第12話 ミレイユの悩み
あれから数日経ったが、相変わらずケヴィンは仕事が忙しいと理由をつけて、ミレイユの誘いを断り続けている。
ミレイユはケヴィンと早く二人で街を歩きたいと思っていたけれど、ずっと待ち続けているのも嫌で、今日は仕方なくエディーナを連れて街に出た。
貴族の集まるカフェに入ると、かなり席は埋まっていて、舞踏会でよく顔を合わせる女性たちがちらりとこちらを見た。店員にテラス席へ案内されると、エディーナはイスをどかして車いすで座れるようにした。
「ここに来るの、久しぶりね」
「そうね、お姉様……」
エディーナは野菜倉庫に閉じ込めてから、随分しおらしくしている。実家でもそうだったが、厳しく叱ればしばらくは大人しくしている。けれどその内また気が緩んで、こちらの気に障ることをするのだ。
(本当に気に入らない……。ケヴィンはまだエディに未練があるんだわ……)
エディーナはそれを知ってきっといい気になっている。心の中では、自分のことを笑いものにしているかもしれない。
「エディ、いつものケーキセットを頼んでちょうだい」
「分かったわ」
事務的なことしか話さないエディーナは、そばにいても本当につまらない。けれど一緒にいるしかないのだから仕方ない。
エディーナが店員に注文をするのを横目で見ながら、大きな溜め息を吐く。
(エディが誘惑してたら最悪ね……)
こんな地味な顔をしていても、元々ケヴィンとは恋仲だったのだ。今も結婚を諦めていないのかもしれない。
ミレイユはつらつらと色々なことを考えていたが、いつまで経ってもケーキセットが来ないことにも苛つきだした。
「なんで全然来ないの? エディ、ちょっと行って早くしろって言ってきて」
「わ、分かったわ……」
エディーナはのろのろと立ち上がると、キッチンの方へ歩いていく。その後ろ姿を見て、ミレイユはまた溜め息を吐いた。
「ねぇちょっと、ミレイユの話、聞いた?」
「え? 婚約したって話でしょ?」
「違うわよ。ミレイユの婚約者、エイムズ公爵って、元々妹のエディーナと恋人同士だったんですってよ」
「えー!? ホントなの?」
少し離れたテーブルの女性たちが、突然自分の噂を話し始めた。こちらの席とは柱が邪魔で見えていないようだ。
(最悪……)
自分の悪口なんて聞きたくもないが、今席を動いたら、ここに自分がいることが分かってしまう。
ミレイユは顔を歪ませながらも、仕方なくその場で静かにしていることにした。
「エディーナの恋人をミレイユが横取りしたんですって。酷い話よね」
「あら、でも確か、エディーナも結婚の話が出てなかった?」
「それがね、ミレイユのためにエイムズ公爵家の使用人と結婚させたんですってよ」
「ええ!? ちょっと待って! 使用人と結婚って、そんなことあるの!?」
「ホントらしいわよ。もう二人とも公爵家にいるんですって」
「エディーナって昔からミレイユの世話ばかりしている感じだったけど、まさか結婚までミレイユのためにさせられるなんて……」
二人の会話を聞きながら、ミレイユは両手を握り締める。
(あることないこと……、何も知らないくせに……)
「でも貴族の娘を使用人と結婚させるなんて普通しないわよ。貴族なのよ? なんでわざわざそんなこと……」
「エディーナもずっと姉の世話をして、その上、使用人と結婚なんて哀れな子ね」
「ええ、そうね……」
ミレイユはあまりにも腹が立って、反論しようと車いすに手を掛けた時、エディーナが戻ってきた。
「お姉様、ケーキセット、もらってきたわ」
「あ……、そう……」
エディーナはそう言うと、ミレイユの前にトレイを置いて紅茶を注ぐ。その声に後ろの二人が気付いたのか、そそくさと席を立つと店を出て行った。
「どうしたの?」
「……なんでもないわ」
ミレイユは眉間に深い皺を寄せて首を振ると、気持ちを落ち着かせるように入れたてのお茶を一口飲んだ。
◇◇◇
屋敷に戻ってくると、珍しくケヴィンが居間で寛いでいた。ミレイユはエディーナをさっさと下がらせると、笑顔でそばに寄り、隣に腰掛けた。
「今日はもう仕事はいいの?」
「ああ、まぁな……」
ケヴィンは適当に相槌を打つと、持っていた本のページをめくる。ミレイユはケヴィンの機嫌を取ろうと笑顔で話し続けた。
「今日は街でお買い物をしてきたの。車いすでも十分動けるのよ」
「そうか……」
「今度、ケヴィンとも一緒に行きたいわ」
必死に話し掛けるが、ケヴィンは顔を上げてくれない。どうにか気を引く内容はないかと考える。
「あ、ねぇ、ケヴィン。フィルってどういう人なの?」
「ん?」
そこで初めてケヴィンが顔を上げた。
「ほ、ほら、使用人なのに敷地内に家を持たせてもらえるなんて、相当優遇されているでしょ? 不思議だなって」
「ああ、それか……。私も実はよく知らないんだ」
「知らない?」
「ああ。18年前にフィルと母親が我が家を訪ねてきて、それ以来、父があの離れに住まわせたんだ。私は当時3歳だったから、どういう経緯があってそうなったかは知らない」
「事情は聞かなかったの?」
ミレイユが訊ねると、ケヴィンは首を振る。
「何度か聞いたことはあるが、父は結局最後まで答えてはくれなかった」
「だけど、訪ねて来た者に突然家を与えるなんて不思議じゃない?」
「私は……、フィルの母親は父の愛人だったんじゃないかと思っている」
「愛人!?」
ケヴィンの言葉に思わずミレイユが声を上げると、ケヴィンは歪んだ笑みを浮かべて肩を竦めた。
「それが一番妥当だろう? 母もあの親子を容認していたから、もしかしたらフィルは父の子かもしれない」
「それって、フィルと異母兄弟ってこと!?」
「そうなるな……」
突然の話にミレイユは驚きを隠せなかった。愛人の話なんて社交界ではよく耳にするが、実際目にするのは初めてだ。
「真実を聞く前に両親は事故で亡くなってしまって、真相は闇の中だ」
「フィルの母に聞いてみれば分かることでは?」
「馬鹿を言うな。嘘でもフィルを父の子だと言うだろうさ。これが公になれば遺産を寄越せと言うに決まってる」
「確かにそうね……」
「あんな汚らわしい親子はすぐにでも追い出したいんだが、ヘインズに強く止められて今のところはそのままだな」
「ヘインズ? 執事がどうして?」
「ヘインズは父が大切にしてきた者たちをそう簡単に捨てるなと言ってな。あいつはいまだに私を子供のように扱うが、もう私はこの家の当主だ。すぐに追い出してやるさ」
いきがって言うケヴィンだったが、すでに両親が亡くなって1年が経っている。二人を追い出せていないところを見ると、いまだにヘインズに逆らえないでいるということだろう。
たまにヘインズがケヴィンに対して諭すような場面を見るが、そんな時、ケヴィンは不貞腐れたような顔をして視線を下げている。それは確かに父親に叱られている息子のように見えた。
(フィルを追い出せれば、ついでにエディも追い出せるわね……)
ふとそんなことが頭を過った。今までエディーナが自分の世話をするのは当たり前だという、両親の言葉をずっと信じてきた。メイドは信用できないから、エディーナが世話をするんだと。けれど公爵家に来て、たまに話すメイドは皆優しかった。こちらに危害をくわえようとはしてこなかった。
それならエディーナでなくても世話は頼めるんじゃないだろうか。エディーナさえいなくなれば、ケヴィンとの仲を引き裂く者はいなくなる。皆が幸せになれる。
(二人を追い出す策を考えなくては……)
ミレイユはケヴィンの隣で、生まれて初めてエディーナを自分から遠ざけることを考え始めた。




