第6話 花の髪飾り
公爵家での日々は、エディーナが思っているよりも淡々と過ぎていった。10日が過ぎてもケヴィンとどう接していいかはまだよく分からないが、フィルとの関係は非常に安定していた。
ミレイユはといえば、思い描いていた生活とはいかなかったようで、徐々に機嫌の悪い日が増えていっている。
「まだケヴィンは仕事が終わらないの?」
「そうみたいね」
「いつになったら買い物に行けるのよ……」
ミレイユのがっかりした顔を見て、少しだけ同情を覚える。ケヴィンはミレイユに冷たく接している訳ではないが、それでも仲睦まじくという雰囲気ではない。冷静というか平静というか、丁重に扱っていると言えばそうなのだが、そこに愛情はないように感じる。
(ケヴィンはお姉様のこと、どう思っているのかしら……)
ミレイユが自分よりも美しいのは確かだ。ガーデンパーティーのあの日、ミレイユを見て心変わりしたのだと思っていた。華やかで美しいミレイユを好きになったから、自分との婚約を止めてミレイユと婚約したのだとエディーナは勝手に推測していたのだが、本当はもっと違う理由があるのだろうか。
(私が惨めなのに変わりはないけど……)
姉に恋人を奪われて、その二人と同じ家に住んでいるなんて、本当は嫌に決まっている。
「エディ、少し眠るわ」
「うん、分かったわ」
ミレイユは3時になっても仕事部屋から出てこないケヴィンを待つのを諦めたらしい。ベッドまで車いすを押すと、ミレイユはのそのそとベッドに入り目を閉じてしまう。
「おやすみなさい、お姉様」
掛け布団を綺麗に整えエディーナは小さく声を掛けると、静かに部屋を出た。
思いがけず自由時間になり、とりあえず自分の部屋に戻ろうかと思ったエディーナだったが、窓の外の良く晴れた青空を見て、庭でも散歩しようかと行く先を変えた。
ミレイユがおらず自分のペースで歩けることに小さな喜びを感じつつ、一人でのんびり歩いていると、美しい花が咲き乱れる場所に出た。
「綺麗……」
名前も知らない花が、色とりどり咲いている。甘い匂いも漂っていて、エディーナは笑みを浮かべて歩いていると、ふいに花の陰からフィルが顔を出した。
「フィル」
「エディ、あれ、一人かい?」
「ええ。お姉様はお昼寝中よ」
フィルに笑顔で答えると、その隣からもう一人がひょこっと顔を出した。白髪交じりの髭を蓄えたおじいさんは、目尻に深い皺を寄せてエディーナに笑顔を向ける。
「おや、あなたは、フィルと結婚したっていう……」
「あ、はい。エディーナといいます」
「ああ、そうそう。エディーナ様だ」
優しそうなおじいさんはにこにこと笑いながら頷く。
「エディ、この人は庭師のボブだよ」
「いやぁ、フィルが貴族の娘さんと結婚したと言っていたが、こんな可愛らしい人とは。良かったなぁ、フィル」
「いや……、うん……」
フィルが困ったように頷くのを見て、なんだかおじいさんと孫のような二人の姿にほのぼのとした空気を感じた。
「ボブさんは長くここに勤めているんですか?」
「ああ、そりゃもう15の時からだから、かれこれ40年は経つますなぁ」
「40年、長いですね」
「俺に色々教えてくれた、優しい人だよ」
「まぁ、そうなの……」
フィルとボブが目を合わせて笑い合う。それだけで二人の関係性がよく分かるような気がして、エディーナも微笑んだ。
「ああ、そうだ。ちょっと待っていて下さい」
そう言うと、ボブは持っていたハサミで花を切っていく。そうして花束を作ると、エディーナに差し出した。
「結婚祝いと言っちゃあなんですが、持って行って下さい」
「え、でも……、私がもらっちゃ……」
公爵家で育てている花を勝手に貰っていいのか迷っていると、フィルが笑って首を振った。
「大丈夫だよ。ここの花は屋敷に飾るためのものじゃなくて、花の改良のためにボブが旦那様からもらった花壇なんだ。誰に上げようと怒られないよ」
「あ、そうなのね……」
それを聞いて安堵したエディーナは、笑顔で花束を受け取る。
「ありがとう、とっても素敵……。どこに飾ろうかしら……」
「自分の部屋に飾ればいいさ」
そう言ったフィルは、白い花を一本切ると、エディーナの髪に挿してくれる。
「髪飾り、付けてないからさ……」
驚いた顔を向けたエディーナに、フィルは照れた顔で笑う。
その顔に釣られるようにエディーナも顔を赤くすると、ボブが楽しそうに笑った。
「なんだ、旦那様の命令で結婚した割に、仲良さそうじゃないか。ああ、良かった良かった。フィル、ここはもういいから、二人でお茶でもして来なさい」
「え、でも、手伝いを……」
「後は私一人でできるさ。さぁ、行った行った」
ボブに背中を押されたフィルは、エディーナと顔を合わせると肩を竦めた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……、家でお茶でも飲もうか」
「ええ、そうね」
エディーナが笑顔で頷くと、二人で家に戻った。
家に戻ったエディーナは花瓶に花を活けると、食卓の真ん中に飾った。
「自分の部屋に飾らないのか?」
「お義母様にも見せたいし、ここでいいわ」
「そっか……」
フィルが紅茶を入れてくれて、二人向かい合って座るとお茶を飲んだ。
こんな時間に二人でゆっくりするのは初めてで、なんだかすごく嬉しかった。
「美味しい……。フィルは紅茶を入れるのも上手なのね」
「そうかな……。仕事だから色々勉強はしているけど……」
「努力家なのね」
それから二人でしばらくの間、他愛無いおしゃべりをした。ぎこちなさも随分取れて、エディーナは緊張せずにフィルの顔を見ることができた。
そうして話しているとエディーナは、フィルのシャツの袖がほつれているのに気付いた。
「あ、ねぇ、フィル。袖がほつれてるわ」
「え、あ、ホントだ」
「繕っておきましょうか?」
「ああ、助かる」
エディーナの言葉に、フィルはその場でボタンを外しシャツを脱いでしまう。まさか目の前で脱ぐとは思わず、エディーナは慌てて両手で顔を覆って下を向く。
「え、あ、すまない!」
「う、ううん……。えと、新しいシャツを着てきてくれる?」
慌てて謝るフィルの声を聞きながらも、下を向いたままそう言うと、フィルが席を立って2階に上がっていく音がする。そこでやっと顔を上げると、テーブルの上のシャツを見た。
(あー、びっくりした……)
男性の裸なんて見たことがないから驚いてしまった。まだ少し頬が熱いまま、キッチンに置いてある裁縫道具を出すとほつれた場所を縫い始める。
そうこうしている内にフィルが上から戻ってきた。
「こんな感じでどうかしら?」
あっという間に縫い終わったエディーナが、そう言ってシャツを差し出すと、フィルは感心したように頷いた。
「ありがとう、これで十分だよ。綺麗な縫い目だ。エディは裁縫が得意なんだな」
「お姉様の着る物は大抵私が直してるから、自然とね……」
シャツをフィルに手渡すと、エディーナは裁縫道具を片付けた。時計を見ると、庭に出てからちょうど1時間ほど経っている。
「そろそろお姉様の様子を見てこなくちゃ」
「そうか」
エディーナは家を出て歩きだすと、さっきの時間のことを思い返して笑みを浮かべる。
(素敵な時間を過ごせたな……)
お互い忙しくて、ゆっくり話す時間なんてそれほど取れなかった。向かい合ってお茶を飲んで、他愛無い話をして。たったそれだけでもとても嬉しい。
フィルと話せば話すほど、良い人だと感じる。いつも穏やかで機嫌が悪いところを見たことがない。朝から夜遅くまで仕事をしているのに、母親の世話も手を抜くことがなく、いつ寝ているのかと不思議に思うほどだ。
真面目で誠実で優しくて、本当に素敵な男性だ。
(本当にフィルで良かった……)
そう思いながらミレイユの部屋に向かうと、静かにドアを開けて中に入った。
ミレイユはまだ眠っているのか、室内は静かなままだ。エディーナは起きるまで待っていようと、ソファに座りポケットからノクスを取り出した。
「ノクス、フィルってとても良い人みたい」
『良かったね』
「うん」
「まだその古い人形に話し掛けてるの?」
ふいに声がして顔を上げると、ミレイユが呆れた顔でこちらを見ていた。
エディーナは慌ててポケットにノクスを仕舞うと立ち上がる。
「起きてたの、お姉様」
「気味悪いから、独り言はやめなさいって言ってるでしょ」
「ごめんなさい……」
ミレイユは起き上がりながらそう言うと、大きなあくびする。エディーナが車いすを持っていくと、ベッドから降りて車いすに移った。
「そうだわ。今度舞踏会に赤いドレスを着ていくから、新しく買ったレースを胸元に付けてちょうだい」
「分かったわ。ちょっと待ってて」
エディーナはクローゼットから赤いドレスとレースを取り出すと、ミレイユの元に戻ってくる。
「どんな風にしたい?」
「そうね。二重か、三重にしたいけど、それだけじゃ芸がないわよね」
「レースでリボンを作って、真ん中に宝石を付けるのはどう?」
「そうねぇ……」
エディーナはイスに座るとミレイユの言う通り、まち針でレースを仮止めしていく。ミレイユの好みは把握しているので、できるだけ派手に見栄え良く形を作っていく。
「こんな感じでいい?」
背後にいたミレイユに振り返ったエディーナは、ミレイユの手に白い花があってハッとした。
「なぁに、これ」
「あ……、それは、フィルがくれたもので……」
「ふぅん……、随分仲が良くなったのね」
「そんなこと、ないけど……」
エディーナが小さな声で答えると、ミレイユは眉間に皺を寄せて持っていた花をグシャッと握り潰した。
「あ……」
「明日までにやっておきなさい。分かったわね」
「はい……、お姉様……」
ミレイユは潰れた花を床に捨てて言い放つ。
エディーナは言い返すこともできず、床に落ちた花を見つめ、悲しげに眉を歪めた。