしいんだけど」
「もう! どうすれば信じてもらえるかなあ⁉」
楼は手を鳥の羽のようにばたばたと上下に動かし、困り果てる。それを見た瑠々は。
「ぷっ。動作がいちいち子供っぽくて可愛い」
「瑠々! オレ困ってるんだけど⁉」
瑠々は空いている椅子にどかっと腰かけた。牛乳パックをむんずと摑み、注ぎ口に直接口をつけて飲み始める。この女はとことん図々しい。
「まったくなんのつもりなのか。一家でこの瑠々ちゃんを驚かそうったって無駄無駄」
そう言ってテレビのリモコンを操作し、チャンネルを回す。
「瑠々! 今は大変な状況なの!」
相変わらず楼は手をばたばたと上下に動かしている。
「大変? うーん、楼ちゃんが可愛すぎて大変だね」
瑠々がたまたまつけたワイドショーで「奇妙な失踪事件」の報道がなされていた。リポーターが事件現場となった場所から人型の石像をバックに中継している。バリケードテープのなかの石像がズームアップされ、大きく映し出された。
『ご覧のように現場には奇妙な石像が残されていたとのことです』
「へー。こんな事件あるんだ。最近物騒だもんなー」
「これ! 父さんみたいに石化した人じゃない?」
瑠々は楼を哀れみの視線で刺して、盛義が食べていたハムをひとつまみ。ふっと鼻を鳴らす。
「次CMになったら帰る」
「瑠々! たぁすぅけぇてぇよぉ~っ!」
楼が地団駄を踏むと瑠々は肩を竦めた。
「あんた【勇者メソテース】でしょ⁉ 勇者だったらお姉ちゃんの助けなんて……いらないよねぇ?」
そこまで瑠々とのやり取りが続いてニュース速報が入った。
『都内で新たに13体の石像を確認』
「げ。けっこう失踪してんじゃん」
楼は誇らしげに小さな胸を張った。
「ほら見ろオレの言った通りだろ⁉ まったく瑠々は子供なんだから!」
「……久々にあんたにムカついた。でも人間が石化なんてする訳がないでしょ! あんたのこともう少し賢いと思ってたけど……」
『被害者の家族は「石化したんだ」と話しているとのことです。どうか気を強く持って下さい』
『石化した⁉ だいぶ動揺しているようですねえ』
まったく信じていないワイドショーの出演者らの話を聞いた瑠々の目の色が変わった。
「え。……ウソでしょ。え……ホントだったの?」
しばらく石になった盛義を眺めやり、自らの顎に手を当てた。さかんに首を傾げている。
「……これ盛義おじさん⁉」
大きくのけ反りながら瞠目して盛義を指差した。やっとこさ解ってもらえた楼は安堵の溜息をふしゅるるると吐き出す。
「え? え? こ? これお、おじさ、おじさん? 盛義おじさん? 理解が追いつかないんだけど。え? え?」
瑠々は盛義の周りを右往左往している。
「ふう。やっと瑠々が信じてくれた。話すらまともに聞いてくれないんだもん」
「楼!」
瑠々が楼の両肩をがばりと鷲摑む。楼の目が点になった。最近二度目。
「この石像があんたの作品じゃなくて盛義おじさんだってことはあんたとあたし、それからおばさんだけの――!」
テーブルの上にある盛義のスマホの通知音が鳴った。楼と瑠々は二人して固まる。
楼は恐るおそるスマホに手を伸ばした。手帳型スマホケースを開き、ロック画面のポップアップ通知を確認する。佳宏からだった。
『明日大雨らしい。ずっと前からそっちに置きっぱにしてた傘今日の夕方取り行く。また騒ごう』
楼と瑠々は顔を見合わせる。
「「ぎゃ――――————————っ‼」」
二人で叫んでも状況が変わるはずはなかった。なお、ワイドショーは次の話題に入っている。
『国民的アイドルの死から四年です。四年前SNSでの誹謗中傷を苦に自殺した聖塚咲夜さん——』
空が茜色に染まって間もなく、その男は宣言通りにやってきた。
「おお楼。また石彫か」
「う、うん!」
佳宏は何故か野球のグローブを二つ持ってきていた。一体なにをする気なのか。
「いや~、まさかかさまで置きっぱなんて。いまの回文解った?」
「う、うわ~、すごい! 回文だね!」
楼は大いに驚いて思わず万歳。
「楼どうした熱でもあるんか」
鋭い。さすがは警視庁の警部。
「ま、まあまあ佳宏さん。これ佳宏さんの傘です。今日はこれでお引き取りを……」
玄関ドア近くに傘を持って立っていた友里がにっこり笑いかけた。
「友里ちゃんそうは問屋も寺田屋も卸しません。今日俺は野球を通じて楼に男を教えてやるのです! 盛ちゃんが帰ってくるまでの間だけ!」
「は、はあ、楼に男を……?」
佳宏は拳をがしりと握りしめ、
「楼は女と見間違うほどの線の細さ。野球に興味を持てば多少は筋肉がついて男に見えるようになるでしょう!」
このオッサンははた迷惑という言葉を知らないらしい。
「ほれ、楼!」
無理矢理グローブを押し付けられ、楼は渋々手にはめる。
「軟球だからな。捕り損ねるとそれなりに痛いぞ」
楼はこういう体育会系のノリが大の苦手だ。
「ほーら。キャッチボールは楽しいなあー!」
佳宏は笑顔でボールを投げてくる。
手を覆うグローブの皮の感触が楼は苦手だ。いますぐグローブを外して逃げ出したい。でもゆっくりと投げてくれる佳宏は存外加減を知っているのかもと感じられた。
「いや~、石ばっか彫ってないでたまにはこういうのもいいだろう? おや? あの石像盛ちゃんにそっくり!」
佳宏は庭の隅にひっそりと置いてある石像を見つけて言った。佳宏のことだから強引に家に上がってくるだろうと思ってやっとの思いで運んで庭の隅に隠したのだが、まさかその庭でキャッチボールをすることになろうとは。
作戦失敗ということで第二プランが発動する。
中折れ帽子を目深に被った女が家の前を通りかかり……門前で泣き始めた。佳宏はぴくりとも反応しない。
反応が見られないので女は大泣きし始めた。
さすがに佳宏は楼にタイムをかけて女のほうへと歩み寄り、
「どうした?」
女に声を掛ける。
「あたし……誰からも綺麗って言ってもらえなくて……」
「俺はいま忙しいんだが」
女は涙を拭う両手で顔を隠している。佳宏はにかっと笑うと女の肩をポンと叩いた。
「女ってのはな、みんな綺麗なものなんだよ」
すすすっと門扉と佳宏の隙間に回り込み、両手を顔から離した女が素顔を見せる。
「これでもぉぉぉぉぉおおおおおおおっ⁉」
耳元まで裂けた口。……のメイク。瑠々が口裂け女に化けて驚かせ、佳宏は血相を変えて逃げ出す――はずだったのだが。
佳宏はいつの間にか庭先で楼とのキャッチボールに戻っていた。
瑠々は思った。このオッサンこそが妖怪だ、と――
すると。楼がボールを捕り損ね、ボールはあろうことか盛義の額にボン、と命中する。
グローブをはめたまま両手を頬に当て真っ青になる楼。友里も同じリアクションだった。
「HAHAHA! これで盛ちゃん似の石像も少しイケメンになっただろう!」
((なにがHAHAHAだ))
このとき母と子は同じことを思っていた。嗚呼、美しき哉親子の絆。その矢先、佳宏が獲物を狩る肉食獣の如く眼を光らせ、楼はただならぬ気配を感じた。
「そろそろ本気出す」
佳宏は右手の軟球を硬球に持ち替え、大きく振りかぶった。左足の裏が天を向き佳宏の股が180度開いた。疾風が巻き起こり、
「食らえ! ハイパー・イケオジ・ドリーム・ダイナマイト・ミラージュ・ソニック・アトラス・ボール‼」
楼は凄まじい風圧を感じる。同時に命の危機も感じた。楼の肉眼では決して捉えられないなにかが猛然と迫ってくる。
「きゃんっ‼」
楼は女の子みたいな悲鳴を上げて咄嗟に伏せた。ハイパー・イケオジ・ドリーム・ダイナマイト・ミラージュ・ソニック・アトラス・ボールは楼の顔があった位置を大きく抉るように弧を描き、ある石像の持っている味噌汁の椀を粉々に吹っ飛ばす。
それこそが楼の父親、盛義の石像だった。