第24話 翌日
エディーナは離れの家に戻り、自分のベッドに降ろされてやっと細く息を吐いた。
「少しは落ち着いたかい?」
「うん……」
泣き過ぎて頭がぼんやりする。ずっと握り締めていた簪を離そうとするけれど、上手く力が抜けず手が開かない。
それに気付いたフィルが、優しく指を一本ずつ開かせてくれる。
「少し眠った方がいい」
「うん……」
フィルは簪をベッドサイドにそっと置くと、エディーナを横たわらせる。
「眠るのが怖いわ……」
「ずっとここにいるよ」
「本当……?」
「ああ」
フィルは優しく微笑み、子供にするように額にキスをした。
穏やかなフィルの声に急速に眠くなってきて、エディーナは目を閉じると、あっという間に眠りに落ちた。
◇◇◇
それから何時間寝たのか、目が覚めると窓の外はうっすらと白みだしていた。
視線を巡らせて横を見ると、フィルがイスに座ったまま眠っている。腕を組んだ体勢で、眉間に皺を寄せている。
(ホントにずっといてくれたのね……)
フィルが約束を守ってくれたことを嬉しく思ったけれど、すぐに昨夜のことを思い出して顔を顰めた。
(昨日は何が起こったのかしら……)
簪を振り上げた後、一体何が起こったのだろうか。落雷のような激しい音がしたと思ったら、ケヴィンが部屋の隅で倒れていた。
エディーナは手を伸ばすと、簪を手に取る。
「お母様が守ってくれたの?」
そんな気がしてならない。見たこともない母だけれど、子を思う心が自分を守ってくれたのではないか。
不思議なことが起こっているんじゃないだろうかと、エディーナはポケットからノクスを取り出した。
「ノクス、お母様が助けてくれたと思う?」
『…………』
いつもは答えてくれるノクスが黙っていて、エディーナは首を傾げた。
「ノクス?」
「あら、起きていたのね」
ドアが開いたと思ったら、ノアが部屋に入ってきた。手にたらいと水差しを持っていて、テーブルに置くとそばに寄る。
「気分はどう?」
「大丈夫です」
「良かったわ。フィルから話を聞いた時は驚いたけど、怖い思いをしたわね」
ノアはそう言うと、そっと肩に手を置く。
労わるようなその温かな手に、エディーナは弱く笑みを浮かべ首を振る。
「私が間抜けなだけだったんです。お姉様の言うことを真に受けて、自分からケヴィンに会いに行くなんて」
「あなたのせいじゃないわ。人として最低なことをしたのはケヴィンよ。あなたは許さなくていい」
「お義母様……」
自分は悪くないと言ってくれるノアの優しさが嬉しくて、エディーナはまた涙がこぼれそうだった。
目を潤ませてノアを見ると、その視線が手にしていた簪に移った。
「それは?」
「あ……、これは、本当のお母様の形見だそうです」
「形見……。ずっと持っていたの?」
「いいえ。先日父が渡してくれたんです。母のことを話してくれて……」
ノアはベッドに座ると、簪に触れる。
「エディ」
ふいに低い声がして、顔を横に向けるとフィルがこちらを見ていた。
「フィル、おはよう」
「おはよう、エディ。よく眠れたようで良かったよ」
「そばにいてくれてありがとう」
「うん……」
エディーナが感謝すると、フィルは笑顔で頷く。
「エディ、君は本当のお母さんがどこにいるか知っているのかい?」
「いいえ。私を父に預けた後、姿を消したそうです。今はどこにいるのか……」
「そうか……」
フィルはノアと視線を交わすと、神妙な顔で頷き合った。
「母が何か?」
「いいえ。何でもないの。あなたの本当のお母様なら、会ってみたいと思ってね。それより、どうやら心を決める時が来たようね、フィル」
「母さん……」
ノアの言葉にフィルは深く頷くと立ち上がる。
その時、階下からドタドタと激しい足音が聞こえてきた。走るように階段を上がってくると、バタンとドアが開かれる。
「フィル!!」
「旦那様……」
怒りに顔を真っ赤にしたケヴィンがフィルに殴り掛かる。けれどフィルはそれを簡単に避けると、ケヴィンを冷静な目で見つめた。
「二日酔いは大丈夫ですか? 旦那様」
「フィル!! お前が私に危害を加えたんだろう!?」
「違います」
「下手な嘘を吐くな!! 私に手を出してただで済むと思っているのか!!」
激しい剣幕に恐怖を覚え、ついノアの手を握ってしまうと、ノアはその手を強く握り返してくれる。
「旦那様、声を荒げるのはおやめ下さい」
「うるさい! 使用人の分際で、私に命令するな!!」
ノアの冷ややかな声に激しく返答すると、ケヴィンはまたフィルを睨み付けた。
「滅びた国の王子だと!? 今更なにを言っているんだ!! お前はただの使用人だ!! 使用人が国王になどなれる訳がないだろうが!!」
「……それが旦那様の本心ですか」
「何だ!? 文句があるのか!! 敵国に用意された玉座に座るなんて、そんなおかしな話があるか!? どうせ祖国に戻った途端に公開処刑だ!!」
ケヴィンはそう言うと、壊れたおもちゃのように笑いだした。
その姿にエディーナはゾッとしたが、フィルもノアもまったく動じた様子は見せなかった。
「なるほど。母さんの言う通りだ」
「なんだと?」
フィルはふっと笑うと、ゆっくりと頭を下げた。
「今までここに住まわせて頂いたことに感謝致します」
「な、なんだ? 突然……」
「俺たちはここを出て行く」
「な、なんだと!?」
突然のフィルの言葉にケヴィンは声を上げる。エディーナもまた目を見開き、フィルを見上げた。
「エディを傷つけようとする者がいる、こんな場所に住んではいられない。俺たちは出て行く」
フィルの宣言に、ケヴィンは顔を真っ赤にすると、燃えるような目をフィルに向けた。




