第15話 亡国の王子
「なんのことか分かりませんが、俺はフィルという名前です。何かの間違いでしょう」
「白を切る必要はない。調べはついているんだ」
イザークの言葉に、フィルは苦々しい顔をして唇を引き結ぶ。
「エシレーン王国から18年前に亡命した、第二王子、ラディウス・エシレーン。本当に生きていたんだな」
イザークは感慨深い様子でそう言うと、ふっと笑った。
それまで固唾を飲んでこちらを見ていた貴族たちが、イザークの言葉にざわめきだす。
(エシレーン王国……? カルドナに戦争で負けて領土を奪われた、あのエシレーン?)
エディーナは子供の頃に習った勉強を思い出した。18年前といえば、ちょうど自分が生まれた年で、カルドナ帝国とエシレーン王国の戦争に関しては、過去の出来事としてしか認識していない。
「安心しろ。そなたを捕まえに来た訳ではない。話がしたいのだ」
「話……? お前たちがやったことを、俺はまだ忘れていない……」
低い声でそう言ったフィルの顔には明らかに憎しみが見えて、エディーナは初めてフィルに負の感情を感じた。
(フィルもこんな顔するのね……)
当たり前のことだけれど、フィルだって人間だ。色々な感情があるに決まっているが、いつも穏やかで、人を憎むような人ではないと勝手に思っていた。
「分かっている。だがこれはそなたの、ひいてはエシレーン王国のためでもある。とにかく私の話を聞いてほしい」
イザークはフィルの強い視線を静かに受け止め、説得するようにもう一度同じことを言った。
「フィル! 一体どういうことだ!?」
突然、二人の話にケヴィンが割って入った。ミレイユと共に近付いてくる表情は、驚きと戸惑いで満ちている。
ケヴィンの足の速さにどうにか付いてきたミレイユもまた、驚きの表情をフィルに向ける。
「王子? 王子ってどういうこと?」
それまで静まり返っていた会場は、二人の大声によって緊張が緩んだのか、ざわめきが大きくなった。皆同じように口々に「どういうことだ?」と囁き合っている。
「これ以上騒がれるのは本望ではあるまい。国王にはすでに説明してあるゆえ、一緒に来てほしい。来てくれるな?」
「……分かった」
憎々しげにイザークを見つめたフィルではあったが、これ以上注目を集めるのをよく思わなかったのか、渋々頷く。
エディーナはこれからどうなるのかと不安に思い、思わずフィルの腕を掴んだ。
「エディ、君も来てほしい」
「で、でも……」
「ラディウス王子、その女性は?」
「俺の妻だ」
はっきりとフィルが言うと、イザークは少し驚いた表情を見せた。
エディーナはフィルの言葉に嬉しさを感じたが、自分は完全な部外者であることは確かなので、聞いていい話なのか戸惑った。
「結婚していたのか。少し前の報告では、独り身であったと聞いたが」
「……つい最近、結婚した」
「いいだろう。奥方であるなら、話を聞く権利はある」
「私たちも話を聞く!」
突然ケヴィンが声を上げると、フィルの前に出た。
「そなたは?」
「フィルの雇用主だ」
「ああ、エイムズ公爵か。……いいだろう。共に参れ」
イザークは何もかも調べ上げているのか、ケヴィンのこともすぐに納得し頷いた。
ミレイユはイザークの言葉に笑顔になると、ケヴィンに腕を絡めた。
貴族たちの注目を集める中、会場を後にすると、4人はぞろぞろとイザークの後ろを付いて歩く。そうして廊下を進むと、煌びやかな広い客室に入った。
全員がソファに座ると、一番に口を開いたのはケヴィンだった。
「殿下、フィルが王子だというのは本当ですか!?」
「そなたは何も知らないのか?」
「わ、私は……、父からは何も聞いておらず……」
イザークの質問にケヴィンは言葉を詰まらせると、下を向いてしまう。イザークは肩を竦めると、全員に向けて話しだした。
「『フィル』というのはラディウス王子の近しい者だけが呼ぶ名だな。亡命の足取りを追い掛けて調べた。この者がラディウス王子本人であることは間違いない」
イザークが断言すると、フィルは奥歯を噛み締めてイザークを睨み付ける。
「なぜその王子が、公爵家にいるのです?」
「それはラディウス王子に聞く方が早いな」
ミレイユが身を乗り出して聞いた質問に、イザークはそう答えると、フィルに視線を送る。
その場にいる全員がフィルをじっと見つめると、フィルは重い溜め息を吐いてから口を開いた。
「18年前、ミラン王国に亡命したのは、先代のエイムズ公爵夫妻が母上と懇意にしていたからです。本当はしばらくの間だけ身を寄せさせてもらうつもりでしたが、病の母をとても心配してずっと匿ってくれていたんです」
「だから両親は、二人に家まで与えて……」
呆然と呟くケヴィンに視線を送りながら、エディーナもまたフィルとノアが公爵家でなぜここまで好待遇なのか、やっと納得がいった。
(普通の使用人の待遇ではなかったものね……)
ずっと疑問に思っていたけれど、こんな大きな理由があったなんて思いもよらなかった。
「本当に王子様なのね……」
ミレイユは呟くとフィルを見つめる。その視線にフィルは眉を寄せると首を振った。
「俺は王子でもなんでもありません。ただの公爵家の使用人です。いまさら王子だなんだと言われても困ります」
「ラディウス王子、それは違うぞ。そなたはエシレーン王国に残る、唯一の王位継承権を持つ王族だ」
「なにを言って……、エシレーンは滅んだ! お前の国が滅ぼしたんだろうが!」
フィルは大声で怒鳴ると、勢いよく立ち上がる。
エディーナはビクッと体を竦め、フィルを見上げる。
「フィル……」
自分の国を滅ぼした相手を目の前にして冷静でいられる人なんていない。エディーナはゆっくりと立ち上がると、フィルを労わるように背中に手を当てた。
「18年前の戦争のことを詫びるつもりはない。私はこれからのことを話しに来たのだ」
「これから?」
言葉の出ないフィルに代わり、エディーナが訊ねると、イザークは初めてエディーナと目を合わせた。
「カルドナは皇帝が代替わりした。私の父はエシレーン王国を独立させるつもりだ」
「独立!?」
4人の驚きの声が重なり、イザークは全員に向けて大きく頷いた。
「カルドナの領土としていたエシレーンを独立させる。そのためには国王となる者が必要だ。すでにそなたの父も王太子であった兄も戦死している。そなたしかいないのだ」
「エシレーンが……独立……」
フィルはポツリと呟くと、顔を歪め俯いてしまう。
「すぐに返答ができないのは分かっている。今日はこれで帰ってもらって構わない。クラウディア王妃とよく話し合ってほしい」
イザークはそう言うと立ち上がり、手を出す。けれどフィルはその手を握り返すことはせず、手の甲で払い除けた。
「行こう、エディ」
「う、うん……。し、失礼致します、殿下」
エディーナは慌てて挨拶をすると、歩きだしてしまうフィルを追い掛けた。
「私たちも失礼致します」
ケヴィンとミレイユもその後に続くと、部屋を出た。
どんどん先に行ってしまうフィルをエディーナは早足で追い掛けると、廊下の曲がり角を曲がったところでフィルは突然立ち止まった。
「フィル?」
やっと追い付いて名前を呼ぶと、俯いたままだった顔を上げてフィルはエディーナを見る。
「エディ……、黙っていてすまなかった……」
「そんなこと……。それより大丈夫?」
「まだ混乱している……」
「うん……」
フィルの言葉に、エディーナは何と言ってあげればいいか分からずただ小さく頷くと、そっとフィルの手を握り締めた。
 




