第13話 招かれざる者
鉄扉の傍にいた研究員の男性は忽然と姿を消していた。階上からただならぬ気配を感じ、楼は短い脚で必死に駆けてエレベーターを目指すが――
「止まってる⁉」
エレベーターは止まっていたので非常階段で上へと向かう。ぜえぜえ言いながら階段を上がっていると、白い煙が立ち込めてきた。スプリンクラーも作動する。濡れ鼠になって階上の鉄扉を開くと、暗いなか煙が立ち込めて視界を塞いでしまっていた。
濡れて額に張り付いた前髪を搔き上げ、掌で鼻と口を覆う。姿勢を低くすると、楼の赤いバックパックが壁際に立てかけられているのがうっすらと見えた。
「あれは……!」
なかには懐中電灯が入っていたはずだ。
近づいてバックパックをひっつかもうと手を伸ばす。
――背後から楼の喉元に小刀が突き付けられた。
「なっ……⁉」
「動くな」
聞き間違えようもない。鼓膜と脳裏にこびりついた唸るような低い声。
ディミオスだ。
ディミオスが楼の背後を完全に奪っている。
楼の歯がカチカチと鳴り始めた。
「怯えなくても大丈夫。殺しはしないさ。私はクソリプ魔以外は殺さない」
傍には暗いなかでも解るほどに黒光りする鉄球の球が見える。楼は目から涙が溢れるのを必死に我慢していた。
なにも見えないなか、今頃瑠々はもっと怖い思いをしているに違いないのだ。
「ディミオスか。あ、あいにくオレはお前がこ、こわ、怖い訳じゃない」
あくまで平静を装った。上手かどうかは別として。
「おいおい声が震えているよ? この研究所に火をかけた。いま上の階の奴らは消火活動に追われている。ここには誰も来ない。震撼するだろう?」
「こ、これはむ、武者震いだ!」
楼は手に汗が滲むのを禁じ得なかった。この小刀が少しでも頸部を抉ろうものなら、血をぶちまけてあの世行きだ。
「苦しい言い訳だな。それはそうとして私は高橋瑠々様をお迎えにきた。この下か?」
「な、なんで瑠々がここにいることを⁉」
スプリンクラーが作動し続けるなか、楼は背を向けたまま驚愕する。
「知れたこと。以前貴様のショルダーバッグに新型の盗聴器を仕掛けた。どれほど性能がいいか確かめるためだったが、お前らの日常会話からこの研究所へ到るカーナビの音声まですべて丸聞こえだったよ」
楼は唇を嚙んだ。あの大型商業施設での一件からずっと、なにからなにまで筒抜けだったのだ。
「貴様は最初に石化したクソリプ魔の子供だったからな。仕掛けたのが貴様で本当に正解だった。お陰で高橋瑠々様が石化現象の根源ということも知れたから」
ディミオスが鼻で嗤い、辺りを覆う煙が濃くなった気がする。楼は懸命に頭を回転させた。
――なにか現状打破の方法を……! でも怖い……怖い怖い怖い怖い怖い‼
「……私も少しお喋りが過ぎたな。もう一度訊こう。高橋瑠々様は……この下か?」
――楼の目が据わった。
身体を勢いよく反らし、後頭部をディミオスの人中に激突させる。
「ぶはっ……⁉」
ディミオスはベタな悲鳴を上げて握っていた小刀をからりと落とす。だるまがひっくり返るように尻もちをついて仰向けに倒れた。窮鼠猫を嚙むとはまさにこのことだ。
「貴様ッ……!」
鼻の下を押さえながらすぐに起き上がったディミオスは、目の前に突き出された小刀を見て動きを止めた。
「う、動くなディミオス! 大人しく降参しろ!」
ディミオスが取り落とした小刀を握った楼が懸命に叫んだ。切っ先は震えている。
ディミオスは不気味に顔をにやつかせた。震える切っ先を見つめ、立ち上がる。
「蛮勇という言葉を知っているか?」
「ほ、ほ、本気だぞっ! こ、降参しろっ!」
楼は階下に繋がる鉄扉を背にするように移動してディミオスに迫った。
ディミオスは震える楼と切っ先を悠然と見下ろし、素早く身体を捻ると高速の回し蹴りを放った。小刀は根元からぱっきりと折れてしまう。
「あ……!」
「手こずらせてくれたな」
ディミオスが楼の睾丸を蹴り上げた。
「◆☆□●〒@▽⁉」
ディミオスは止まらない。悶絶し前屈みになる楼の首を腋下で捕らえると、ねじ切らんばかりに絞める。
「ぁ……ぐ……! 瑠……々……ぅ……!」
頸動脈を圧迫された楼はあえなく意識を失い、ディミオスはマスク越しにも解る笑みを湛えた。
「おやすみ坊や。いい夢を」
瑠々は楼をじっと待っていた。
独房にまでスプリンクラーが作動し始めたため肌寒い。
「っくしゅん! あうぅ、楼~……! まだ? まだなの? 何が起きてるの?」
足音が聞こえる。それと……鉄の鎖が地面に擦れるような音も。
――楼じゃない。
瞬時にそう思った。
訪問者は静かに告げる。
「高橋瑠々様。お迎えに上がりました」
低く唸るような声音。少女は身体をびくつかせながら声の主に問う。
「その声……ディミオス……?」
ディミオスはくすりと笑って恭しく片膝をついた。
「そうです高橋瑠々様――神よ」
「あ……あたしが……神⁉」
声が裏返ってしまった。
「詳しいことはのちほどお話いたします。いまは追手が迫っているゆえ。……少々鉄格子から離れてください」
「ま、待って! あたしは楼を待ってるの! あなたじゃない!」
ディミオスは食い下がる瑠々の目隠しを摑んで剝ぎ取る。
突如視界が戻り、驚いた瑠々は何度も目をぱちくりさせた。
暗闇のなか瑠々が目にしたのは。
ディミオスとその肩に担がれた幼馴染の姿だった。
「……‼ 楼‼」
肩に担がれた楼はぐったりとして動かない。ディミオスは楼の前髪を鷲摑みにすると、瑠々に向かって突き出した。宙ぶらりんとなった楼が人形のようにゆらゆらと肢体を揺らす。
「口では勇ましいことを言っていましたが……この者は使えません。なんの力も持たない子供です」
「ろ、楼を放して! お願い!」
懇願する瑠々に、ディミオスが目尻を下げる。
「取引をしましょう。神よ。あなたが私の助言に従ってくださるならこの役立たずを解放します。約束しますよ」
瑠々は固まる。
「助言……? どんな……?」
ディミオスは濡れて妖艶に光る不織布マスクをわずかに持ち上げた。
「それは追々説明させていただきます……。さ、鉄格子から離れてください」
瑠々は納得できなかったが、とりあえず鉄格子から離れることにした。
それを見たディミオスは楼を足元に捨てると、引きずってきた鉄球を手に取る。
しばし鉄球を愛しそうに眺めると、思いっ切り鉄格子に向かって放り投げた。ものすごい音がして鉄の球が鉄格子を貫通する。
無残に砕け散り、壁に突き刺さった鉄格子の破片を見て瑠々は肝を冷やした。
「行きましょう。神よ」
ディミオスは独房のなかに侵入すると瑠々を片手でひょいと担ぎ上げ、まんまと外に連れ出すことに成功した。
「ちょ、ちょっと待って! 楼は⁉」
肩の上の瑠々が足をばたつかせる。
ディミオスは瑠々に視線を向けると、
「約束通り解放し、ここに置いて行きます。あんな無能は要りません」
「ええっ⁉ そんなの聞いてない! あたしたち一緒じゃないの⁉」
「早く脱出しましょう。追手が来ます」
ディミオスは小さく溜息を吐くと、一陣の風となって駆けだした。




