第32話 聖女の娘
「わ、私が……、聖女の……娘?」
「そうだ、エディーナ。君は聖女フォルトゥナの忘れ形見なんだ」
突然そんなことを言われてもエディーナは信じられなかった。自分はエシレーン王国にはまったく関係がないと思っていた。今、この場にいるのが申し訳ないと思うほど疎外感を覚えていたのに、突然話の中心に置かれて戸惑いの方が大きく、実の母親が分かったことの嬉しさはまだ感じられなかった。
「マリウス、エディーナがフォルトゥナの娘だと、どうして分かったの?」
「フォルトゥナが身を寄せていた小さな教会に、日記が残されていたのです」
そう言ってマリウスは懐から本を取り出した。
「教会の年老いた司祭が保管しておいてくれていました。ここにすべてが書かれています」
マリウスから日記を受け取ると、エディーナはそっと日記を開いた。
中には流れるような細い文字が綴られている。繊細な文字はフォルトゥナの性格が垣間見える気がした。
「エディーナがユゴー伯爵に預けられたのは、エディーナの身の安全を思ってのことだったようです。いつカルドナに見つかるか分からない逃亡生活の中で、エディーナだけでも安全に暮らして欲しいと手放すことを決めたのです」
「フォルトゥナはなぜ亡くなったの?」
「エディーナを産んでまもなく病になったようで、半年ももたなかったようです。エシレーンからミランまでの長旅で、身体を壊していたのでしょう……」
「フォルトゥナはユゴー伯爵といつそんな仲になったのかしら……。エシレーンにいた頃は、だって……」
ノアが首を捻ると、マリウスは苦笑して首を振った。
「エディーナの父親はユゴー伯爵ではありません」
「え!?」
エディーナが驚いて声を上げる。ノアとフィルもまた目を見開いて驚いていた。
「……エディーナの父親は、私です」
「え……」
目の前のマリウスはそう言うと、優しく微笑む。
エディーナは呆然とマリウスを見つめる。
「まさか……、あなたが? 確かにフォルトゥナとあなたは婚約していたけれど、戦争で結婚式が延期されて……」
「そうです。戦争が終わったら、すぐに結婚しようと約束していました。……けれど、戦争は終わらず、敗戦の色が濃くなり、聖女を逃がすことになったのです。聖女だけは殺されてはいけないと、陛下は私にフォルトゥナを連れて逃げるように命じられました」
「そんなことが……」
「私はフォルトゥナを国境まで送った後、戦線に復帰するつもりでした。陛下と王太子殿下がまだ戦っているのに、私一人逃げる訳にはいかなかった。それをフォルトゥナも分かっていたのでしょう。だからたった一日だけでも夫婦になろうと、二人だけで式を挙げたのです」
マリウスの話にエディーナは眉を寄せる。戦争によって引き裂かれた二人が、どんな思いで結婚式を挙げたか。それを思うと胸が苦しくてたまらなかった。
「そうして私はフォルトゥナと女官たちを連れて国境へ向かいました。しかし途中でカルドナの兵士たちに囲まれ、フォルトゥナを逃がすのが精一杯だった。その後、国境越えの間に女官たちは一人また一人と亡くなり、結局ミラン王国に辿り着く頃には、フォルトゥナは一人になってしまった」
「なんてことなの……」
「その頃にはフォルトゥナは自分の体に新しい命が宿っていることに気付いた。ミラン王国でエディーナを育てるためには、エシレーンにまったく関係のない人に預けるしかないと、ユゴー伯爵にエディーナを預けることに決めたと、日記に書かれていました」
「じゃ、じゃあ、ユゴー伯爵はエディの出自を知っていたのか!?」
フィルの言葉にマリウスは首を振る。
「いいえ。ユゴー伯爵はエディーナを実の子だと信じていたでしょう」
「どうして!?」
「フォルトゥナが魔法を掛けたのです」
「魔法?」
「ええ。ユゴー伯爵にエディーナが実の子であると、記憶を書き換えたのです。その後は、カルドナに見つからぬよう会いに行くこともなく、そのまま息を引き取ったようです」
エディーナはいつの間にか涙を流していた。
「お母様……っ……」
母の気持ちを思うと、切なくてたまらない。
生まれたばかりの子供を手放さなくてはならない悲しみは、いかばかりだっただろうか。
「日記には、君に形見を残したと書いてあった。持っているかい?」
「……っ……、は、はい……」
涙を指先で拭って、髪に挿してある簪を手に取る。
「それは、聖女の杖だ」
「聖女の、杖? これが杖なのですか?」
「ああ。君が危険な目に合わぬように、お守りとして持たせたものだ。そしてもう一つ、守護精霊が君を守っている」
「守護精霊……、まさか、ノクス?」
今度はポケットから猫の人形を取り出す。すると人形から小さな光が飛び出し、くるくると上空を飛ぶとテーブルの上に降り立った。
その光が弱まり姿を現したのは、手のひらサイズの胴の長いドラゴンだった。黒光りする長い体躯に、コウモリのような小さな羽があり、濡れたような赤い瞳がエディーナを見上げている。
「ノクス……? あなた、ノクスなの?」
『ごめんよ、エディ。ずっと隠してて』
「なんで言ってくれなかったの?」
責める気はなかったけれど、もし最初から言ってくれていれば、自分の人生はもっと違ったものになっていたかもしれないと思わずにはいられない。
『フォルトゥナがカルドナの危険が迫るまでは、黙っていろって。できればずっとエシレーンのことは知らず、ミランの子供として平穏に育ってほしいって』
長い首を項垂れてそう言ったノクスに、エディーナは顔を近付ける。
『僕にはできるだけ見守るようにと。命の危険がある時だけ助けるように言われていたんだ』
「そっか……」
それはきっと厳しい母の愛だったのだろう。人生の困難を自分の力で乗り越えていけるようにという。
もし最初からノクスにすべて話されていたら、もしかしたら自分の運命を呪っていたかもしれない。自分を捨てて血の繋がらない家族に押し付けたと、母を恨んでしまっていたかもしれない。
『ごめんよ……』
「ううん。私こそごめん。責めてるみたいなこと言って」
『エディ。君にはフォルトゥナがつけた名前がある』
「名前?」
『うん。君は本当はルシアというんだ』
「ルシア?」
『そう。『光をもたらす娘』という意味だよ』
「光……」
名前という最初に親からもらうプレゼントを今受け取って、やっとエディーナはフォルトゥナが本当の母なのだと実感が湧いた。
美しく希望のある名前に、母の愛が伝わってきて、また涙が溢れる。
「ルシアか……。良い名前をもらったな」
マリウスの言葉に、声も無く頷く。
エディーナは思いがけず自分の本当の両親が分かり、温かい気持ちで胸がいっぱいになった。




