第二幕 その3
「おおー! 船があるわ! 船が!」
茶色い帆を軽くかけ、タグボード代わりの牛ほどの大きさの海トカゲたちにひかれながら、ゆっくりと港から離れていく船を指さし、ユピテラは歓声をあげる。
「話には聞いてたけど、やっぱり川船とかよりは大きそうねぇ!」
「そうっすねぇ」
実際の所、行き交う船の帆は白い布の帆でなく草木をそのまま編んだ網代帆だし、帆柱も一本で舵も恐らく小さな港用の取り外し式である。サイズも遠洋航海用と比べれば小さく、つまり船には素人のファスのぱっと見でもボロ船で、せいぜい近場をうろちょろするのがせいぜいだろうが、それでもぼちぼちの数が行き来し泊まっている姿は、なかなかに壮観だ。
中央から見て西の果てであるアイリス城伯領のような鄙びた田舎で、こんな量の船が出入りしているのは不思議、否、自分の不見識を思うべきだろうか。
「ね! ね! もっと近くで見てみましょうよ! ね!」
何であれ、リボンとフリルがおしゃれな薄手のワンピースを翻す、鎧を脱いだユピテラの笑顔があるならそれでよかろう、とも考えられ、
「ちょ、引っ張らな、あだだだだだ!」
ぼんやりとしていたら腕を思いっきりひかれズッコケて、ユピテラが気づくまで引きずり回しの処刑よろしく地面を顔面でこするファスであった。
ーーさて、先日の兵士を集めての訓練から、2日経った。
「今日も訓練頑張るわよー!」
などとユピテラは張り切ってたのであるが、
「……うぃーす」「……はぁ」「……ね、眠いっす」
と明らかに兵士たちは精彩がない様子で、
「んん!? なんか元気ないわねぇ!? 病気か何かかしら!?」
「いやぁ初めての訓練だべですから、皆疲れてるんだべですよ」
「むぅ! まだ三日目じゃない! そんなすぐ疲れが顔にでるようじゃ困るわよ! 色々とやりたいことあるのに!」
むくれるユピテラへ困ったように猪首と言うかドラゴン首を傾けるマク自体は、疲れた様子はなかったりする。他の竜族たちは疲労困憊なので、年の功というか、普段から鍛えたりしているのであろうか。
ともあれ、この状態では、な。故にファスは、
「新兵ですからね、致し方ないですよ。無理させたって良い訓練は出来ませんし、今日は休ませましょう?」
「むぅぅ!」
と木の実を頬張るリスのような膨れ顔をユピテラは見せつけてくれるが、文句の言葉が続いてこないので、更にひと押しで通るかなと、
「えーと、そういえば、聞いた話じゃ港の方に交易船が来てて、市場が開いてて面白いもんが売ってるそうですよ? 見に行きませんか?」
そうとりあえず、陳腐というかなんというかな気のそらし方をしたのだが、
「港!? 交易船!? 本当に!?」
ユピテラは予想外の食いつきをしてみせた。
ーーでまぁ、解散休日になったのはよいものの、食いついて興奮したあまりに引きずられて顔をおろされたわけだが。
「あ、あの程度で倒れるファスが悪いのよ! ちょっと興奮しすぎたのは、その、悪かったかもしれないけれど!」
「はいはい、お喜びいただけたようで何よりですよ。しかし、船は初めてで?」
「川船くらいは見たことがあるけど、海の船は初めてだわ! あなたが言ってた通り、川船よりもとっても大きいのね!」
「まぁそうっすが、俺、船に関してなんか言ってましたっけ?」
初めて会ってからまだ数日、そんな話はした記憶はないのだが……。
「あ、いやその、えーと、あなたみたいな傭兵に聞いたのよ! そういうのがあるって!」
「はあ、なるほど」
妙なキョドり具合がいささか不審ではあるが、さりとて突っ込むようなことでもないのでテキトーに相槌をうったのだが、
「ま、まずい、もしかして疑われてます? いっそ正直に、いやでも今まで話して信じてくれた人いないですし、ええっと」
「? どうしましたか?」
「えーと、あ! ファス! あれ! あれはいったいなにかしら!」
ごまかすようにユピテラが指さしたのは屋台。大きなトカゲ、なのだろうか? それがすだれのように何個も吊るされて、ジュージューという肉焼く音が小気味よく響く。
「海ドラゴンだべさぁ。他所のお人にゃ珍しいらしいだべね。お嬢様もお一つどうだべか」
店主の大柄な竜人に聞けばそう答えて、焼いていた串を1本差し出してくれる。
「ありがとう! でもお嬢様じゃないわ! 団長よ!」
「ははぁ。団長様だべか。ご領主様のところにお姫様がいらっしゃった、聞いた、えーと、お伺いいたしましただべが、もしかして?」
「そうよ! ユピテラよ! 後、お姫様じゃなくて団長! あ、変に畏まらなくていいわ! めんどくさいし! うん! おいしい!」
がぶりがぶりと肉厚の串焼きにかぶりつくユピテラに、竜人は別の串を焼きながら目を細めて、
「そいつはよろしう限りで。しかし、聞いてた話と違うだべなぁ」
「聞いてた話って!? 何か噂になってるの!?」
「あ、いや、それは、えーと」
「……乱暴だのなんだのって噂になってたんだろう?」
「ちょ、ちょっと兄さん!」
慌てる店主だが、大丈夫だって。自嘲してたのはつい先日だから忘れてないはずだ。……忘れてないよな?
そんな微妙に失礼な一抹の不安が過るが、
「え、なにそれ!? なんでそんな評判に!? あ、いや、そうね、兵士たちぶん殴っちゃったし、そう捉えられてもおかしくはなかったわね!」
杞憂というやつだったようで、ユピテラはそう困ったように柔らかな髪をぱさぱさとかく。
「うーん、腕試しついでに城伯の兵は強いって聞いたから、見定めようと思ったんだけど、芝居のようにはいかないわよねぇ!」
「ま、やらかすことなんて誰でもありますから、そうお気にせんでもよろしいかと。こうして普通にしてりゃ、イメージってのも落ち着くもんですし。な、店主?」
「へぇ、まったくで。ただ、その……」
「どうかしたのよ! 言ってご覧なさい!」
「あ、えっと……」
ユピテラの剣幕ーーといっても数日接した限り彼女のデフォルトだが)に怯む店主に、へっとファスは殊更に軽く笑って、
「大丈夫大丈夫、怒ってるわけじゃねぇよ。声がでかいのはいつもだ」
「ちょっとファス! お淑やかな恋する乙女に声がでかいはないんじゃないの!? あ、もう一本ちょうだいな!」
どれから突っ込めばいいんだ? でかい声か? お淑やかってところか? 恋はどっから来たんだよ? 乙女なのはまぁギリギリそうなのかもしれんが、あつっ!
「串焼きを突っ込むのは止めてくださいよ!」
「減らず口を叩く口にはお仕置きが必要でしょう! あ、突っ込んだ分の埋め合わせはしなさい!」
「分かりましたよ分かりましたよ。ったく、そういうところが乙女なのもぎりぎりなんですけどねぇ」
「あんですってぇ! 店主! とりあえず2倍くらいアツアツにして焼きなさい! こいつの喉元まで突っ込むから!」
「2倍に焼いたら炭になってもったいないですべよ」
店主は苦笑をしつつ、吊るした肉をベリバシトントントンと手際よくもいで切り、それを野菜と共に串へ刺して火にかける。
その間にファスも口に突っ込まれた串を改めて食べれば、うむうまい。もっちりとした固い食感に溢れ出る肉汁と脂が、香ばしい匂いとともに口の中を満たしてくれる。
肉を食べつつ辺りを眺めれば、二階建てから三階建てくらいの石造りの建物が並ぶ大通り。建物は塗装が剥げてぼろっちいのとは裏腹に、通りには荷車が行きかい人通りもそこそこと。竜人はもとより大きなトカゲ、ではなく海ドラゴンが荷を載せたり車をひっぱってるのが特徴的か。積み荷はバラ済みで加工した木の板や紫色に光る鉱石が目立つ。
そうしてファスが風景と肉を堪能している間にも、焼き台の上の串はパチパチと油を弾けさせ、食欲を嫌というほど誘ってくる。
「うーん、やっぱり肉が焼けるところっていいわねぇ! 早くよこしなさいな!」
「もうちょっとお待ち下さいですだべ。中まで火が通さんといけねぇです。……それで、さっきのお話の続きだべが」
そこで店主は周りをさっと確認しつつ声を潜めて、
「実はご一緒に中央から来られた方々がだべね、その」
「ああ、あいつらかぁ! あんなのと一緒くたにされてるってわけ!?」
「へ、へえ。その申し訳ないことですんが」
「一緒に中央から来たというと、えーと、ナディ様とかですかね? 何か問題が?」
「違う! ナディは嫌な奴で上から目線の堅物だけど! 問題あるのは他の護衛連中よ!」
ああ、なるほどとファスは思い出す。確かアイリス城伯の愚痴で、中央からユピテラへの監視兼護衛として来た貴族たちは、ユピテラとナディはまだましと断言するくらいだったな。
「まぁジラス伯様のところの、えーと、近くのお偉い貴族様も似たようなもんだべだし、貴きお方なのは理解してるんだべですが」
「いいのよ変に気を使わなくて! しかしやらかしちゃったわねぇ、もう! あのならず者共と同じ扱いになるなんて!」
「そんな酷いんっすか?」
「酷いなんてもんじゃないわよ! ここに来るまでずっと酒浸りなのがまだマシで! 平気で人のものを盗む壊す! 気に入らなければ大怪我を負わせる! 道中は馬車から出れなかったから見て見ぬふりしてたけど、今からでもぶん殴ってやろうかしら!」
「いや、それはちょっと。監視役も兼ねてるんでしたっけ? 後で何を報告されるか分かりませんよ」
「分かってるわよ! でも収まりがつかないわ! ったく、なんとかぶん殴る手が、っ!?」
ドンッという音がユピテラの舌打ちに割り込むと、店主がはぁとため息をつく。
「噂をすれば影というやつだべですよ」
「酒がねぇってどういうことだ!!」
舞い上がっていた土埃が薄れれば、竜人たちすら上回る熊のような大柄な巨漢。だらしのない無精髭を生やしっぱなしの赤ら顔だけ見れば浮浪者のようだが、来ている服は細かな宝石を刺繍し飾り付けた豪奢な代物。
それが片手で無造作に小柄な竜人の男を持ち上げ、カエルか何かのように地面へ叩きつける。
「す、すみません。全て、み皆様がお飲みになられてしまったので……」
「うるせぇ! 言い訳するんじゃねぇ! なんで俺たちが来るのに十分な酒を用意してねぇんだよ! しかも出す酒は安酒で、このダイシャン伯の三男であるラオ様を舐めているのか!」
「や、やめ! ひぎ!」
乱暴に土下座で丸まる竜人を蹴り飛ばせば、大の男が小石のように軽々と転がって壁に叩きつけられる。大した脚力。見たところ角はないので神族でこそないが、感じる魔力は平民の数倍は軽くあるか、流石、貴族ではある。
「たく! ふざけやがって! ふざけやがって! どいつもこいつも!」
「なんだてめぇら! 見せもんじゃねぇんだ! 無礼討ちにするぞ!」
「散れ散れ! ぶっ殺されてぇか!」
怒りに任せた巨漢が、八つ当たりで周りの屋台や樽を紙細工のように壊していくのを背景に、近くに控えていた二人の貴族が一喝すれば、野次馬たちはひぃっと蜘蛛の子を散らすが如く逃げ出していく。
「なるほど、あれがユピテラ様に付いてきた奴らですか」
「不本意ながらね! ああもう! 監視役でさえなければ!」
典型的な不良貴族、恐らく僻地への任務につけることで厄介払いされた類だろう。
「はあ。しかし外のお貴族様もあんな感じの方、多いんだべか?」
「全員が全員そうってわけでもないけど、な」
それこそ無礼打ちすらスルーされる身分差だ。その上で貴族は神族でなくても平民とは体力、筋力、魔力も隔絶する。当然、そういう差があれば、ああして無法をして憚らない輩も出てくる。
中央なり大きな領地ならやりすぎると貴族の監査官が出張って来るのだが、田舎の城伯領程度ではなかなかそうもいかないのか、慌てて人族とナーガ族の平民らしき兵士たちがやって来たはいいものの、遠巻きにするばかりである。
「やっぱりジラス伯様んところの方だけじゃなくて、他所でもよくある話なんだべねぇ」
「ま、そうだな、お貴族様のやることだ。仕方ねぇよ」
力も権威もある相手に、逆らう方法なぞない。せいぜい嵐が早く過ぎるのを祈るしかない、はずなのだが、
「仕方ないことなんてあるか!!!」
何故かというかなんというか、ユピテラがブチ切れた。
「止めるわよ!」
「あ、いや、それは」
「やめなさい! あなたたち!」
監視役ともめ事を起こして大丈夫なんですか、と言葉をつなげる前にユピテラはさっさと不良貴族たちの前に躍り出てしまった。
「民に対しての粗暴な振る舞い! 見るに堪えないわ! 仁の心得を学んでいないの!?」
「これはこれはユピテラ様」
ユピテラの大音声にも貴族たちはにやつき笑いを崩さず、小バカにするように、
「 どうやら勘違いがおありのようで。今行っているのは教育というやつです」
「本来は無礼討ちにすべきところですからね。ま、城伯様の顔を立てて勘弁してやってるってことです」
「ここの奴らは貴族への仕え方が分かってないのが多すぎるんですよ、なぁ」
「あんたたちねぇ!!!」
「おっと、そうお転婆をなさらないように。中央にご報告しないといけなくなりますから」
ユピテラの大音声に一瞬、目を丸くしたものの、そう慇懃無礼な丁寧さで、毛むくじゃらな貴族が一礼する。
「こんのぉっ! あんまり私を舐めるならっ!」
「ま、ま、ま、落ち着いて落ち着いて、あまり問題を起こすとファイレード宮廷伯が悲しまれますよ」
「そうですよ、護衛としては問題はやはり困りますので、平民程度のことであんまり怒らずに」
怒りで魔力が放出されてるのか、先日と同様にユピテラの周りが陽炎のように揺らぎ出し、それを見た他二人が軽薄な笑みを若干ひきつらせて割り込んでなだめにかかる。
「このまま収まりゃいいんだが。おい大丈夫か」
その間、ファスは蹴り飛ばされた竜人に近づけば、体を丸めてぜえぜえと息を荒げていて、ぱっと見では目立つ外傷は無さそうだが……。
「痛い所は? 気持ち悪いとかあるか? 動けるか?」
「な、なんとか……、大丈夫そうで、す、すんません兄貴」
「兄貴って……、ああお前か」
確かユピテラに集められた兵士の一人だが、十数名いるから名前が出てこないな。まぁとりあえず、
「日雇い仕事か? 災難だったな。触っても大丈夫か?」
「へ、へぇ。実家の手伝いでして。あ! ゆ、ユピテラ様! だ、大丈夫! 大丈夫ですから!」
「あなた! ロチじゃない!」
声をかけられハッとしたユピテラが、その竜人の名前を叫んだと思ったら、
「私の兵士によくも!!!」
「え、ぎゃあ!!!」
貴族の1人は吹っ飛んだ。文字通り、高々と、2階建ての屋根の更にその上1階ほど越えて。
アッパーカットのような形でユピテラがぶん殴ったのだが、何という。
「お、落ち着いて、た、たかが田舎の平民ごときで」
「平民ごときぃ!? 私の兵士だ!!!」
なんとかなだめようと口を滑らせた取り巻き貴族が、雑に横っ面を叩かれたと思ったら、一瞬にして親指ほどの大きさになるまで吹っ飛び、大通りの端に転がる。
「あ、あんな細腕で、すごい怪力っす……」
「貴族様は魔力が豊富だからな、神族様なら尚更だ。それを力に転用するとああいうことができるんだが」
しかしまぁ、訓練で使われなくて良かったと思うし、先日の腕試しや訓練のあれやこれやでも大分、手加減されてんだなぁとしみじみと思う。
「く、くそ、てめぇ、こんなことしてただで済むと思ってんのか! て、帝都に報告を」
「へぇ!? 酒のんで暴れたら、小娘一人に苦もなくひねられ笑いものになりました、って報告でもする!? この期に及んで帝都にすがるしかないとか、乱暴で懶惰なだけでなく意地も見せられない臆病者なのね!」
ユピテラの嘲りに、毛むくじゃらの大男の酒と怒りの赤い顔がさっと真っ青に変わる。
「誰が、誰が臆病者だぁ!!! グロウ・アーク・アルム……!」
髭面から呪が紡がれれば、その太い右腕の先が巨大な赤黒い金属球に覆われ、そして高々と振り上げられる。
大岩すら軽々と砕けそうな質量の鉄球、しかし少女はきっとにら見据える眼光を、僅かも波立たせることもなく、
「どっせぇい!!!!!!」
「くそったれぇ!!!」
振り下ろされた鈍い赤色の星へ、ただ握りしめられただけの小さな手で迎え撃てば、結果は意外、いや予想通りか。
パーンと鐘を叩くようなきれいな金属音がなり、すぐにずどむと地面が揺れる。
「あ、が、が……」
「ま、臆病は取り消しましょう。しかしだからこそ残念です」
白目を向いて倒れた貴族へ向け、傷一つない小石のような拳を解き呟いたユピテラの声は、おおーというため息とも歓声とも分からぬ声にかき消された。