第3話 私の結婚相手
「使用人と……結婚? 何を言ってるの?」
あまりにも突拍子もないことに冗談かと思ったエディーナは、乾いた笑いを漏らす。けれどこちらを見つめる母の顔は至って平静で、それが冗談などではないことはすぐに分かった。
「じ、冗談でしょ……? ねぇ、お母様……」
「冗談なんかじゃないわよ。もうあちらとは話が済んでいるんだから」
「お、お父様……」
嘘だと言ってほしくて父に視線を向けるが、父は焦ったように慌てて視線を逸らした。
「だって公爵家のメイドなんて、我が家のメイドより信用ならないわ。このままじゃミレイユが酷い目に合うかもしれないでしょ? やっぱりミレイユの世話はエディーナがしなくちゃ、私たち安心できないわ」
「お母様……、お姉様はもう21歳よ? 子供の時みたいに、メイドに酷いことなんてされないわ!」
「あら、エディは私を見捨てるの?」
ミレイユの言葉にエディーナは慌てて首を振る。
「そ、そうじゃないわ! でも、私が使用人と結婚するなんて、どう考えたっておかしいわ!」
「そんなことないわ。あなたが公爵家の誰かと結婚すれば、ミレイユと一緒に公爵家に住んでもおかしくないでしょ?」
「だからってなんで使用人なの!?」
(私だってお父様とお母様の子なのに……)
ミレイユが心配なのは分かる。けれど実の娘になぜここまで酷い仕打ちができるのだろうか。
「エディーナ。私はね、あなたたち姉妹がずっと仲良く一緒にいるのが一番いいと思っているの。ミレイユは身体が不自由だけど、社交的で公爵夫人も務まるでしょう。あなたは華やかな場が苦手でしょ? それならミレイユの世話をしながら、穏やかに暮らした方が合っているわ」
「そんな……、そんな理由で……」
「使用人といっても公爵の従者をしている者で、下級の者ではないのよ? あなたはミレイユの侍女として屋敷に住めるし、今までとそう変わらないわ」
穏やかな母の言葉に、エディーナは昨日よりも酷い絶望感に襲われた。ケヴィンを諦める代わりに、ミレイユから離れられると思ったのに。
それなのにケヴィンも諦めた上に、自分は使用人と結婚し、二人を見続けなければならないなんて酷過ぎる。
「……っ……」
昨日で涙は枯れたと思ったけれど、また涙は溢れて頬を伝い落ちた。
エディーナは立ち上がると、よろよろと歩き食堂を出て行く。その後ろ姿に声を掛ける者は誰もいなかった。
自分の部屋に戻ったエディーナは、ベッドまで行くと枕元に置いてある小さな黒猫の人形を手にした。それはエディーナが7歳の時に、初めて自分で作った人形だった。縫い目もガタガタで形も不格好だが、エディーナはこの人形を特別に大切にしている。
「ノクス……、私……、使用人と結婚させられるの……」
人形に向かってそう呟くと、深く溜め息を吐く。
「こんなことあり得る? あり得ないわよね……」
この人形が唯一、エディーナの心を慰めてくれた。辛いことがあるたびに人形に話し掛けて、どうにか心を保ってきたのだ。
「私、どうしたらいいの? 答えて、ノクス……」
『大丈夫だよ。きっと君は幸せになるよ』
「本当?」
『ああ、絶対だ』
エディーナは人形の言葉にホッと息を吐く。
ノクスの言葉はエディーナにしか聞こえない。もちろん、ノクスが本当にしゃべっている訳ではない。ただ味方のいないエディーナが幼い頃に考えた、『ノクス』という友達なのだ。
母やミレイユには気味悪いから人形に話し掛けないでと言われ、今は一人の時にしか話し掛けないけれど、今でも大切な友達なのだ。
「あなただけよ……、私にいつも優しくしてくれるのは……」
エディーナはそう呟くと、ギュッとノクスを抱き締めた。
◇◇◇
それから2週間後、あっという間に公爵家に行く日になった。
馬車にはミレイユの荷物ばかりが山のように積まれ、エディーナのものなどトランク一つ程度だ。
「元気でね。何かあったらすぐに連絡を寄越すのよ」
「はい、お母様」
ミレイユが涙を浮かべて母と抱き合っている。それを横目にエディーナは馬車に乗り込むと、父が声を掛けた。
「エディーナ」
「お父様!」
「ミレイユの世話をしっかりやるんだぞ」
「……はい、お父様……」
何か優しい言葉を掛けてくれるかと一瞬笑顔になったエディーナだったが、すぐに肩を落として小さく頷いた。
そうこうしている内にミレイユが馬車に乗り込んでくる。
「エディ、ちゃんと挨拶をしなさい。これでお別れなのよ?」
「はい、お姉様……。お父様、お母様、これまで育てて下さりありがとうございました……」
「エディーナ、ミレイユに恥をかかせないようにね」
母にも同じように釘を刺されて、もう頷くしかなかった。
「エディのことなら心配いらないわ。二人で助け合っていくから」
「優しいのね、ミレイユは……」
「では、行ってまいります」
嬉しそうに涙を拭う母の肩を父が抱き寄せると、うんうんと頷いている。愛しい娘の嫁入りに感極まっているのだろう。だがそれはエディーナに向けられたものではない。
エディーナは冷めた目を両親に向けると、すぐ目を逸らし俯いた。そうして馬車は公爵家へ向けて動き出した。
城下町の街中にある伯爵家とは違い、広い敷地を持つ公爵家の屋敷までは馬車で20分ほど掛かる。その間、エディーナは昨日まで感じていた絶望感から、どんな人が自分の結婚相手なのだろうかという緊張感に胸がドキドキしてきた。
「見えてきたわ。あれが公爵の屋敷ね」
ミレイユの声に、ハッとして顔を上げたエディーナは、窓の外に視線を向けた。
そこには高い塀に囲まれた、まるで城のように大きな屋敷が聳えていた。公爵家に行ったことがなかったエディーナは、目をまんまるにして屋敷を見た。
「大きい……」
「公爵だもの、当たり前よ」
ミレイユは少し呆れたような声でそう言うと、ポーチから手鏡を取り出し自分の顔を覗き込む。
いよいよエディーナの緊張が高まってきて、窓の外を食い入るように見ている内に、馬車は大きな鉄製の門を潜り、静かに停止した。
「ようこそ、ミレイユ。……エディも、よく来たね」
ドアが開き顔を出したケヴィンがミレイユに手を伸ばす。ミレイユは笑顔でその手を掴むと、杖を突いてゆっくりと馬車を降りた。
その後に続いて馬車を降りたエディーナは、ずらりと並んだ使用人たちに視線を向ける。茶色の髪をオールバックにした50代ほどの男性が執事だろう。その執事の隣に、黒髪の背の高い青年が立っている。その人と目が合ってエディーナは胸がドキッとした。
(まさか……、この人が……)
「エディ、えーと、君と結婚する者を紹介するよ。フィル、前へ」
「はい、旦那様」
低い声で返事をしたのは、まさにエディーナと目が合った人だった。隣に並んだケヴィンよりも背が高く、きりっとした顔をしている。黒髪に似合うサファイアの瞳が印象的で、エディーナはついその瞳をじっと見つめてしまった。
「フィルだ。18年間、私の従者をしている。フィル、挨拶を」
「……初めまして、フィルと申します」
「……エディーナ・ユゴーです。その……、よろしくお願いします」
エディーナがぎこちなく挨拶を返すと、フィルは戸惑った様子を見せながらも、ほんの微かに口の端を上げて微笑んだ。
(あ……、優しそうな笑顔……)
はにかんだような照れたようなその笑顔に、エディーナは胸に渦巻いていた不安が少しだけ和らいだ気がした。