第14話 変化の足音
ミレイユから驚くべき提案をされたエディーナとフィルは、その日の夜、ノアにもしかしたら出て行くことになるかもしれないと報告した。
「そう……」
「ごめんなさい。たぶん私のせいです。お姉様は私を遠ざけたいんだわ。それに二人を巻き込んでしまって……」
エディーナが申し訳ないと謝ると、ノアは首を振った。
「あなたのせいではないわ。先代が亡くなった時から、いつかは言われると思っていたから。ケヴィン様は私たちのことを、ずっと良く思っていなかったから覚悟はしていたわ」
「お義母様……」
ノアはそう言うと、エディーナの手を優しく握る。
「俺は母さんとエディが心配だ。俺はどこでだって生きていけるが、この屋敷から出て二人が辛い思いをしないか……」
「心配ないわ、フィル。エディーナが世話をしてくれるようになってから、随分調子がいいの。朝も起き上がれるようになったし、質素な生活ならもう慣れっこよ。それよりエディーナは? 大丈夫?」
「私は……」
エディーナは少し考えてから、フィルとノアの顔を見て笑った。
「私は確かに貴族の生活しか知らないけど、二人がいてくれればきっと大丈夫だと思います」
「エディ、母さん。これからどうなるかは分からないけど、俺が絶対二人を守るから」
真っ直ぐに二人を見つめて言ったフィルの言葉に、エディーナは微笑み頷いた。
(今度こそ、お姉様と離れることになるかもしれない……)
ここに来る時、自分の人生はどうなってしまうのだろうかと、抜け出せない暗闇の中を歩いているようだった。けれど今、不思議なほど明るい未来を思い描いている自分がいる。
(フィルとお義母様に出会えたから、こんなに気持ちが前向きなんだわ……)
これからどうなるかまったく分からないけれど、きっと上手くいく。そう思える自分が驚きであり、嬉しくも感じたエディーナだった。
◇◇◇
5日後、舞踏会があり、ミレイユの支度をしていると、ミレイユが機嫌の良さそうな声でエディーナに話し掛けた。
「ねぇ、エディ。城下町にね、あなたたちが住むのにちょうど良さそうな家を見つけたの」
「え……、あ、そうなの?」
(お姉様、やっぱり本気だったのね……)
もしかしたら言葉だけで行動には移さないかもと思っていたけれど、ミレイユはやはり本気だったらしい。
エディーナが少し驚きながら返事をすると、ミレイユはこちらを向いてにっこりと笑った。
「ちょっと修理が必要らしいけど、すぐにも住めるらしいわ。良かったわね」
「へぇ……」
「私のことは気にせず、荷造りをしてね。ケヴィンにはもう言ってあるから」
どういう反応をしていいか分からず、曖昧に頷くことしかできない。その様子にミレイユは咎めることもせず、笑顔のままで話し続ける。
「あちらに住むようになったら、もうこんな舞踏会には出られなくなるんだから、今日は楽しんでね」
「……そうね」
エディーナが沈んだ声で返事をすると、ミレイユは意地の悪い笑みを浮かべた。
その表情はよく見るもので、別段エディーナは気にすることもなくミレイユの支度を続けた。
◇◇◇
夜になって城で行われる舞踏会へ馬車で向かうと、いつもよりもずっと参加人数が多いことにエディーナは驚いた。
「すごい人……、今日何かあるのかしら」
ミレイユが首を傾げて言うと、隣に立つケヴィンは「ああ」と頷いて答えた。
「そういえば、今日は隣国のカルドナ帝国から皇太子が来ているらしい」
「カルドナ帝国? まぁ、それは珍しいわね」
「事前に訪問する発表がなかったから、お忍びで来ているのかもな」
「へぇ……」
二人の会話を後ろで聞いていたエディーナは、少しだけカルドナ帝国と聞いて興味を引かれた。この国の北に面した隣国で、かなりの領土を誇る大きな国家だ。エディーナたちが住むミラン王国とはそれほど国交が盛んではないから、こうして皇太子が国を訪れるのは本当に珍しいことだ。
「フィル、皇太子ってどんな人かしらね」
振り返ってフィルに話し掛けたエディーナだったが、フィルは何か考え事をしているのか黙ったままだ。
「フィル?」
あまり見たことのない真剣な表情が気になって、エディーナは手を伸ばして袖を引っ張ると、フィルはハッとしてエディーナに視線を合わせた。
「な、なんだい? エディ」
「どうしたの? 何か気になることがあるの?」
「あ、いや……、珍しいなって思っただけだよ」
「そう……」
フィルは少しだけ慌てたように答えると、それきりまた黙ってしまった。
「ケヴィン、皇太子の顔が見たいから奥へ行きましょうよ」
「そうだな。もしかしたら話せるかもしれないし行ってみよう」
思いの外二人は意気投合して頷き合うと歩きだす。その後ろに付いてエディーナとフィルも移動する。かなりの人の数で、人垣を縫って歩くと、貴賓席の近くまでやってきた。
すでに音楽が奏でられ始め、ダンスをする男女もいるが、大抵の人は皇太子の姿が見たいのか、何をするでもなく貴賓席の近くをうろついている。
「本当にすごい人ね」
「皇太子は確か未婚だから、女性たちは色めき立っているな」
「あら、そうなの……」
ケヴィンの言葉に、ミレイユが首を伸ばして人垣の向こうを覗く。ミレイユのそんな姿を見たことがなかったエディーナは、少しおかしく思いながらも、自分もついつい貴賓席に目を向けた。
今日の舞踏会は王妃が主催なのだが、王妃も姿を見せていない。それが何かありそうで、会場はどこか落ち着かない空気が満ちていた。
そうして1時間ほど経った頃、ついに王妃が現れた。共に国王、王子とそして、その後ろにはミランとは少し形の違う軍服を来た青年が入ってくる。その姿に周囲はざわめいた。
(あの方がカルドナの皇太子様かしら……)
人垣の隙間から見えた皇太子は、まだ20代になったばかりだろうという青年だった。薄い茶色の髪に黒い瞳で、軍服だからかとても怜悧な印象を持った。王妃の後ろを歩きながらぐるりと首を巡らせて会場内を見渡すと、一際周囲のざわめきが大きくなる。
「フィル、なんだかすごく怖そうな方ね」
フィルに話し掛けたエディーナは、隣にいるはずだったフィルがいつの間にかかなり後ろにいることに気付いた。その顔が深刻な表情に見えて、エディーナは心配になりそばに寄った。
「どうしたの? フィル?」
「あ、いや……。エディは前にいなよ。俺は従者だから後ろに控えているよ。何かあったら呼んでくれ」
「じゃあ、私もここにいるわ。前はすごい人だし、私にはあまり関係がないもの」
ミレイユがいる辺りは、本当に人がぎゅうぎゅうで立っていられないくらいだ。ミレイユの隣にはケヴィンがいるし、しばらくは離れていても怒られはしないだろう。
エディーナがそう言うと、フィルは少しだけ困ったように眉を下げた。
(どうしたのかしら、フィル……)
具合が悪いのかとも思ったが、そういう感じの表情でもない気がする。皇太子の事も気になったが、エディーナはフィルの事の方が心配だった。
「皆さん、ごきげんよう。大変お待たせ致しましたが、本日はカルドナ帝国よりイザーク皇太子殿がおいでになっています。今回の来訪は公的な訪問ではなくお忍びとのことですので、皆さんぜひ親睦を深めて下さいませ」
国王が玉座に着くと王妃はそう言い、イザークに視線を向ける。イザークは口を開くことはせず、軽く会釈するだけだった。
女性たちはそんなイザークの様子に、甘い溜め息を吐いている。細い顎に切れ長の目は、エディーナには少し怖い印象ではあるが、整った顔立ちはその冷たい印象を払拭するのに十分な威力がある。
女性たちが色めき立つのも仕方ないことだと、エディーナは苦笑した。
「ご挨拶もないなんて、本当にお忍びなのね」
「そうだな……」
イザークの周りにはもう女性たちが集まってきている。お忍びなら気軽に声を掛けられると、度胸のある女性たちが我先にと話し掛けている。
イザークは最初よりは随分穏やかな表情で女性たちと話しており、その様子を見てエディーナは、見た目よりは優しい人なのかもと思った。
「エディは前に行かなくていいのかい?」
「私はいいわ。あの人混みには入りたくないもの」
会場の壁沿いに二人並んで立ち、エディーナは人混みの中にいるミレイユとケヴィンを眺める。二人はどうにかイザークに近付こうと頑張っているようだ。
「そういえばここに来る前、お姉様がね、もう私たちが住む家を見つけたって言っていたわ」
「もう?」
「うん。お姉様は本当に早く、私に出て行ってほしいんでしょうね……」
「幼い頃からずっと世話してくれた妹を、そんなにあっさり遠ざけるのか……」
「しょうがないわ。今私はお姉様にとっては邪魔者でしかないもの。私がケヴィンのこと、まだ好きだって思ってるのよ……」
浅く溜め息を吐きつつそう言うと、フィルはじっとエディーナの顔を見つめてくる。
「なに?」
「あ、いや……」
言葉を濁したフィルは、ふいと視線を外すと何気ない様子で前を見た。その横顔が一瞬で強張った。
(え、どうしたの?)
エディーナが首を巡らせると、イザークがこちらに歩いてくるのが見えた。周囲にいた全員がイザークの行動に注目している。
「え、嘘……」
なぜかは分からないが、イザークはどんどん自分に近付いてくる。エディーナは驚いて思わずフィルの腕を掴んだ。
「エディ、俺、外で、」
「逃げるな」
フィルがなぜか慌てて踵を返そうとした時、イザークが声を上げた。その声に会場がシンと静まり返る。
「え……、フィル?」
フィルは眉を歪め、険しい表情でイザークを睨み付ける。そうしてフィルの目の前で足を止めたイザークは、真っ直ぐにフィルを見つめた。
「見つけたぞ、ラディウス王子」
そうイザークが言った瞬間、大きなざわめきが起こった。
そんな中、エディーナは、フィルとイザークが強い視線を交わすのを、ただ呆然と見つめるしかできなかった。




