第28話 火事
「火事……、ホントに火事なの……?」
遠くで聞こえる声に信じられないと、エディーナはドアを開けようとした。けれどガチャッと音がするだけで、ドアは開かない。
(あ、そうだ。鍵が掛かっているんだったわ!)
自分の置かれている状況を思い出して、エディーナは仕方なくドアから離れると窓に近付く。
バルコニーの窓を開けて下の階を見ると、驚くことに1階の窓から火の手が見えた。
「火が!!」
本当に火事なんだと目を見開くと、一瞬で逃げなければとまたドアに向かった。
「開けて! 誰か開けてちょうだい!!」
ドアを激しく叩いて叫ぶが、近くに誰もいないのか、まったく何の反応もない。
きな臭い匂いはもうはっきりと分かって、焦りは増していく。幾らドアを叩いても返答はなく、それでも諦めずに声を上げていると、ついに煙がドアの隙間から入り込んできた。
「煙!?」
切迫した状況に恐怖が這い上がってきて、エディーナは必死にドアを叩いた。
「助けて! ドアを開けて!! お父様!! お母様!!」
どんどん煙が入り込んできて、部屋はあっという間に白く煙ってしまう。
「このままじゃ、私……、死んじゃうんじゃ……」
自分で呟いた言葉にぞっとして、エディーナは首を激しく振った。
誰も助けてくれないなら、自分でどうにかするしかない。エディーナは奥歯を噛み締めると、ドアは諦めてバルコニーに出た。
部屋は3階で、下に直接降りることはできそうにない。煙がもうもうと上がる1階の窓を見下ろして、エディーナはしばらく視線をさ迷わせた。
庭には誰もおらず、助けを呼ぶことはできない。
「隣に飛び移るしかないわね……」
隣の部屋のバルコニーは繋がってはいないが、飛び移れるほどの距離しか離れてはいない。
けれど地上までの高さを考えると、相当な勇気が必要だ。
(怖い……)
上手く飛べなくて下に落ちてしまったら即死だろう。失敗する想像しかできなくて、足に力が入らない。
誰かがドアを開けてくれればとチラリと室内を見るけれど、いまだドアは閉じられたままだ。
「ぐずぐずしてられないよね……」
煙はもう部屋に満ちていて、真っ白になりつつある。これでは廊下に出たとしても、もう火が近くまで来てしまっているかもしれない。
エディーナはポケットからノクスを取り出すと、両手で握った。
「ノクス、私、やれるよね」
『エディなら、やれるよ!』
「うん!」
ノクスの励ましにエディーナは勇気を貰うと、バルコニーの欄干に乗り上がる。
ぐらぐらと体が揺れるのをどうにか抑えゆっくりと立ち上がる。見てはだめだと思うのに、つい地面を見てしまい、あまりの高さに眩暈がする。呼吸が勝手に荒くなって、持っていたノクスを力の限り握った。
「向こう……、跳ばなくちゃ……」
言葉に出してみるが、足が竦んで動けない。
だがそうこうしている内に、下からもうもうと煙が上がってきて、エディーナは咳き込んだ。
「もう2階まで……」
ぐずぐずしていたら本当に逃げられなくなってしまう。エディーナはついに覚悟を決めて、隣のバルコニーをまっすぐ見つめた。
下は絶対に見ないようにして、足に力を込める。なかば目を閉じて前へ向かってジャンプすると、隣のバルコニーへ倒れ込んだ。
「痛……っ……、飛び……移れた……?」
腕や足が痛かったが、それでも自分のいる場所が隣の部屋のバルコニーだと確認したエディーナは、ゆっくりと起き上がり笑顔になった。
「やった……、やったわ!」
たったこれだけでも自分が勇気を出せたことが嬉しい。そのまま立ち上がると、隣の部屋に入りドアに向かう。
ドアに鍵は掛かっておらず、すんなり廊下に出られたエディーナだったが、思った以上に廊下が真っ白で足が止まってしまう。
「すごい煙……、どうしよう……」
『エディ! 下の階へ行こう!』
「で、でも……、煙が……」
『まだ大丈夫だよ! 早く!!』
「う、うん!」
エディーナはノクスに背中を押されるように走りだすと、階段を駆け下りた。
2階はまだ前が見える程度だったが、1階まで降りるとかなり視界が悪く、壁に手を付いて前へ進む。
すると、煙の向こうで女性の叫び声が聞こえ、エディーナは咄嗟に叫んだ。
「誰かいるの!? 助けて!!」
必死に呼び掛けるが、足音は遠ざかってしまい、姿を確認することはできなかった。
「嘘……、お願い……、助けて……」
半泣きで足を止めると、またノクスが声を上げた。
『足を止めないで! 玄関に行こう! 外に出るんだ!』
「玄関……、外……外に……」
頭が混乱して自分がどこにいるのかよく分からない。それでもふらふらと歩きだすと、遠くに火が見えた。
「火! 火が!!」
『こっちはだめだ! 反対側に行こう!』
「分かった……」
どう歩いてきたのかよく分からなかったけれど、広い空間に出た。床の模様でそこが玄関ホールだと気付いたエディーナは、慌てて玄関ドアに走り寄った。
ドアノブに手を掛けるが、ガチャッと重い音がするだけで、ドアは開かない。
「な、なんで!? 鍵は掛かっていないはずなのに……!?」
ガチャガチャと何度ドアノブを引いてもドアはまったく開かない。
『エディ! 落ち着いて! 他のドアに行こう!』
「他……、他って……?」
「どこかの部屋に入れば窓から出られるよ! 行こう!」
「う、うん!」
もう真っ白で何も見えない中、廊下を進もうとするが、さきほど見えた火が近くまで迫っていることに気付いた。床に広がった火は、廊下の壁を伝って天井まで達している。
「火が……っ……」
火の勢いは強く、エディーナは恐怖でまた足を止めてしまった。
『エディ! 足を止めちゃダメだ!!』
「外……、外……」
エディーナはぶつぶつと呟きながら、呆然と火を見つめていると、ふいに人影が見えた。
「誰か、そこに誰かいるの!?」
火の向こうから聞こえてきたのは、ミレイユの声だった。
「お姉様!?」
「エディ!? エディなの!?」
「お姉様! お父様とお母様は!?」
「エディ! 助けて!! お願い!!」
火の隙間から必死なミレイユの顔が見えて、エディーナはそばに寄ろうとするが、火の勢いが強くて前に進めない。
「これまでのこと全部謝るから! 意地悪してごめんなさい!! もうあなたの自由にしていいから!! お願い助けて!!」
「お姉様!!」
ミレイユが咳き込みながら、泣き叫んでいる。
エディーナは近付こうとしたが、その時、天井が崩れてきた。瓦礫と火が落ちてきて、エディーナは後ろに倒れ込んでしまう。
「お姉様!? お姉様!!」
『エディ! ここはもうだめだ! 行こう!!』
「でもお姉様が!!」
ミレイユがいた場所はもう瓦礫に埋もれてしまっている。火の勢いも強く、ミレイユの姿は見えない。
「お姉様……、お姉様!!」
何度呼び掛けても返事はない。
エディーナは燃え盛る火を見つめ、ただ呆然とするしかなかった。




