第5話 1日目
その日の夜はなかなか寝付けなかった。これからどんな生活が待っているのか不安ばかりが募って、見慣れない室内を見回しては溜め息を吐いた。
それでもいつの間に眠っていたのか、気付くとカーテンの隙間からは明るい日差しが差し込んでいた。
(私って案外図太いのかしら……)
エディーナはなんやかんやでよく眠れた自分に少し呆れつつ起き上がった。カーテンを開けて、それからクローゼットを開けて服を取り出した。
今までも着替えは一人でしていたから手慣れたものだ。髪型もミレイユの髪をセットするために自分でたくさん練習をしたから、纏めるのなんて簡単だ。
そうして自分の支度をあっという間に整えると、部屋を出て恐る恐る階段を降りた。
キッチンに行くと、テーブルの上にはもう二人分の食事が用意されていた。エディーナが驚いていると、フィルが玄関から入ってきた。
「お、おはよう、フィル」
「おはよう、エディ」
「もう起きてたのね。私、寝坊しちゃったかしら?」
エディーナがそう言うと、フィルは笑って首を振る。
「早いくらいだよ。これから起こしに行こうと思ってたんだ。食事にするかい?」
「ええ」
二人でテーブルに座ると、グラスに水を注いでくれる。
「使用人用の食事で悪いけど……」
「ううん、これで十分よ」
パンとチーズと卵、それに温かいスープもある。随分質素ではあるが、食べてみるととても美味しい。なによりミレイユがいないから、自分のペースで食べられるのが一番嬉しかった。
「お義母様は一緒に食べないの?」
「そろそろ起きるだろうから、後で持っていく」
「それなら私が持っていくわ」
「エディが?」
「うん」
昨日はあんな風に言われてしまったけれど、やはり同じ屋根の下に住む以上、打ち解けたいという気持ちがあった。
自分の食事が終わると、エディーナはノアの分の食事を持って部屋に向かった。
「おはようございます、……お義母様」
ほんの少しだけ『お義母様』という呼び方に躊躇しながら呼び掛ける。すると、中から落ち着いた声で「入ってちょうだい」と返事が聞こえた。
「失礼します。朝食を持ってきました」
ドアを開けて中へ入ると、ノアはちょうど起き上がるところだった。
エディーナはトレイをテーブルの上に置くと、イスの背凭れに掛けてあったショールを手に取った。ノアの背中を支え起き上がるのを助けると、その肩にショールを掛ける。
「寒くありませんか?」
「……ええ、大丈夫よ」
ノアの返事を聞いて小さく頷くと、ベッドテーブルを用意して、その上に皿を並べた。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
「……ありがとう」
ノアの表情が少しだけ和らいでいるように見えて、エディーナはホッとすると部屋を後にした。
(良かった……、冷たい態度を取られるかもと思ったけど、ありがとうって言ってもらえたわ……)
「エディ、母の様子はどうだった?」
「大丈夫。起き上がって食事をしているわ」
「……何か、言われたかい?」
「ううん。ありがとうって言ってもらえたわ」
「そうか……、良かった」
「うん」
フィルのホッとした表情にエディーナは笑みを浮かべる。
「心配してくれていたのね」
「あ、いや……」
「ありがとう」
エディーナがそう言うと、フィルも柔らかく微笑む。
「さてと、俺はそろそろ仕事に行くよ。エディは?」
「私もお姉様を起こしに行くわ」
「そうか。じゃあ、行こうか」
「ええ」
お互いぎこちなくではあるが、笑顔で会話をすると二人で家を出た。
フィルとはそこで別れ、エディーナはミレイユの部屋に向かう。
「おはよう、お姉様」
ドアをノックしても返事はなく、静かにドアを開けるとベッドに寄る。もう一度同じように声を掛けると、眉間に皺を寄せてミレイユが目を開けた。
「うるさいわね……」
「おはよう。よく眠れた?」
「……見れば分かるでしょ」
眉間に皺をさらに深くしてミレイユが答える。起き上がるのを手伝うと、肩にショールを掛けた。
「今日はどのドレスを着る?」
「……水色のでいいわ」
「分かったわ」
エディーナは頷くと、大きなクローゼットから水色のドレスを出してくる。鏡の前に髪飾りやアクセサリーを並べると、車いすを押してベッドに戻った。
「エディ、あなた、あの小さな離れの家で寝たの?」
「ええ、そうよ」
「……よくあんなあばら家みたいなところで眠れるわね。信じられない」
エディーナは返事はせずに、ミレイユを車いすに移す。
(私もちょっと驚いているもの……)
ちょっとベッドは固かったけれど、居心地はそれほど悪くなかった。
(フィルも優しい人だったし……)
それがきっと一番の要因だろう。妻になったのだからと、強引に手を出してくるような男性でなくて本当に良かった。狭いけれど自分の部屋はあるし、しばらくはやっていけそうな気がする。
「あなたはよく眠れたみたいね」
「そんなことないけど……」
「……あの使用人とは話したの?」
「ええ。優しい人みたいで、すごく気を遣ってくれたわ」
鏡越しに答えると、ミレイユは呆れた顔をして肩を竦める。
「当たり前よ。あなたは伯爵令嬢よ? 使用人からしてみたら、雲の上の人間みたいなものじゃない。そりゃ気を遣うわよ」
「そんなものかしら……」
「まぁ、いいわ。早く支度を終わらせてちょうだい」
「うん」
そう言われてエディーナは手早くミレイユの支度を済ませると、食堂に向かった。
「おはよう、ケヴィン。良い朝ね」
「おはよう。ミレイユ、エディ」
「……おはよう」
笑顔で挨拶するケヴィンから、エディーナは視線を逸らして小さく返事をした。
(ケヴィンはこの状況をどう思っているのかしら……)
少しでも自分に対して罪悪感があれば、こんな風に笑顔で話し掛けてきたりはしないはずだ。ということはケヴィンはもう自分のことを何とも思っていないということなのだろうか。
(どんな顔をしていればいいのよ……)
無視することもできず、笑うこともできず、ただエディーナは居心地の悪さだけを感じて俯いた。
「ねぇ、朝食はこれだけ? 私いつも朝はフルーツを食べるんだけど」
「我が家はいつもこれだけだ」
ミレイユの言葉に、ケヴィンはムスッとした顔で答えると、それきり黙ってしまった。
「ね、ねぇ、ケヴィン。私、街で買い物がしたいの。今日連れて行ってくれない?」
「今日は仕事が忙しい」
「じゃあ、明日でもいいわ」
「……君のその足じゃ買い物なんて無理だろう。家で大人しくしていた方がいい」
「でも、」
ミレイユの言葉を遮るようにガタンと音を立てて立ち上がったケヴィンは、そのまま無言で食堂を出て行ってしまう。
その後ろ姿を見て、ミレイユは頬を膨らませた。
「何よ! あの言い方!」
ミレイユは怒りを露わに声を荒げると、エディーナを睨み付ける。
「ケヴィンっていつもあんなに意地悪なの!?」
「そんなことないと思うけど……」
少なくとも自分と会っていた時は、あんな答え方をするケヴィンを見たことがない。
(でも……、私だってケヴィンのこと、何も知らないのと同じだわ……)
何回か舞踏会で会って、手紙をやりとりして、たったそれだけだ。エディーナは優しい人だと思っていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。
「今日はたまたま機嫌が悪かったのかも。また今度お願いしてみたら?」
「……そう、そうね……、そうするわ」
エディーナが宥めるように言うと、ミレイユは溜め息を吐いて頷いたのだった。