第19話 エディーナの秘密
ミレイユの言葉にイザークは片眉を上げると、首を捻った。
「ラディウス王子の奥方は、そちらの方では?」
「今日まではね。でも妹は国を出て異国で暮らすなんて無理ですから」
「お、お姉様、どうして……」
ミレイユの言葉に動揺が隠しきれず、エディーナは弱い声で問い掛けるが、ミレイユは振り返らない。
イザークは肩を竦めると、立ち上がった。
「そちらにも色々とあるようだが、私にはあまり関係がないようだ。そろそろ失礼する。聖女に関して何か分かればすぐにご連絡致します。では」
イザークを見送るために、ケヴィンとミレイユが一緒に部屋を出て行く。
残った3人は目を合わせた。
「フィル、どういうことなの?」
「俺にもよく分からない。ミレイユ様が突然言い出して……」
「……お姉様は、本気だと思う……」
ポツリとエディーナが呟く。
(お姉様があんな風に言う時は、絶対に引かない……。イザーク様に言ったのは、宣言だわ……)
エディーナの言葉に、フィルが手を伸ばそうとした時、イザークを見送っていた二人が戻ってきた。
ケヴィンは険しい顔でミレイユを睨み付けると怒鳴った。
「さっきのはどういうことだ! ミレイユ!!」
「言葉通りよ。私がフィルと結婚する。エシレーンに行って王妃になるのは私よ」
「馬鹿なことを!! フィル、お前、まさか了承していないだろうな!?」
「俺はそんなこと……」
フィルが否定しようとすると、突然扉が開いた。
入ってきたのはエディーナの両親だった。
「お父様、お母様!?」
「二人とも来てくれたのね!」
「ああ、ミレイユ! 大変なことになったわね!」
エディーナの声には答えず、母はミレイユに駆け寄ると優しく抱き締める。
「伯爵、なぜ突然……」
「ケヴィン、なぜすぐに連絡しない。こんな重大なことが起こっているというのに」
「それは……」
父の言葉にケヴィンは言葉を詰まらせる。
「まさかエディーナの結婚相手が亡国の王子だったなんて……。君は知らなかったのか!?」
「はい……。父からは何も聞かされていませんでした……」
「そうか……」
肩を落として頷くケヴィンに、父は落胆したように重い溜め息を吐く。
「ミレイユから知らせを受けて慌てて来たのよ。エディーナ、あなたは家に戻りなさい」
「お母様!? なぜですか!?」
「あなたに務まるわけないでしょう!? いずれは王妃になるのよ? あなたじゃ無理よ!」
「そんな……」
母にはっきりと否定されて、エディーナは諦めたくないと思った自分の気持ちが、急速にしぼんでいくのを感じた。
(そんなに私はだめな子なの……?)
母の言い様にエディーナは涙が込み上げてきた。
言い返したいけれど、言い返せるほど自分に何かがある訳でもなく、エディーナは言葉を飲み込んだ。
「ミレイユはケヴィンとの婚約を破棄して、王子との結婚を望んでいる。私もそれがいいと思う」
「お父様! なぜ!? なぜいつも私はそんな……っ……」
最後まで言い終わる前に、エディーナの目から涙がこぼれた。それを見たフィルが肩を抱き寄せてくれる。
「伯爵、もうおやめ下さい。俺はミレイユ様を妻にするつもりはありません。俺の妻はエディーナだけです」
「フィル……」
はっきりとフィルが言ってくれて、エディーナは嬉しさで胸がいっぱいになった。見上げると、フィルはエディーナの目を見つめて優しく微笑む。
「エディーナはだめよ。あなたが使用人でないなら、結婚させられないわ」
「どういう意味ですか?」
「エディーナは、王妃になんてなれないのよ」
母はそう言うとエディーナに視線を向ける。その目がまるで汚らわしいものを見るような目つきで、エディーナはその視線に怯えた。
「なぜそんなことを言うんです!? エディは、」
「エディーナは貴族じゃないのよ」
「え!?」
母の言葉に全員が声を上げた。ミレイユもまた困惑した顔を母に向けている。
「エディーナは、伯爵家の正式な娘ではない」
「……嘘……」
「嘘じゃないわ。あなたは私が産んだ子じゃない。よその子よ」
エディーナは足元が崩れ落ちたような感覚になって、よろりとよろけそうになった。フィルが慌てて腕を掴んで体を支えてくれたが、地に足が付いていないかのようにまるで立っていられなかった。
「お母様、じゃあエディの母親は誰なの!?」
「それは……、お父様に聞きなさい」
母は憎々しげにそう言うと、重い溜め息を吐く。ミレイユが父に視線を送ると、父は仕方ないという風に口を開いた。
「……エディーナの母親は、街の女だ」
「街の? 平民ってこと?」
「そうだ……」
父の言葉に、今度こそエディーナは気を失いそうなほど驚いた。
「母親が病気でエディーナを育てられないというから、仕方なく引き取った庶子なの。世間体も悪いから娘として育てていたけれど、正式な伯爵令嬢ではないから、ケヴィンとの結婚を止めさせて使用人と結婚させたのに、それが王子だったなんて……」
「エディーナが庶子……」
ケヴィンが信じられないという目でエディーナを見つめる。
だがそこにいる誰よりも信じられない思いだったのはエディーナだった。母だと信じていた人が母ではなく、貴族でもないなど、すぐには信じられない。
「使用人として家においても良かったのよ。それをミレイユの世話をさせるために娘として、貴族として育ててあげたの。感謝してちょうだいね」
「そんな……、そんな……っ……」
エディーナは膝から崩れるようにその場に座り込んだ。
「平民のあなたが王妃になんてなれないわ。誰も認めてくれない。黙っていてもいつかは知られてしまうでしょう。そうなったら我が家も嘘を吐いたと非難されるわ」
「エディーナ、お前は家に戻れ。ミレイユが王妃になれば我が家は安泰だ。お前には身分に相応しい相手を探してやる」
「お父様……」
両親の言葉に反論する気力など起きなかった。今度こそ諦めない、諦めたくないと思っていたのに、突き付けられた真実に打ちのめされて、エディーナは顔を上げることさえできない。
代わりに声を上げたのはケヴィンだった。
「ちょっと待って下さい! ミレイユは私と結婚する! もう婚約発表もしたんですよ!?」
「婚約破棄なんてよくある話よ」
「言っていることが無茶苦茶だ! フィルが王子だと分かった途端に、あちらに乗り換えるっていうのか!?」
「乗り換えるだなんて、下品な言い方はやめてちょうだい。私は私のやるべきことをするだけよ」
「それが王妃だっていうのか!?」
「そうよ」
「私の顔に泥を塗るつもりか!?」
ケヴィンが我慢ならないと立ち上がり怒鳴り散らすが、ミレイユはまったく意に介さない様子で鼻で笑った。
「笑わせないで。あなただって私の持参金だけが目的で結婚を承諾したんじゃない」
「な……」
ミレイユの言葉に、エディーナはゆっくりと顔を上げるとケヴィンを見た。その視線に気付いたケヴィンは、慌てて視線を逸らす。
「あなたは私と結婚すると決めたくせに、エディにも手を出そうとした。そんな男、願い下げよ」
「そ、それは……」
ケヴィンが口ごもってしまうと、室内はしばらく沈黙が落ちた。
「伯爵」
「なんだね」
静かな室内で声を発したのはフィルだった。エディーナの肩を慰めるように抱いていたフィルは、エディーナをゆっくりと立たせる。
「なぜエディの気持ちを聞いてやらないんですか?」
「エディーナのことは両親である私たちが決めることよ。それにエディーナの気持ちならよく分かってるわ」
「本当ですか?」
「ええ。エディーナは人前に出ることを恐れる子よ。目立つことが嫌いなの。舞踏会でさえ緊張してしまうような子なの。だから誰かに後ろに下がれと言われるのを待っているのよ」
(違う!! 私はそんなんじゃない……!!)
エディーナは声にならない叫びを上げた。けれど声に出したいのに、どうしても言葉は出てこない。その苦しさに涙を浮かべると、それにフィルが気付いてくれた。
「エディ、大丈夫かい?」
「フィル、私……、私は……」
「うん、分かってる」
フィルは優しくそう言うと、全員を厳しい目で見つめた。
「あなた方は勝手に話を進めていますが、俺はミレイユ様を妻にするつもりなどありません」
「なんですって!?」
ミレイユは本気でフィルの妻になれると思っていたのか、信じられないという顔で声を上げた。
「俺の妻はエディです。何を言われようとエディを捨てるつもりなんてない」
「そ、そんな! エディは庶子なのよ!? 庶子が王妃になんてなれる訳ないじゃない!!」
「エシレーンのことをあまり知らないようなのでお教えしますが、エシレーンはミランよりもずっと小さな国です。ミランと同じような身分の差はありますが、それほどこだわりはない。庶子が王妃になったところで、誰も文句は言いませんよ」
「まさか、そんな……」
母が信じられないという顔で呟く。
「フィル、あなた……、国に戻るつもりなの?」
それまでずっと黙っていたノアが、静かにフィルに訊ねた。
フィルはノアの顔を見ると、難しい顔をしていながらも小さく頷く。
「エディをこんなところに置いておけない」
「フィル……」
「国に戻る理由は、それだけで十分だ」
フィルがきっぱりとそう言い切ると、ミレイユは憎々しげにエディーナを睨み付けた。
 




