第10話 佳宏の謎
「ああ~食った食った!」
たこ焼きをたいらげた佳宏は膨れた腹を満足げにさする。
つまようじを使って歯間に詰まった食べ物のかすを取り除く佳宏に、楼は思い切って訊いてみた。
「ねえおじさん。……オレになにができるだろう」
佳宏は一瞬不思議そうに顔をしかめたが、にっと微笑む。
「お前になにができるかって……? なんかできるのかいまのお前に」
佳宏の鋭い問いに楼は言葉が出てこない。
「そうやって訊いてくる限りはなにもできねえだろ」
――言葉を失った。
しかし。事実だとも思った。
「この大混乱のなか……いち高校生にできることなんてなんもねえわな」
どこまでも空気を読まない佳宏の発言。
「なにかしたいなにかしたい言うわりに。お前なにもやってねえんじゃねえの? ノイジーマイノリティは基本言い訳ばかりで他責だからな。なにか気に入らなかったらすぐ嚙みつく。奴らは大人になれなかった大人たちなんだ。お前も他責なところはノイジーマイノリティと変わんねえよ」
友里は黙って後片付けを始めた。ただ唇は嬉しそうに弧を描いている。
「盛ちゃんの話をしよう」
再び佳宏が人差し指を立てる。
「子供の頃の盛ちゃんを知ってるか?」
楼は戸惑いながら、
「こ、子供の頃の父さん? えっと……」
楼は盛義に彼の子供の頃の話を一度だけ訊いたことがあったが、そのときははぐらかされて結局訊けずじまいに終わっていた。
「盛ちゃんはな、子供の頃から強かったんだぞ」
「……まあそうだよね」
「——というのは冗談で。盛ちゃんはガリガリで弱かったんだ」
「はぇ?」
思わず変な声が出た。
傍では友里が鼻唄を唄いながら食器を片付けている。
「楼。佳宏さんの話。よく聴いてね」
「う、うん……」
母の言葉がなくても、楼には大事な話だと解った。
「盛ちゃんは俺らのグループでケンカも弱けりゃコミュ力も少しあれだったからな。だからいっつもいじめられてた。これじゃダメだって思ったんだろうな、毎朝ジョギングすることから始めて、血の滲むような努力に努力を重ねてついにあの肉体を手に入れたんだよ」
佳宏は一つ咳払い。
「最初から強い奴もいるにはいるが、盛ちゃんみたいに後天的に強くなる奴もいるってことだよ。楼。お前は強くなる努力を……いまを変える努力をしてんのか」
……なに一つ言い返せなかった。
ならばなにをどうすればいいのだろう。
「お前はこれからなんだよ。大事なのは正しい行動を正しく取り続けていくことだ。だからさ……あきらめんなよ」
そう言って佳宏は優しく笑い、ぽんぽんっと楼の頭に手を置いた。
厳しい言辞もあったが、楼は身体の奥底からふつふつと活力が湧き出るのを感じた。
「まあ頑張れ。ふっはっはっはーっ!」
――最後の高笑いは余計だったが。
「高橋瑠々って子。いたろ」
外套に袖を通しながら佳宏が呟く。
「あれと少し話したい」
「えぇー⁉ 瑠々と⁉」
大声を上げてしまった。
「あの紅い目のな。あいつが幼稚園くらいのころからちょくちょく見てたが、紅い目って日本人にしては珍しいだろ」
楼は眉根を寄せた。
「お、おじさんもしかしてロリコン……?」
「なんでそうなるんだ‼ 俺は未成年には食指が動かねえの‼」
しばし静寂が降りた。
「……その高橋瑠々の目なんだが、光ったりしたとこ見たことねえか?」
「えー? どうだったかなあ?」
楼は腕を組んで思い出す。記憶の断片を繋ぎ合わせていると、瑠々宅で瞋恚に染まった瑠々が両の目を見開いたあの瞬間。瑠々の瞳が……光っていたような気がする。
「あー……うん、光ってたような……。でも見間違いじゃないかな」
佳宏の口許が不敵に綻んだ。その様子を見た楼の背筋を冷たいものが走り抜ける。佳宏は構わずに玄関へと向かい、
「楼。ちょっと外行きの準備してくれねえか」
「外行きのって……おじさんなにするの?」
これには友里もいぶかしむような目を佳宏に向ける。
「なあに。使命を果たすのさ」
佳宏は軽い笑みを湛えた。
佳宏に言われ、楼はショルダーバッグだけでなく赤いバックパックも用意した。なかには数日分の着替えを詰め込み、懐中電灯やらなんやらの詰め合わせパックになる。
「こ、こんなもんでいいかなあ?」
一階の佳宏に持ってきたバックパックのなかを見せると、佳宏はサムズアップ。
「上出来だ!」
しかし一体なにをしようというのだろうか。
楼は佳宏に言われた通り、瑠々宅のインターフォンを押す。
『はい?』
「おーい瑠々ー! オレだ! 楼だよー!」
『はーい楼ちゃんね! 残念だけどトロールのブロックは開かないよー!』
「違うって。昨日のお詫び。オレも言い過ぎたよってこと」
『あらそう、素直になっちゃって。やっぱ子供は素直が一番だね!』
無防備に玄関ドアが開いた。
楼は花束を持ち、瑠々の前に立つ。
「ごめん瑠々、昨日は」
瑠々は花束を受け取ると、
「楼ちゃんありがとう。反省したんだね、偉い偉い。でも菊の花束なんてもらっても――」
「これでいいのおじさん?」
庭に潜んでいた佳宏が素早く玄関ドアを押さえる。
「よう高橋瑠々ちゃん。ちゃんと話すのは初めてかもな」
「ちょっ、ちょっと! ハイパー・フケオジのオッサンじゃない!」
佳宏は高笑いしながら瑠々のみぞおちに神速の鉄拳を突き刺す。
「げぼっ⁉」
瑠々は膝から崩れ、菊の花束が玄関タイルの上にべしゃりと落ちた。
「⁉ なんてことを!」
気絶した瑠々に駆け寄る楼の首筋に麻酔銃が撃ち込まれる。
「あうっ……? うぐっ……」
瑠々に重なるように倒れ、眠ってしまった楼の後ろで佳宏はスマホを取り出した。
「あーもしもし。……おう。……おう。……標的の身柄を確保したぞ」
「ノイジーマイノリティは基本言い訳ばかりで他責だからな」
実は作中の佳宏のこの言動には根拠があるのだ。
現実に起きたある大規模なネットでの中傷事件で一度に十九人の加害者が検挙されたが、彼らは身勝手な自己弁護を繰り返し、結局ただの一人も被害者に直接謝罪する者がいなかったのである。ちなみに加害者の年齢は十七歳から四十七歳(当時)。




