第17話 ミレイユの野望
舞踏会から帰ってきたミレイユは、ベッドに入った後もまったく眠気が起きず、目を開けてベッドの天蓋を見つめた。
(フィルが王子だったなんて、信じられないわ……)
カルドナ帝国が戦争で近隣の国に勝ったことだけはうっすらと覚えていたが、その国がエシレーンという国名だったことをミレイユは知らなかった。
カルドナの皇太子の言うことが本当なら、フィルはエシレーン王国の国王になる。
(ちょっと待って……。このままじゃエディが王妃になっちゃうってこと!?)
ガバッと起き上がったミレイユは、顔を顰めて考える。
フィルははっきりとイザークにエディーナのことを『妻』だと紹介した。もしフィルがこのままエシレーンに戻ることになったら、自動的にエディーナが王妃になってしまうかもしれない。
「そんなのダメよ!」
ミレイユは思わず声を出していた。
(エディが王妃!? 私が公爵夫人で、エディが一国の王妃……。そんなの絶対ダメ!!)
エディーナからケヴィンを奪ったのは、自分よりも早く結婚されるのが嫌だったのもあるけれど、それよりも公爵夫人になんてなったら、自分よりも上になってしまうかと思ったからだ。
ケヴィンは見た目も素敵だし、その上すでに公爵で、そんな申し分ない人とエディーナが結婚するなんて許せなかった。
(フィルと結婚させれば、全部上手くいくと思っていたのに、まさかそれがこんなことになるなんて……)
昨日の朝までは、エディーナをここから追い出せば、ケヴィンとの結婚式も晴れやかな気持ちで進められると思っていたが、こうなってしまえばもうその計画は意味がない。
(エディが王妃なんてできる訳ない。私の世話しかできないんだから……)
メイドのようなことしかできないエディーナに、王妃なんて務まる訳がない。
(私なら、きっと上手くできる……)
美しさも教養も、エディーナよりももちろん上だ。王妃となるなら自分こそが相応しい。
ミレイユは自分に言い聞かせるようにそう思うと、両手を握り締めた。
◇◇◇
「フィル、花を見たいから奥の方まで行ってちょうだい」
「分かりました」
ミレイユは笑顔でそう言うと、フィルは素直に返事をする。
部屋を出る時、エディーナは酷く動揺した表情をしていた。けれどだからといってエディーナは、決してこちらに文句を言うことはない。
これまでずっとそうだったのだ。だから今回もきっとまた、自分の計画通りになるだろう。
「フィル、昨日は寝られた?」
「いいえ……」
「あんなことがあったんだもの、眠れないわよね」
今まであまりちゃんと顔を見ていなかったが、こうして見上げてみると、フィルはまぁまぁ整った顔立ちをしている。黒髪だし、少し地味に感じるが、別に気になるほどでもない。
ミレイユはにこりと笑い掛けると、前を向く。
「故郷の思い出はあるの?」
「……国を出たのは7歳の時ですから、あまりありません」
「そうなの……」
いまいち盛り上がらない会話だが、ミレイユはあまり気にせずに話し掛け続ける。
「エシレーンにすぐに戻るの?」
「それは……、まだ分かりません」
「でも国王になるんでしょ? 早く帰った方がいいんじゃない?」
そう言うと、フィルは難しい顔をして黙ってしまう。
(国王になれるのに、そんなに嬉しそうじゃないわね……)
滅亡した国を復興できるのに、なぜ嬉しそうじゃないんだろうとミレイユは不思議に思う。
カルドナほどの大国の皇太子の言葉なら嘘ではないだろうし、小さな領土しかないエシレーンの王子が、拒否できるような話ではないだろう。
良い話なのだから、素直に従えばいいだろうに、何をそんなに悩むことがあるんだろうか。
「あなた、運がいいわ。きっとこれから良いことがたくさんあるわよ」
美しい花を見ながらそう言うと、ぴたりと車いすが止まった。
「これから良いことが……」
遠い目をして呟くフィルを見上げ、ミレイユは微笑む。
「そうよ。滅亡した国が復活するのよ。きっと国民も喜ぶわ。それに死んだと思っていた王族まで戻ってくるのよ? 皆、歓迎するわ」
「歓迎……、するでしょうか……」
「当たり前よ。それに新しい国王が結婚するとなったら、国民はもっと喜ぶわ」
ミレイユは車いすを自分で動かしフィルに向き合う。
「王妃はそれ相応の者じゃないとなれないわ」
「それは、どういう意味ですか?」
「エディじゃ荷が勝ちすぎる。あの子は私の世話をするくらいしか能がないもの。貴族としての振る舞いも危ういのに、王妃なんて絶対に無理よ」
ミレイユはフィルの目をじっと見つめる。
フィルは何も返事をしなかったが、何かを考えているような表情をして見つめ返してきた。
「ねぇ、フィル。私が王妃になってあげる。これから大変になるでしょう? エディじゃ王妃は務まらない。私ならあなたを支えられるわ」
とっておきの笑みを浮かべてそう言ったが、フィルは戸惑ったような表情を浮かべたまま黙っている。
「王妃として相応しいのがどちらかなんて、考えなくても分かるでしょ?」
「ミレイユ様、あなたは……」
「エディを王妃にさせるなんて可哀想よ。きっと何もできなくて心を病んでしまうわ。人には人の性分というものがあるわ。あの子は人の上に立つようなことはできない。分かるでしょ?」
考え込むような表情を見せるフィルに、ミレイユはもう一押しだとポケットからこっそりハンカチを取り出した。
「ああ、フィル。ごめんなさい、ハンカチを落としてしまったわ。拾ってくれる?」
何気ない様子でそう声を掛けると、フィルは素直に腰をかがめハンカチを取ろうとする。その隙を狙ってミレイユは車いすから足を降ろすと、すかさずフィルの頬にキスをした。
驚いて飛び退くように立ち上がったフィルは、ミレイユを凝視している。
「私の気持ちは分かったでしょ? 答えは決まっていると思うけど、念のため聞いておくわ」
車いすに座り直したミレイユが笑顔を向けると、フィルは真っ直ぐにミレイユを見つめて口を開いた。
「俺はミレイユ様を妻にするつもりはありません。エディはもう俺の妻です。そう決めたのはあなたとご両親だ」
はっきりとフィルはそう断言すると、ハンカチをそっと手渡し、背中を向けて歩いて行ってしまう。
(な、なによ……、あの態度……!)
ミレイユはまさか断られるとは思わず、真っ赤になってハンカチを握りしめた。
(私がここまでしたのに……。私に恥をかかせたわね……)
ケヴィンはこれであっさり心変わりしたのに、フィルはまったく心を揺らすような様子を見せなかった。それがミレイユには悔しくてたまらない。
(私よりエディが良いっていうの!? まさか、そんな……)
ミレイユはイライラと爪を噛むと、これからどうするかを考える。
この手が通じないのなら、フィルをどうにかするのはもはや無理だろう。それならやはりエディーナを説得した方が確実かもしれない。
「それなら、やることは一つね」
ミレイユは不敵に笑うと、これからのことを考えながら部屋に戻った。




