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【電子書籍化記念】幸せな日々

この度、アマゾナイトノベルズ様より電子書籍化させていただくことになりました!

その記念に番外編を書きました。これだけでも読めますが、電子書籍に収録された番外編を読んでいただくと、さらに楽しめる内容ですので、ぜひ購入していただけると嬉しいです!

 エディーナがエシレーン王国に来て1ヶ月が過ぎた。

 聖女の修業のため、花の神殿で暮らし始めたが、王妃としての勉強や仕事のために神殿と城を行き来する日々にもやっと慣れてきた。

 今日は城で学者からエシレーンの歴史を学んだ。1年後には結婚式を挙げ、正式に王妃になる。その前にできるだけ国の知識や習わし、習慣を覚えなくてはいけない。


「ルシア様、神殿に戻られる前に、少しよろしいでしょうか」


 やっと勉強時間が終わり、自室でお茶を飲んでいると、侍女として働いてくれているマーレという男爵令嬢が声を掛けてきた。


「ええ、いいわ」

「ルシア様はエシレーンの女性が皆、ドレスに刺繍をするのをご存じでしょうか」

「ええ、知っているわ。このドレスに入っている刺繍も、どなたかのお手製なのでしょう?」

「はい。市民はすべて自分で刺繍をするのですが、貴族の女性は、主にウエストベルトと、それに吊るしているポーチにのみ刺繍をいたします」


 エディーナは自分のドレスを見下ろし、ウエストベルトに吊るされたポーチを手に取る。

 これはエシレーンのドレスを初めて着た時に教えてもらったのだが、このポーチは冬には温かい石を入れ、夏にはハーブを入れるという実用的でありながら、おしゃれな飾りだった。


「そしてウェディングドレスにもこの刺繍をつけるのです」

「ウェディングドレスにも?」

「はい。白い生地にお好きな花の刺繍をするのが習わしなのですが、それと同じ形の刺繍を夫となる者の襟にもいたします」

「あ、じゃあ、フィルの襟にも私が縫うのね」


 自分で結婚式の衣装を作れるなんてなんだか素敵だわとエディーナが思っていると、マーレが分厚い布製の本を差し出した。


「この本はこの国で使われる刺繍のパターンの見本表です。どうぞ、ご覧になってみて下さい」


 エディーナは本を開くと、色とりどりの刺繍に目を輝かせる。

 刺繍の横には縫い方の説明が書かれており、少しだけ読んでみるとなかなかに複雑なようで、裁縫が得意なエディーナでも軽く読んだ程度では分からないものばかりだった。


「これはすべてエシレーンに実際に咲く花がモチーフになっています」

「どれを選んでもいいの?」

「もちろんです。自分の好きな花を選ぶ者もいますし、花言葉を参考にする者もいます」

「花言葉?」

「はい。例えば、こちらの赤い花は、永遠の愛。こちらの薄青の花は長寿。白い花は幸福が訪れる、ですね」

「なるほど……」


 結婚式はまだ1年は先だと思うけれど、こうしてウェディングドレスの話をしていると、なんだか今からドキドキしてくる。


「まずは手慣らしに何か簡単なものを練習してみるのがよろしいかと思います。ウェディングドレスをご用意するのはまだ先のお話ですが、ルシア様はとてもお忙しいので、今からコツコツ始められた方がよいかと」

「そうね、確かに。でもこんなにたくさんあると、迷ってしまうわ……」

「では、実物を見ると選びやすいかもしれませんね」

「実物?」

「エシレーンに咲く花は、神殿の周りの花畑に大半が咲いていますから、探せばどれも見つけられると思いますよ」

「へぇ……」


 それから馬車の用意が整ったという知らせが来て、城を出る準備をしていると、マーレが「あ」と声を漏らした。


「どうしたの?」

「いえ、ルシア様はご婚約はミランにいた時にされたのですよね?」

「ええ、そうよ」

「ああ、では、殿下にポーチを贈られてはいないのですね?」

「ポーチを? どうして?」


 エディーナが訊ね返すと、マーレは自身の腰のポーチをそっと持ち上げた。


「この国では、男性から結婚を申し込まれると、女性は了承の返事の代わりに、刺繍をしたポーチを男性に贈る風習があるんです」

「まぁ、素敵……」

「男性はそのポーチを腰に吊るし、結婚が承諾されたことを周囲にアピールするのですよ」

「そんな風習があるのね」


 この国の風習はどれもとても素朴で、心が温かくなる。買ったものを贈るより、なんだかとても心がこもっている気がする。


(あ、そうだわ!)


 マーレの話を聞いて、エディーナはよいことを思い付いた。

 そうしてワクワクした気持ちで神殿に帰ると、聖女の修業の後、夕方になって花畑に飛び出した。


「どれがいいかしら……」


 本を片手に、ゆっくりと花畑を歩く。

 エディーナの好きな色は濃い色より淡い色だ。ドレスもそういう色のものを好んで着ていた。


「本当に色々あって迷っちゃうわね」


 立ち止まると、その場にしゃがんで本を開く。

 薄紫色の小さな花が綺麗で、本をペラペラとめくると、花にそっくりな刺繍を見つけた。そこには「永遠にあなたのもの」という花言葉が書かれている。


「うーん、素敵だけど、ちょっと違うかな」


 視線をうろつかせ、花を選んではページを捲り花言葉を確認する。

 なかなかピンとくるものに出会えず、あれもこれもと調べていると、背後から近付いてくる足音が聞こえてきた。


「エディ」


 名前を呼ばれて振り返ると、フィルが笑顔で手を振る。

 パッと立ち上がったエディーナは、フィルに駆け寄った。


「今日は来る予定じゃなかったはずよね?」

「ああ。町で仕事をしていて、ちょっと立ち寄ったんだよ」

「そうだったの。会えて嬉しいわ」

「俺もだ」


 エディーナが笑ってそう言うと、フィルも笑って頷く。


「休憩かい? 随分熱心に花を見ていたようだけど」

「あ、え、ええ、そうなの。ミランでは見たことのない花が多いから、珍しくて」


 エディーナは慌てて本を後ろに隠すと、適当に話を誤魔化した。

 フィルは別段疑う素振りも見せず、その場に膝をつくと花を見下ろす。


「確かに、エシレーンとミランでは土地の高低差がかなりあるから、花の種類も違うんだろうな」

「あ、ねぇ、フィルは好きなお花とかある?」

「好きな花? うーん……。これかなぁ」


 悩みながらフィルが手を伸ばして摘んだ花は、薄黄色の小さな花だった。八重咲きで花びらが何枚も重なっていて、黄色のグラデーションがとても綺麗だ。


「これが好きな花なの?」

「好きというか、エシレーンのどこにでも咲いている花なんだ。寒さにも強くて、真冬以外はいつでも見掛ける。女の子たちはみんなこれで花冠を作ったりして遊ぶんだよ」

「へぇ……」


 エディーナが感心していると、フィルはその摘んだ花を髪に挿してくれる。


「前にもこうして花をくれたわね……」

「そうだったな……」


 まだ二人が出会ってまもない頃のことを思い出し、エディーナはフィルを見上げた。

 あの頃はまだ、フィルがどういう人か分からず、不安でたまらなかった。けれど今は、心の底からフィルを愛しいと思っている。

 こうして見つめられると、幸せで胸がいっぱいになった。


「フィル、あのね――」

「殿下!」


 エディーナが口を開いた途端、背後から兵士の声が掛かった。

 フィルが振り返ると、兵士は敬礼して「城に戻るお時間です!」と告げる。


「時間か……」


 溜め息混じりに呟くフィルに、エディーナは笑顔を作ると、背伸びしてフィルの頬にキスをした。


「来週また城に行く予定があるの。その時、またお話しましょ」

「ああ、分かった。楽しみにしている」


 フィルもエディーナの頬にキスをすると、名残惜しい顔をしながらも、兵士と共に花畑を去って行った。

 その背中が見えなくなると、エディーナはその場で本を開いた。


「あった。これだわ」


 可愛い刺繍の隣に書かれていたのは「幸せな日々」という花言葉。それを見たエディーナは、パッと笑顔になると小さく頷いた。



◇◇◇



 それから城に行く日まで、エディーナはどうにか時間を作り、ポーチに刺繍を施した。

 一週間後、出来上がったポーチを持ってエディーナは城に向かった。


「マーレ、ちょっと見てほしいものがあるの」

「何でございますか?」


 エディーナはそう言うと、おずおずとポーチを差し出す。それを見たマーレは目を輝かせた。


「まぁ! 刺繍をなさったんですか?」

「ええ。マーレの話を聞いて、フィルにあげたいと思って」

「素敵ですわ! それにとてもお上手で驚きました」

「本当? 変なところはない?」

「いいえ。初めてとは思えないほど、素晴らしい出来栄えだと思います」

「良かった……」


 エディーナはホッと胸を撫で下ろす。


(ずっとミレイユのために裁縫をしていたけれど、まさかこんな風に役立つなんて思わなかったわ)


「今日お渡しするのですか?」

「うん。会えるといいのだけどね」


 エディーナは頷きながら、テーブルの上の時計を見つめた。

 少しでもフィルと話せる時間があれば渡そうと思っていたが、そう上手くはいかなかった。

 フィルの仕事はなかなか終わらず、結局エディーナは神殿に帰る時間になってしまった。


(仕方ないわね。仕事なんだもの……)


 ポーチを渡すのは今すぐでなくても別にいいのだ。ただ少しわくわくしていた気持ちがしぼんでしまって、エディーナは溜め息をつくと自室を出た。

 そうして前庭に停められた馬車に乗り込もうとすると、フィルが馬に乗って走ってきた。


「エディ!」

「フィル!」


 やっと会えたとパッと笑顔になったエディーナに、フィルは馬に乗ったまま近付くと目の前で馬を止めた。


「エディ、神殿まで送る」

「え? う、馬で?」

「ああ。乗って」

「ええ?」


 エディーナが戸惑っていると、フィルは一度馬から降り、エディーナを軽々と抱き上げると馬に乗せてしまう。自分もまた馬に跨ると、何も言わず走り出した。


「キャッ!」

「しっかり掴まって」


 それほど早くはないが、馬に乗ったことのないエディーナは振り落とされそうで、慌ててフィルに抱きついた。

 城から出て城下町を抜け街道に入ると、少しだけ速度が緩みフィルの顔を見上げる余裕が出た。


「突然どうしたの?」

「こうでもしないとなかなか二人きりになれないだろ?」

「それはそうだけど……、ちょっと恥ずかしいわ」


 馬の上とはいえ、隙間もなくぴったりと抱き合っているのは、なんだかとても恥ずかしい。

 それに城下町を抜ける時、すっかり市民にこの姿を見られてしまった。


「いいじゃないか。仲が良いのを悪いと思う人なんていないさ」

「もう、フィルったら……」


 フィルは笑顔でそう言うと、エディーナの額にキスを落とす。

 その優しい笑みにエディーナも微笑むと、ギュッとフィルを抱き締めた。

 あっという間に神殿に到着すると、フィルはエディーナを優しく馬から降ろした。


 「フィル、これを貰ってくれる?」


 ずっと手に持っていたポーチを差し出すと、フィルはキョトンとした顔でポーチを見下ろす。


「これは?」

「えっと、私が刺繍したの。エシレーンの風習にあるんでしょ? 婚約のお返事に刺繍したポーチを渡すって……」


 もじもじと下を向いてエディーナがそう言うと、フィルはやっと意味が分かったのか、ゆっくりとポーチを掴んだ。


「あ、そうか……。そうだったな……」

「マーレが教えてくれたの。ウェディングドレスに刺繍をする話をして、それで婚約する時のことも聞いて、私もフィルにポーチをあげたいなって……」


 なんだか勢いで作ってしまったのがいまさら恥ずかしくなってきて、言葉尻をごにょごにょと濁していると、突然フィルが抱き締めた。

 ギュッと力強く抱き締められて、エディーナは驚いた。


「フィル?」

「ありがとう、エディ。とても嬉しいよ……」

「本当?」

「うん。忙しいだろうに、俺のためにこんな……」


 声を震わせて言うフィルに、エディーナは微笑む。


「この花、ポーラって花なんですってね。花言葉を知ってる?」

「花言葉?」

「この花はね、『幸せな日々』っていう花言葉なんですって」

「幸せな日々……」


 エディーナはフィルの胸に頬を寄せて目を閉じる。


「私、今とっても幸せなの。それがずっと続けばいいなって。それにね、国中に咲いている花なら、それこそ皆が幸せな日々になったらいいなって思って、この花を選んだのよ」

「そうか……」


 フィルは静かに返事をするとそっと腕を離し、手に持っていたポーチをベルトに吊るした。


「どうだい?」

「これで正真正銘、私たち婚約したことになるのね」

「昔、若い騎士がこれ見よがしに腰に吊るしたポーチを自慢していた気持ちが、今ならよく分かるよ」

「そうなの?」

「今すぐ城に帰って、皆に見せびらかしたい」

「もう、フィルったら」


 子供みたいな顔でそう言うフィルについ笑ってしまうと、フィルはまたエディーナを抱き締めた。

 そうして額を付けて間近で微笑み合うと、柔らかくキスを交わしたのだった。

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