第18話 イザークの訪問
ミレイユとフィルが部屋を出て行って、一人きりになったエディーナは手持ち無沙汰に部屋を見渡した。
(お姉様……、フィルと何を話すつもりなのかしら……)
なんだかとても嫌な予感がする。ケヴィンの時も、自分がいない時に話し合いがされて決められてしまった。
エディーナはそわそわとその場を動き回り考える。
(お姉様は何を考えているの?)
単なる興味本位でフィルに質問をしたいのだろうか。でもそれなら二人きりでいる必要はないはずだ。
ミレイユの行動があまりにも気になったエディーナは、どうしてもじっとしていることができず部屋を出た。庭に出て周囲を見渡すが二人の姿は見えない。
(こんなのよくないけど……)
そう思うけれど、戻る気にはなれない。庭をうろうろと歩いて、二人の姿を探していると、遠くにやっとフィルを見つけた。そばにはミレイユもいる。
エディーナは慌てて木の陰に隠れて、二人を見つめた。
(なにを話しているのかしら……)
車いすを止めて二人は何かを話しているようだ。けれど声までは聞こえない。
しばらく二人の様子を見ていたエディーナだったが、そうしている内にとても悪いことをしているような気がしてきた。
やっぱりこんなことはやめて部屋に戻ろうと、踵を返そうとした瞬間だった。フィルが跪いたかと思うと、ミレイユが顔を近付けキスをした。
(嘘……)
あまりの衝撃にエディーナは反射的に走り出していた。何も考えず闇雲に走ると、いつの間にか自分の住む離れの近くまで来ていて、やっとそこで足を止めた。
荒い呼吸のままで離れを見つめる。
「お姉様……、まさか……」
ケヴィンの時と同じように、今度はフィルを奪うつもりなんじゃないだろうか。
(フィルが王子だと分かったから……? でもそれじゃあケヴィンは……?)
ケヴィンのことを好きになったから、自分から奪ったんじゃなかったのか。
(フィルを好きになった訳じゃない。それだけは絶対分かる……)
エディーナは両手を握り締めて顔を顰める。
どんな理由があるにしろ、ミレイユがフィルに近付こうとしているのは明白だ。
「そんなの嫌……」
ポツリと出た自分の声にエディーナは驚いた。
「私……、フィルを取られたくないんだわ……」
会ったことも話したこともない人と結婚させられた。最初は絶望して、でも従うしかなくてここまで来た。けれど会ってみたら、フィルは自分のことをとても心配し、優しく接してくれた。
一緒に過ごす内に、いつの間にかフィルのことを愛しく思い始めていることを、いまさら自覚した。
「フィルはどう思っているのかしら……」
ケヴィンのようにフィルもまたミレイユの美しさに惹かれてしまうかもしれない。
姉妹なのにどうして姉と自分はこんなにも似ていないのだろうか。少しでも姉のような美しさがあれば、自分に自信が持てるのに。
(フィル……)
ケヴィンの時は、自分の不遇に悲観するばかりだったけれど、今度は諦めたくない。
エディーナは自分を奮い立たせるようにそう思うと、両手を握り締めた。
◇◇◇
次の日、驚いたことにイザークが屋敷を訪れた。
「突然すまない。クラウディア王妃にご挨拶がしたくて」
「すぐにノアを呼んで参ります。おい」
ケヴィンは執事のヘインズに指示を出すと、イザークを居間に通した。エディーナはミレイユの車いすを押しながら、イザークの後ろ姿を見つめる。
(……屋敷にまで来るなんて……、これって誠意を見せているってことなのかしら……)
大国の皇太子がわざわざ足を運ぶには意味がある。城に呼びつけないのは、王妃であったノアに敬意を払っているということなのだろうか。
(それともやっぱり何か裏があるのかしら……)
イザークがソファに座ると、ケヴィンとミレイユが正面のソファに並んで座る。エディーナはいつものようにソファの後ろに立ってノアが来るのを待った。
「失礼致します。お待たせ致しました。ノア様をお連れ致しました」
ヘインズの後に続いて入ってきたノアは、しっかりとドレスを着て髪を結っていた。いつもの病弱な様子はなく、背筋をピンと伸ばしゆっくりと歩く姿は、どう見ても貴族のそれだった。
「わたくしが、クラウディア・エシレーンです。あなたがカルドナ帝国の皇太子殿下かしら」
「初めてお目に掛かります。カルドナ帝国皇太子のイザークと申します」
イザークはノアの前で膝を突くと、右手にキスをする。その姿を見下ろし、ノアは微笑んだ。
「まさか18年も経って、まだ探されているとは思わなかったわ」
「生きていて下さり安堵しました。どうぞ私の話を聞いて下さい」
「……いいでしょう。ラディウスも一緒でいいわね?」
「もちろんです」
ノアの後ろにいたフィルは、一昨日と同じように顔を顰めている。エディーナはその顔を心配そうに見つめていると、フィルと目が合った。
「エディ、隣に」
「う、うん……」
ノアが座るソファの後ろに二人並んで立つと、ミレイユがこちらをじろりと睨み付ける。その目に怯んだエディーナは、フィルに隠れるように半歩下がった。
「話はラディウスから聞いたわ。エシレーンを独立させるとか。本気で言っているの?」
「もちろんです。父が皇帝になり、やっと実現できることになったのです。父はずっと祖父、先代のやり方に反対しておりました。戦争で領土を広げ続けることは、いずれ限界が来ると。実際、奪い取った領土の国民たちはカルドナに反発し、国内は常に小さい火種がくすぶっておりました」
イザークの話は、エディーナにはまるで物語を聞いているような気持ちだった。国の政治のことなどこれまでの人生で考えたことなどない。まして侵略戦争の話など、想像することも難しい。
けれどそれをフィルとノアは実際に体験し、ここに逃れてきたのだ。それを思うと、エディーナは分からないからと考えるのを放棄することはできなかった。
「国内の紛争を抑えるために我々に立てというの? それで、ラディウスが王になって、あなたたちはエシレーンを属国にするつもり?」
「属国にするつもりはありません。こちらとしてはミラン王国と同じように、同盟国となって頂きたいという気持ちはありますが、それも無理強いするつもりはありません」
「随分こちらに都合の良いお話で、にわかには信じがたいのだけど」
「……それは分かっております。お二人が納得できるよう、時間を掛けてでも説明するつもりです」
ノアの言葉にイザークは困ったように言葉を濁した。それまで自信のある態度しか見せてこなかったイザークの表情の変化に、エディーナは少し驚いた。真っ直ぐにイザークを見つめるノアの強い視線が、この人は確かに王妃なのだと思わせるものだった。
「実は、ミラン王国には聖女も亡命していることが分かりました」
「フォルトゥナが!?」
イザークの言葉に冷静であったノアが表情を変えた。眉を顰めてフィルと目を合わせる。
「聖女が生きているのか!?」
「生存はまだ確認できていない。だが、18年前、お二人と同じようにミラン王国に逃れた痕跡がある。今、聖女を知る者に捜させている」
「フォルトゥナがこの国に……」
「聖女と共に3人がエシレーンに戻れば、国民も安心して暮らせるようになるだろう。国政が安定するまではカルドナも手助けする」
フィルに向けてイザークは言ったが、フィルはやはり返事をしなかった。
「あなたの言いたいことは分かったわ。わたくしたちを見つけ、こうして話をしている以上、すぐに殺すということはないでしょう。カルドナを信じるかどうかは、ラディウスと決めます」
「分かりました。そういえば、ラディウス王子はご結婚をされているのですよね。エシレーンに戻ってから結婚式を盛大に挙げれば、国民も喜びますよ」
イザークが優しい笑みを浮かべ、エディーナに向かって話し掛ける。突然視線が合ってエディーナは驚いた。
「あなたもエシレーンに来るのでしょう?」
「あ、私は……」
「いいえ、妹はエシレーンには行きませんわ」
エディーナが頷こうとした瞬間、ミレイユが声を上げた。
「王子と共にエシレーンに行くのは私です」
全員が驚く中、ミレイユはそう言うと、優雅に笑みを浮かべてイザークを見つめた。




