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第21話 母の形見

 部屋に入ってきた父は、エディーナのそばまで来ると口を開いた。


「エディーナ、二人で話がしたい」

「分かりました……。じゃあ、お庭に行きましょうか」

「ああ」


 ミレイユの部屋を出て二人で庭へ行くと、しばらくは黙って歩いた。

 美しい噴水の前で足を止めた父の隣に並び、アーチを描いて落ちる水を見つめていると、やっと父が話しだした。


「エディーナ、ずっと黙っていて悪かったな」

「お父様……、本当のお母様ってどんな人なの?」

「……名前はロランといったな。街で出会って……、一夜の慰めだった」


 父の申し訳なさそうな顔を見てエディーナはがっかりした。少しでも愛情があってそういうことになったのなら、まだ救いがあった。けれど行きずりのそんな関係で自分が生まれたというのは、あまりにも悲し過ぎる。


「生まれたばかりのお前を抱いて、屋敷にやってきた時は驚いた。病気だから育てられないと……」

「お母様は生きているの?」

「分からん……。お前を預けた後、一度も姿を見せていない。しばらくは街を探させたのだが、どこにも見つからず……」

「そんな……」


 父は肩を落とし噴水の縁に座ると続ける。


「お前を屋敷で育てると言ったら、ヘレンは激怒してな。当たり前だが、庶子を一緒に育てるなんて反対だと。使用人としてなら受け入れると言われたが、私はお前を貴族の娘として育てたかった。そこで随分話し合った結果、お前がミレイユの世話をするなら、自分の子供として育ててもいいとヘレンが譲歩してくれて、お前は伯爵家の娘になったんだ」


 母の気持ちを思えば、大変な決断だっただろう。夫の不貞を許し、その上子供まで育てるなんて。


「いつか言おうと思っていたのだが、ずるずるとここまで来てしまった。すまなかった」


 父は頭を下げると、懐から銀の簪を取り出した。飾り気のないシンプルな簪は、表面がくすんでいて、年代物だろうと思わせた。


「これはロランがお前にと置いていったものだ」

「私に……?」


 エディーナは簪を受け取り、じっと見つめる。よく見れば表面にたくさんの傷がある。ずっと使い続けていたのだろうか。

 ギュッと握り締めると、不思議に温かく感じる。


「お母様……」

「エディーナ、お前は家に戻ってこい」

「……お父様は、お姉様がフィルの妻に、王妃になった方がいいと思っているの?」

「もちろんだ。ミレイユがそう望んでいるんだ。お前は妹なのだから、姉に譲るのが当たり前だろう」


 父は当たり前だろうという顔でそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。


「お前には相応しい相手を見つけてやる。探せばお前が庶子でも構わないと言ってくれる貴族の男がいるかもしれない」

「貴族の……」

「お前だって今回のことで、使用人と結婚する大変さが身に沁みて分かっただろう? 貴族なら下級であろうと、それなりの生活が保障される。私はお前に幸せになってもらいたいんだ」


(それが幸せなのかしら……)


 ミレイユの言葉も、父の言葉も、納得できそうでできない。自分の幸せは一体どこにあるのだろう。


「ミレイユが王妃になれば、お前ももしかしたら正式に伯爵家の娘として認められるかもしれない。お前にとってとても良い話だぞ」

「お母様は? お母様はなんて言っているの?」

「もちろん、私と同じ意見だ。ミレイユの世話はミレイユ自身がもう大丈夫だと言ってきた。ヘレンはまだ心配はしているが、まさか王妃になる者を傷つける者はいないだろうと納得したよ」


 両親はやはりミレイユを中心にすべてを考えている。それは昔から変わらない。そこにエディーナの感情は一切関係がない。

 エディーナはやるせない気持ちを言葉にすることができず、奥歯を噛み締めた。


「話はこれで終わりだ。私の言いたいことは分かったな?」

「はい……、お父様……」


 エディーナは小さな声で返事をすると、父は何度か頷いてから背中を向けて歩いて行ってしまった。

 ポツンと取り残されたエディーナは、簪を見下ろしてギュッと目を閉じる。


(本当のお母様なら、私の気持ちをちゃんと聞いてくれるかな……)


 顔も分からない、生きているかも分からない本当の母に、エディーナは思いを馳せた。

 そうしてゆっくり目を開けると、簪を髪に挿し歩きだした。



◇◇◇



 数日後、ミラン国王からフィルにエシレーン王国の王子として、正式な招待状が届いた。

 すでに貴族たちには公爵家の使用人がエシレーン王国の王子だったと噂が広がっていて、正式な発表のための舞踏会を開催するという。


「そんな勝手に……」

「仕方ないだろう。カルドナの皇太子が、あれほど派手に振る舞ったからな。噂を止めるなんて無理だろう」

「俺は……」

「断ることはできないぞ。国王からの招待状だ。お前が断れば、私が咎められる」

「……分かりました」


 ケヴィンの言葉にフィルは渋々頷く。


「パートナーは私でいいわね?」

「だめに決まっているだろう!?」

「なぜ? ねぇ、エディ? 私でいいでしょ?」


 ケヴィンの怒りを物ともせずに、ミレイユはエディーナに顔を向ける。

 エディーナは何と答えていいか分からず戸惑っていると、フィルが代わりに口を開いた。


「ミレイユ様、何度も言っておりますが、俺はエディと別れるつもりなんて毛頭ありません」

「フィル、あなたは使用人として暮らしてきたから、貴族のことがよく分かっていないのよ。舞踏会にエディを連れて行って、恥をかくのはエディなのよ?」

「何を言われようと、俺の気持ちは変わりません。行こう、エディ」


 フィルはきっぱりと言うと、エディーナの手を握り部屋を出た。

 足早に歩いて行くフィルの怒った顔を見上げ、エディーナはフィルの気持ちが嬉しくてたまらなかった。


(私が庶子じゃなかったら、もしかしたらフィルの気持ちに応えられたのかな……)


 エディーナはそう思わずにはいれなかった。

 数日後、舞踏会の日になり、城から届いた服に着替えたフィルは、どこからどう見ても素敵な貴公子で、エディーナはまじまじと見つめてしまう。


「……どこか、変か?」

「ううん! 違うの! すごい素敵だなって」


 つい素直にそう言うと、フィルは照れた顔をして笑う。


「ほら、二人とも、ゆっくりしている暇はないわよ。迎えの馬車がもうすぐ来るわ」


 そう言うノアも今日はドレスを着ていた。髪を整えドレスを着て、美しく化粧をしたノアは、気品に溢れていて使用人になんて見えない。


「エディーナ、フィルの隣に並んでみて」


 ノアに言われてエディーナがフィルの隣に並んで立つと、ノアは二人を見て嬉しそうに笑った。


「うん。とてもお似合いだわ。まさかこんな姿の二人を見られるなんてね……。これも運命かしらね」

「母さん……」

「お義母様、お具合は大丈夫ですか? あまり顔色が良くないようですが……」

「大丈夫よ。ありがとうね、エディーナ」


 徐々に体調が良くなっているのに、今無理をしてはまた具合が悪くなってしまうとエディーナは心配したが、ノアは笑って首を振った。


「ミランの国王にも挨拶がしたいし、もう隠れている訳にはいかないわ」

「そう、ですね……」


 こうしてエディーナたちは、迎えの馬車に乗って城に向かった。


「エシレーン王国王妃様、ラディウス殿下ー!」


 会場に入り高らかに名前が呼ばれると、一斉に視線が集まる。

 フィルの後ろにいたエディーナは、その視線に驚き足を止めてしまう。


「エディ、腕を」

「でも……」


 隣に並ぶのもおこがましいかもと、手を伸ばせずにいると、フィルが手を取り、自身の腕に絡ませた。


「胸を張って」

「うん……」


 多くの視線が集まる中で会場の中心に行くと、あっという間に人に囲まれた。

 皆がそれぞれ勝手に自分の紹介や、聞きたいことを聞いてくる。フィルとノアは戸惑った様子も見せず笑顔で答えていて、エディーナはそんな二人をただ見つめることしかできなかった。

 しばらくして音楽が始まり、若い男女が踊り始める。その姿を見て、フィルがエディーナに視線を向けた。


「エディ、踊ろう」

「え?」


 フィルはエディーナの手を握ると、会場の中心へと歩いていく。

 戸惑うエディーナをよそに、フィルは一度優雅に挨拶をすると、エディーナの腰を引き寄せた。


「愛想笑いをしながらしゃべるのは疲れるな」

「皆聞きたいことがたくさんあるのよ」


 フィルの穏やかな声になんだかホッとしたエディーナは、城にきて初めて笑うことができた。

 以前フィルとダンスをしたのは、人目のないバルコニーだった。それが今は、会場の真ん中で踊っている。

 人の視線からいつも逃げていた自分に、こんなことが起こるなんて信じられない思いだった。


「俺は何も変わっていないのに、変な感じだ」


 フィルは苦笑してそう言うと、肩を竦めた。

 一曲踊り終わると、待ち構えていた人たちにまたフィルは囲まれてしまう。

 エディーナは人波に押されて、少しフィルと離れてしまった。


「ねぇ、エシレーンの王子様と踊った子って、ミレイユの妹でしょ?」

「そうそう。あの子の噂、聞いた?」

「聞いたわ。あの子、庶子なんでしょ?」


 人垣の向こうから聞こえてきた、女性たちの噂話の声にエディーナの胸がドキッとした。

 思わず見知らぬ男性の背中に隠れると、女性たちはエディーナには気付いていないのか、話し続ける。


「ミレイユとは異母兄弟になるのね。道理で似てないはずだわ」

「王子様と踊っていたって、どういうことかしら?」

「もしかして王子様のお相手とか?」

「まさか! 庶子が王子様と結婚できる訳ないじゃない。ミレイユならまだしも、あの地味な顔じゃ、侍女がいいところね」


 クスクスと笑いながら話す女性たちに、エディーナは小さく溜め息を漏らした。


(私のこと……、もう噂になってる……)


 どこから話が漏れてしまったのか分からないが、皆が自分のことを知っていると思うと、恥ずかしくてたまらなかった。


「国王陛下のお越しです!」


 エディーナが気落ちしている中、やっと国王が姿を現した。ミランの国王はイザークを連れており、まっすぐにノアとフィルに近付くと声を掛けた。


「お目に掛かれて光栄です、国王陛下。クラウディアと申します」

「こちらこそ、まさか我が国に亡命しておられるとは。イザーク殿から話は聞いていたが、よくご無事で」

「貴国にご迷惑になるとは思いながらも、エイムズ公爵しか頼る方もおらず、匿って頂いておりました」

「いやいや、エシレーンとは古くから交易相手として仲良くしていたのだ。戦争では手助けすることができず申し訳なかった」

「もう過去のことですわ。それよりも、これからのことを考えましょう」

「そうですな。君がラディウス王子だね」


 話が一区切りつくと、国王はフィルに顔を向けた。フィルは慌てて膝を突くと頭を下げた。


「エシレーン王国第二王子、ラディウスと申します」

「うむ、立ちなさい」


 国王が手を差し伸べ、フィルはゆっくりと立ち上がる。


「そなたはずっと公爵家で使用人をしているのだったな」

「はい、陛下」

「身分が明かされた以上、使用人のままという訳にもいくまい。王妃と共に城に参れ」


 国王の誘いにフィルは首を振る。


「公爵家には匿って頂いた恩があります。恩をお返ししてからでないと出て行くのは……」

「義理堅い男だな……。だがこれからのことを話し合わなければならない。できるだけ早く王妃を連れて城に参れ」

「分かりました……」


 国王の言葉に頷くフィルを遠目に見ていたエディーナは、国王に対して物怖じせず話すフィルがまるで知らない人に見えた。

 そうして自分が完全に蚊帳の外なのだと痛いほど感じたのだった。

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