第2話 ケヴィンの裏切り
嬉しそうなミレイユの顔を見つめて、エディーナはよろりと歩きだした。
たくさんの友人たちが二人を取り囲んで「おめでとう」と言葉を掛けている。その人垣に割り込むように前に出ると、ケヴィンの腕を掴んだ。
「ケヴィン! 嘘でしょ!? なんで!?」
「エディーナ、よしなさい」
「お母様! これはどういうことですか!? ケヴィンは私の、」
「黙って! さぁ、こっちにいらっしゃい!」
エディーナの言葉を遮って母は声を上げると、エディーナを強引に屋敷へと引っ張っていく。
「待って! お母様!!」
「ミレイユの足を引っ張らないで!」
いくら必死に頼んでも母は許してくれなかった。玄関ホールに入ると、母はバタンとドアを閉めてエディーナを睨み付けた。
「人前でみっともないことはやめなさい!」
「だって! なんでこんなことに!? ケヴィンは私と婚約するって!!」
「公爵はミレイユと婚約するの。聞いたでしょ?」
「そんなのおかしいわ!!」
何がどうなってそんな話になるのか、まったく意味が分からない。30分前までは確かにケヴィンは自分と婚約すると言っていたのだ。それがどうしてこんなことになるのだろうか。
(こんなこと嘘よ……、絶対……嘘に決まってる……)
エディーナはぶるぶると震える手を握り締める。
「ケヴィンと話をさせて!!」
「……分かったわ。すぐに呼んでくるから、あなたはここで大人しく待っていなさい」
母は溜め息を吐いてそう言うと、ドアから出て行った。そうしてもう一度ドアが開くと、今度は4人揃って玄関ホールへ入ってきた。
「ケヴィン……」
「エディ……」
「嘘よね……、何かの間違いよね……?」
エディーナがケヴィンに近付こうとすると、その間にミレイユが割り込む。
「エディ、ケヴィンに近付かないで。私の婚約者よ」
「お姉様! ケヴィンは私の婚約者よ!」
「違うわ。私の婚約者になったの。ケヴィンは私と結婚するのよ」
「嘘……、嘘……!!」
取り乱したエディーナが叫ぶように声を上げると、父が宥めるように肩に手を置いた。
「エディーナ。お前の気持ちは分かるが、もう決まったことだ」
「お父様! なぜです!? 今日ケヴィンは私との婚約をお父様に許してもらうために来たのよ!? それなのになぜお姉様と婚約することになるの!?」
「お前と公爵ではあまりにも釣り合わないだろう? それに姉のミレイユがまだ婚約も決まっていないのに、妹のお前が先にだなんてだめに決まっている」
父の言葉に、エディーナは縋るように父の腕を掴む。
「順番がいけないのならお姉様が結婚するまで待つわ! 家柄だって公爵と伯爵なら別に釣り合いは取れてるでしょ!? なぜお姉様がケヴィンと婚約することになるの!?」
エディーナは目を合わせてくれない父の返事を待たず、ミレイユをよけてケヴィンに詰め寄った。
「ケヴィン! どうしてなの!? お父様たちに何を言われたの!?」
「ごめん……、エディ……」
「ケヴィン!」
顔を曇らせてやはり目を逸らすケヴィンに、エディーナは信じられない気持ちでいっぱいだった。
「エディ、もうやめなさい。ケヴィンがかわいそうよ」
「お姉様……」
「ケヴィンはあなたより私を選んだってことよ。そのくらい分かるでしょ? 地味でなんの取り柄もないあなたなんかより、私と結婚する方がいいに決まってるじゃない。たまたまあなたが先に出会っただけで、それは運命でもなんでもなかったのよ」
ミレイユはそう言って鼻で笑うと、ケヴィンの手を握った。
「エディーナ、あなたは妹なんだから姉の言うことを聞きなさい」
「お母様……、酷い……、酷いわ……っ……」
涙が溢れて視界が歪む。ケヴィンの顔も家族の顔も、何もかもが歪んで見えない。
(幸せになるはずだったのに……、なんでこんなことになったの……)
足から力が抜けてその場にペタリと座り込むと、エディーナはそれ以上何も言えず、泣くことしかできなかった。
◇◇◇
あれから自室に戻ってもドレスのままで泣き続けていたエディーナは、部屋が暗くなった頃にやっと顔を上げた。
泣き過ぎて頭がぼんやりとしたままのそりと起き上がり、ベッドから下りる。手元のランプを付け部屋が明るくなると、ゆっくりと鏡の前のイスに座った。
(ぼろぼろ……)
泣き過ぎてうさぎのように赤くなった目と頬、髪もボサボサだしドレスも皺だらけになっている。
だがそれよりも、濃い茶色の髪に緑の瞳、地味な顔立ちを見て、エディーナは深い溜め息を吐いた。
(私がお姉様みたいに綺麗だったら、ケヴィンを失うことはなかったの……?)
ミレイユの美しい金髪は母とそっくりで、常に人の目を引く華やかさがあり、車いすに乗っている姿はイスに座るお人形のようだと、誰もが褒めそやした。
どんなに頑張ってもミレイユの美しさに追いつくことはできないと分かってはいたが、それでも今は自分の容姿を恨めしく思った。
「ケヴィン……」
(運命だと思ったのに……。私をここから連れ出してくれる人に、やっと出会えたと思ったのに……)
また涙が込み上げてきて、両手で顔を覆ったエディーナだったが、すぐに顔を上げた。
鏡に映る自分を見つめて、ポツリと呟く。
「お姉様が結婚すれば、この家を出ていくのよね……」
このままミレイユがケヴィンと結婚するなんて考えたくもないけれど、もし本当にそうなれば、ミレイユは公爵家に住むことになる。
「そうなれば、もうお姉様のお世話をしなくてもいいのか……」
まるでメイドのようにミレイユの食事の世話や、着替えを手伝ってきた。両親は決してミレイユにメイドを近付けることを許さなかったから、実質ミレイユの侍女のような生活を送ってきた。
それがついに終わるかもしれない。そう思うと、心が軽くなるような気がした。
ケヴィンのことはきっと自分にはどうにもできない。ケヴィンも納得してしまっている以上、自分が何を言ったところで覆すことはできないだろう。
(お姉様を許すことも、ケヴィンを諦めることもできそうにないけど……、もう泣くのはやめよう……)
ミレイユの世話から解放される、ただ一つそれだけは確かなことなのだと自分に言い聞かせ、エディーナは大きく息を吐いた。
◇◇◇
次の日の朝、いつものようにミレイユの支度を手伝い食堂に行くと、昨日のことが何もなかったかのように、両親は笑顔で「おはよう」と挨拶した。
「おはよう、お父様、お母様……」
「ミレイユ、今日も綺麗よ。さ、朝食を食べましょう。これからやることがいっぱいよ」
母はエディーナには目もくれず、ミレイユににこりと笑い掛けると明るい声で話し掛けた。
ミレイユも笑顔で頷くと、自分で車いすを動かしテーブルに着く。エディーナはミレイユの隣に座ると、ミレイユが食べやすいようにフルーツを切り分けた。
もう何年もエディーナは家族と一緒に食事をしていない。いつもミレイユが食べ終わった後、使用人と同じような質素な料理を一人で食べている。
「お母様、私、新しいドレスが欲しいわ」
「もちろんよ。これまでは華やかなドレスが多かったけれど、これからは公爵夫人らしい落ち着いたものを作らないとね。小物も全部新しくしましょうね」
「後で宝石商を呼ぼう。アクセサリーも作るだろう?」
「ありがとう、お父様!」
3人はまるでエディーナがいないかのように、結婚の話で盛り上がっている。
エディーナはギュッとナイフを握り締めて、ただ耐えるしかない。
「公爵家に早く慣れるためにも、用意ができたら出来るだけ早く公爵家に向かいましょうね、ミレイユ」
「ええ、お母様」
母のその言葉に、エディーナはふとミレイユの顔を見た。
嬉しそうな横顔が憎らしくて、いつもは絶対に言わない嫌味のような言葉が勝手に口をついて出ていた。
「何をそんなに急いでいるの? ケヴィンは逃げたりしないわ。私、お姉様とこんなに突然離れることになって少し寂しいの。お別れまで、ゆっくり二人で過ごしましょうよ」
つらつらとそう言うと、ハッとして口を閉じた。唖然とした両親の顔を見て、慌てて下を向く。
(私、何を……)
こんな生意気な口をきいては、ミレイユが激怒するに決まってる。そうなればまた母に叱責され、罰を受けるだろう。
エディーナはミレイユの怒鳴り声に怯えて首を竦めていたが、なぜかミレイユはクスッと笑った。
「エディがそんな風に思っていたなんて驚きだわ。でも安心して。私とあなたはこれからも一緒よ」
「え……?」
ミレイユの笑顔を見つめ、エディーナが首を傾げる。
「だから、寂しいなんて思わなくてもいいんだってば」
「い、意味がよく……」
「エディーナ、あなたも一緒に公爵家に行くのよ」
ふいに正面に座っている母が言った。だがやはり意味が分からない。
「お母様……、それってどういう意味ですか?」
「あなたはミレイユの世話があるでしょ? だから、公爵家の使用人と結婚するのよ」
「は?」
母の言葉に間の抜けた声を漏らしたエディーナは、足元に抜け出せない底なし沼が広がっているような絶望を感じた。