第11話 二人きり
ドアの外からは使用人たちがバタバタと動き回る音が微かに聞こえる。しばらくはその音を聞いていたエディーナだったが、目を開けると大きな溜め息を吐いた。
(ケヴィンがあんな人だったなんて……)
ずっと優しくて誠実な人だと思っていた。けれどエディーナに言った言葉は本当に最低で、何かの聞き間違いじゃないかと思いたくなるほど酷いものだった。
(フィルのことも酷い言い方だったな……)
ケヴィンの父親をたぶらかしたというのはどういうことなのだろうか。まさかノアが先代とそういう関係だったのだろうか。
一瞬そんな考えがよぎったが、ノアの性格でそんなことをするとは思えない。
(でも良い人だと思っていたケヴィンはああいう性格だったし、過去のことなんて尚更分からないわよね……)
まさか本人に聞く訳にもいかないしとエディーナは溜め息を吐く。
ミレイユを怒らせないためにはケヴィンと距離を置くしかない。ケヴィンにもう気持ちはないことをはっきりと伝えなければ。
そう思った時、エディーナはハッとした。
(私……、本当にもう……ケヴィンを好きではないのね……)
ほんの少し前まで、あんなに恋焦がれていたはずの人なのに。あの舞い上がるような気持ちはすっかり消えてしまった。
ミレイユには悪いけれど、あんな人と結婚しなくて良かったとさえ思う。
エディーナはまた目を閉じると、取り留めもなく色々なことを考えた。そうしている内にいつの間にか眠ってしまっていたが、ドアから物音が聞こえて目を開けた。
ガチャッと鍵の開く音がするとドアが開く。
「エディ」
「フィル!」
ランプを持って入ってきたのはフィルで、エディーナは跳ねるように立ち上がると、そのままフィルの胸にぶつかるように抱きついた。
「遅くなってごめん」
「ううん、いいの!」
フィルは申し訳ないという風に言うフィルに、エディーナは首を振る。
こうして来てくれただけで嬉しい。涙ぐんだ顔で見上げると、フィルはほんの一瞬抱き締めてくれた気がした。
「さ、外へ出よう」
「お姉様が許してくれたの?」
「いや……、俺が勝手に鍵を開けたんだ」
「じゃあ……」
「お咎めは俺が受けるよ。こんなところにずっといる必要なんてない」
フィルから体を離したエディーナは、優しいフィルの言葉に首を振った。
「それはだめよ。私のためにそんなこと絶対だめ」
「エディ、でも、」
「私が受けた罰だもの。最後までちゃんと受けるわ」
ずっとかばわれてばかりで、これ以上フィルを巻き込む訳にはいかない。ここから勝手に出れば、きっとミレイユはもっと怒るだろう。そうなればフィルがどんな罰を受けるか分からない。
エディーナは毅然とそう言うと、フィルは困ったように眉を下げた。
「だが朝までなんて……」
「大丈夫よ。子供の頃からたまにこんなことはあったから。きっと朝になったら許してくれるわ」
「そんな……」
フィルに向かって笑ってみせたエディーナは、さきほど座り込んでいた場所にまた腰を下ろす。
するとその隣にフィルも腰を下ろした。
「フィル?」
「それなら、俺も一緒にいるよ」
「だめよ。あなたは関係ないわ」
「関係はある。君は俺の妻だ」
フィルの言葉になぜかエディーナは顔を真っ赤にしてしまった。
一瞬で顔が熱くなってしまい、慌てて顔を背ける。
(つ、妻……。そうよね……、形だけはそうだものね……)
エディーナは自分にそう言い聞かせると、そろそろとフィルの顔を見た。
フィルは少し不思議そうな顔でエディーナを見ている。
「で、でも、フィルまでここにいたら、ケヴィンに怒られてしまうんじゃない?」
「いいさ」
「お、お義母様は? 私たち二人ともここにいちゃ、お世話ができないわ」
「俺が仕事でいない時は、いつも使用人の誰かが母さんに食事を持って行ってくれるから大丈夫さ」
どうにかフィルを思い止まらせようとするが、フィルの返答にそれ以上何も出てこなくなって、エディーナは困った顔で口を閉ざした。
「迷惑かい?」
「迷惑じゃないわ。嬉しいから困ってるんじゃない」
「それなら素直に嬉しいって言えばいい」
フィルが笑顔でそう言うと、エディーナは苦笑して頷いた。
「ありがとう、フィル」
「どういたしまして」
そうして二人は薄ぼんやりとしたランプの灯りだけを頼りに、長い夜を過ごすことになった。
ドアの向こうではずっと足音が聞こえていたが、その内静かになった。
「今、何時頃かしら……」
「もう深夜遅い時間だろうな……。ドアの鍵は開いているから、何か食べ物でも持ってくるかい?」
「うーん、我慢できなくなったらお願いするわ」
ミレイユがそれを知ったら余計に怒りそうだしと、エディーナは首を振った。食事を抜かれるのも慣れている。一晩くらいはどうってことはない。
「こんな暗いところで一人でいて怖くなかったかい?」
「ちょっと怖かったけど、一人じゃなかったから大丈夫」
「一人じゃなかった?」
「うん」
エディーナは少しだけ考えてから、ポケットにしまっているノクスを取り出した。
家族以外にノクスを見せるのは初めてでドキドキする。
「この子、ノクスがいるから平気」
「手作りの人形だね。エディが作ったのかい?」
「うん。7歳の時に自分で作ったの。たくさん綺麗な布はあったけど、母は全部それをお姉様にあげて、私には黒い布しかくれなくて……。だから黒猫を作ろうって」
「それは……」
「不格好でしょ? でも私にはとっても大事な子なの」
「お守り?」
「そうね……、お守りみたいなものね……」
フィルならきっと笑わずに聞いてくれると思った。ミレイユにはいつもいい歳をして人形なんてと笑われるけれど、フィルは優しい目でノクスを見てくれた。
それから身を寄せ合って暗闇の中でポツリポツリと話し、しばらくするといつの間にか二人とも眠ってしまったようだった。
エディーナがふと目を開けると、目の前のランプの灯りが消えている。油が切れたのかとぼんやり思っていると、自分が思い切りフィルに寄り掛かっていることに気付いた。
慌てて身を起こし、少しだけフィルから離れる。
(わ、私ったら……)
また顔を赤くしたエディーナは、両手で頬を押さえる。そうしてちらりとフィルの顔を盗み見た。
まだ眠っているのを確認すると、そっと顔を近付けてじっと見つめる。
(目を閉じてると少し幼い感じなのね……)
きりっとした目が印象的なので、目を閉じてしまうとその印象が薄れるのだろう。顔から視線を移し、さきほどまで寄り掛かっていた腕を見る。力仕事もしているからか、二の腕はケヴィンなどよりもずっと太い。手のひらも厚くて、いくつかたこがあった。
こんなに近くで男性を見たことがなかったエディーナは、ついじっくり観察してしまう。だがその瞬間、フィルが目を開けた。
「ん……、エディ?」
「フィ、フィル! 起きたのね!」
目の前で目が開いて驚いたエディーナは、飛び退くように体を離す。フィルはそんなエディーナの様子には気付いていないのか、ゆっくりと立ち上がると野菜の上に掛けてあった布を持って戻ってきた。
「寒いだろ? 肩に掛けておくといい」
「フィルは? フィルも寒いでしょ?」
「俺は平気だ」
そう言ってフィルはそっと肩に布を掛けてくれる。優しい気持ちに嬉しく思いながらも、エディーナは首を弱く振った。
「私だけじゃだめよ。ほら、広げれば大きくなるもの。フィルも隣に座って肩に掛けて」
「エディ」
「ね?」
シャツ一枚のフィルの方がよっぽど寒そうでエディーナはそう言うと、フィルは笑って隣にまた座った。ぴったりとくっついて座ると、フィルの体温が伝わって少しドキドキしてしまう。
「あったかいね」
「そうだな……」
顔もよく見えないほど暗い中、二人で微笑み合っていると、ふいにガチャッと音がして扉が開いた。
「二人とも大丈夫かい?」
姿を現したのは執事のヘインズだった。ランプを持ってそのまま中へ入ってくる。
「旦那様には私から話しておくから、二人とも離れに戻りなさい」
「いいんですか?」
「話は聞いた。誤解なのだから罰も何もないだろう」
「ヘインズさん……」
いつもはとても厳しい様子のヘインズは、にこりとエディーナに笑い掛ける。
「エディーナ様、フィルはどうですか?」
「とっても優しくしてもらって感謝しているわ」
「……そうですか。どうなることかと思いましたが、仲良くやっているようですね」
ヘインズはそう言うと、優しくエディーナを立たせた。3人で野菜倉庫から出ると、フィルにランプを手渡した。
「すぐ夜明けだろうが、少しでも休みなさい」
「ありがとうございます、ヘインズさん」
フィルが頭を下げるので、エディーナも揃って頭を下げると、ヘインズは笑って頷いた。
そうして二人は家に戻ると、短い休息を取った。




