第14話 天啓
楼の意識は徐々に回復しつつあった。
「う……瑠々……」
頭を押さえながら辺りを見回す。
「オ……オレ……?」
ぼやける視界のなか、きょろきょろと首を振って待っているはずの瑠々を捜す。
「こ、ここはどこ? 瑠々もどこ? 瑠々……!」
だんだんと景色が鮮明になってきた。どうでもいいが股間が痛い。ディミオスに思いっ切り蹴り上げられたことを思い出した。あまりの鈍痛にうずくまる。
「あう、あう……よ、よく潰れなかったな……」
ひょっとしたら潰れているかも知れなかったが、四つん這いになって必死に痛みに耐える。耐えること数分。なんとなく顔を上げたとき、大穴が開いている鉄格子が目に飛び込んできた。
「え……? これ……どういうこと……?」
既に瑠々の姿はない。思考が追いつかず、楼は唖然とするばかりだ。
「え……えええぇぇええええぇぇええええええぇえええ‼」
独房の壁には鉄格子の破片が刺さっていた。
「そんな瑠……! ぅ~……!」
急に立ち上がって股間の痛みにまた四つん這いになる。ガタガタと誰かが階段を下りてきた。複数人だ。
「高橋瑠々っ!」
勢いよく鉄扉が開き、四つん這いの楼の尻に扉がクリティカルヒットした。
「はうんっ⁉」
どかどかと研究員たちが入ってきた。
「主任! やはり高橋瑠々がいません……! 石岡楼くんいました!」
スマホを耳に当て、研究員が佳景と通話している。
『そうか! 楼はなにしてる!』
研究員は楼をチラ見。
「……うずくまって股間と右尻を押さえています!」
「そ、そんな恥ずかしい言いかたしないで~!」
間もなく楼は研究員に抱きかかえられて救出された。
「なんで瑠々を真っ先に救出しなかったんだよ!」
楼は佳景の前にあるテーブルを叩く。佳景はスプリンクラーの散水ですっかりびしょ濡れになったレザーチェアを拭きながら楼の話を聞いていた。
研究所内は壁の至る所が黒く変色しており、火の勢いを物語っている。ガソリンが撒かれたらしい。よく全焼しなかったものだが、ここの消火設備は最先端のものが揃っているらしく、そのおかげでなんとかなったという印象だ。ただパソコンなど電子機器が深刻なダメージを受けており、復旧には時間がかかるだろう。
「まあ餅つけ」
「餅なんてついてられないよ!」
楼は再び机を叩く。
「消火活動も大事だろうけど瑠々とオレのこと忘れてたんじゃないの⁉」
「まあ聞け」
「聞かない!」
楼は三度机を叩いた。
佳景は耳を塞ぐ仕草をしてから両の掌を下に向けて上下させ、冷静に、とボディランゲージで伝える。
「瑠々を最初に救出に来てたらこんなことにはならなかった!」
楼が怒っているのは、瑠々がディミオスに奪われたことを佳景から知らされたからだ。
普段から消火訓練をしていなかった研究所のスタッフは突然のディミオスの放火に大わらわ。一人残らず消火活動に参加し、なんとか鎮火したのである。
それでディミオスに瑠々を奪われ、あまつさえ消火活動中の誰もディミオスが近くを通って逃げたことに気付かなかった。あまりにずさんなのだ。
「だって消火訓練なんてめんどくさ過ぎてしてなかったしー、独房の監視カメラ予算ケチって付けてなかったしー……かろうじて生きてたここの監視カメラにディミオスが映ってただけでもいいじゃねえか! これでディミオスが高橋瑠々を奪ったことが明らかになったのであった☆」
「『なったのであった☆』じゃねえよ‼」
楼は机の上によじ登った。ようやく佳景より高い身長になる。
「楼って本当にちっちぇえなあ!」
「気にしてること言うなぁ!」
楼は机を踏み鳴らす。しかしすぐへっぴり腰になって股間を押さえた。……響くのだ。
「楼。梅干し十個くらい口に詰め込んだみたいな顔になってるぞ」
「ディ、ディミオスに蹴られたんだよ……!」
佳景は楼のベルトに手を掛けた。楼は眉根を寄せる。
「な、なにすんだよ?」
「いや、ちょっとどんな風になってるのかなって。診察だよ診察」
楼は真っ赤になって佳景の手を振り払うと、自分の肩を抱いて崩れ落ちた。
「イヤ――――ッ‼ 痴漢! 変態! 少女趣味のすけべ親父――――ッ‼」
「お前女っぽいの気にしてたけどさ。自分で少女の自覚あったのな」
恥じらう楼にもっともな言葉を投げかける。
楼はまだ少し頬を赤らめながらも呼吸を整えると、
「ね、ねえおじさん。瑠々が奪われた訳じゃん」
「うむ」
「追わないの?」
「追うさ。追うよ?」
「じゃあさ……オレも連れてって!」
佳景は渋い顔だ。
「え? やっぱり無理?」
佳景は楼の眼を見た。そんな楼は机の上で自分の肩を抱き、うっすらと頬を染めている。佳景はふうと溜息。
「お前になにができるんだ? 冷静に考えて足手まといだろ」
「な、なんでもするよ!」
佳景は顔をしかめた。
「……具体的には?」
「……石が彫れるよ!」
佳景はシニカルに口の片端を上げ、肩をすくめた。満面の笑みで手を振る。
「じゃあな!」
「ちょっと待ってえ――っ!」
今度は佳景が机を叩いて、
「お前なあ! この非常時に石が彫れてなんになるんだよ!」
楼は眉を八の字にして俯いた。
「だって……オレ石彫しかできない……」
そのとき研究員が駆け寄ってきた。青い顔をしている。
「主任! 大変です! トロールに本物とみられるディミオスの垢ができています!」
「なんだと!」
研究員のスマホを見ると確かに【ディミオス】という垢ができていた。アイコンは鉄球。いままでも【ディミオス】という垢ができていたことはあったが、すべてなりすましだったようでろくな投稿がされていなかったのだ。
大急ぎで【ディミオス】の投稿を確認すると一件だけ投稿があった。
「動画が投稿されているようです」
動画のサムネイルには瑠々の姿が。だが纏っている服がいつもと違った。胸元が大きく開いた漆黒のロングドレスを身に着けている。ミニツインテールを下ろし、髪はロングヘアになっていた。
研究員からスマホを受け取った楼は恐るおそる動画の再生アイコンをタップした。
瑠々のモノローグから動画は始まる。暗闇のなか、こちらに向かって視線を下げた瑠々が喋り始めた。
『トロールは誹謗中傷に溢れている。だから。それをあたしが止める。もう誰も傷つけさせない。あたしにはクソリプを送った人を石化させる力がある……』
楼は圧倒された。
「瑠々……本気で言ってるのか……?」
瑠々は虚ろな目でカメラのほうに顔を向けた。
『これからは――あたしが「世界のルール」です』
「ダメだ瑠々‼」
思わず楼は叫んでいた。【ディミオス】の垢はフォロワー数がうなぎ登りだ。すごい勢いで上がっている。
楼は入口に続く非常階段へと駆け出した。
「おい楼! どこに行く!」
佳景が楼の背中に問いを刺す。楼は立ち止まって背を向けたまま、
「決まってるだろ! 瑠々を助けるんだ!」
「お前はなにもできんぞ。なんの力も持ってないだろ」
佳景の刃のように鋭い残酷なセリフに、楼はこめかみを震わせた。そして――振り返って口を開く。
「はなからオレには力なんてない! でも! やれることをやるって決めたんだ!」
「だったらやってみやがれよ! そのやれることを! なんもねえだろ!」
楼はこのクソがつくオッサンになんとか一泡吹かせられないかと考えて――天啓が舞い降りた。
「おじさん! オレを家に帰して!」
「ああ? 観念したのか? だからお前は歯ごたえのない奴なんだよ!」
楼は両手を拡げた。
「違うよ! オレにできることを見つけたんだ!」
――帰宅した楼は完成しかけていた作品の仕上げに取りかかった。石彫のモデルとコンセプトは急遽変更。
急ピッチでひたすらに彫り、パーツを整えていく。
自分が悔しかった。
なんの力も持たない自分が。
しかし今回こそはなにかが実を結ぶ気配を感じた。
友里は心配そうに見つめていたが、楼は構わず石を彫る。




