第一幕 その4
そんなこんなで、少し空が赤くなってきた頃合い。
ぱーんと甲高い音がして、岩に棒が刺さった。
いや、刺さったというべきより砕いたというか、埋め込んだというべきだろうか?
「ふふん! どう!」
投げた鉄串が見事に岩を破壊し、ユピテラは少し肌寒さを感じる中でも、その柔らかな髪を穏やかに輝かせながら胸を張る。
「あ、はい、すごいっすね、はい」
一方のファスは、唖然とするというか頭を抱えるというか。投げたのは確かに鉄で硬度はあるが、なんで棒の先ではなく腹に当たって岩を砕けるんだ。指より少し長い程度しかない、短く細めの串なのに。
流石、神族のバカ力というべきか。ほんと、すごいにはすごいのだが、
(力だけで岩を粉砕されると、闇人忍者伝来の技も立つ瀬がねぇな)
はぁまったく、である。
さて現在、ユピテラに手裏剣術、忍者と呼ばれる特殊な家業のものが使う打剣術、要は投げナイフの技を教えようとしていた。先程の騎士団問答の後、飽きたのか話を逸らすためか、今度はファスに何か役立ちそうな技を教えてくれと言われたのである。
ではとそこそこ覚えがある手裏剣術を教えるため、まずは投擲用の短めな鉄串を投げてもらったのだが、素で岩を破壊されると技術の意味を考えたくなる。あるいは、神様の不公平さに肩をすくめればいいのだろうか?
とりあえず、やるせなさは感じつつも、当初の予定通り興味くらいは持ってもらおうと、鉄串を手の平に仕込む。
「よっと」
そして腕を振り指先から串を滑らすように投げれば、鉄串はするりと半回転。そのまま、岩にかんっと小気味よい音とともに打ち刺さる。それを確認し、更に三投。かんっかんっかん、と10歩ほど離れた岩へ、投げられた鉄串はきれいな横一列で突き並んだ。
「へえ! あなたはやっぱり器用なのねぇ! でも、どうやったらそんなきれいに刺さるんの!? 魔術!?」
ユピテラがぱちぱちぱちっと手を打って称賛してくれる様子には、先程の湿っぽい雰囲気は無さそうで少し安心しつつ、ファスは説明する。
「持ち方と投げ方ですよ、ええ。まずは中指に棒を乗せるようにして」
「ええっと? こんな感じ? な、なんか持ちにくいんだけど」
「そこはまぁ、剣と同じですよ。どんな理にかなった構えも、はじめはやりにくく感じるもんです。それでこんなふうに」
手を実際に動かしながら解説すれば、ふんふんユピテラは頷いてくれる。興味を持っててくれてるようだ。これなら明日以降も、投げ方を教え続ければ、練習と言う名の耐久試験をしなくてよくな、
「ユピテラさまっ!」
鋭く重い声が割り込んだ。
見れば数名の兵士を引き連れた、戦でもないのに無骨なフルプレートの重装に身を包んだ男、いや、一部がやたらでかいので、女性か、うん。で、そんな一部を見ないとわからないくらいには凛々しい女性の頭には、古木のように蒼黒い、山羊のような三日月の角。
神族、なのだろうか? まぁ貴族ではあるだろう。
「っち! 帰れ!」
だが小走りに駆け寄って来るそんな麗人さんに対して、ユピテラは刺々しく言い放った。
「帰りません! 先日といい、勝手に抜け出して何を考えているんです!」
「あんたには関係ない! さっさとどっかいきなさい!」
「どっかいけではありません! いい加減わがままが過ぎます! そんなお遊びにうつつを抜かさず、お立場を弁えて下さい!」
「遊びじゃない! 私は真面目で! 新しい騎士も作ったところよ! ね! ファス!?」
「え、いや、その」
よく分からんが、どう答えてもろくな結果が見えないし、当意即妙な言葉も浮かば、手が腰にのび!?
「ふん!」
「うおっとぉ!」
ガンっ! と言う甲高く鋭い音が響くと同時に、数歩身を引いてひざまずいていたファスの体はゴロンと横に一回転する。
剣による腕力任せの抜き打ち。相手は当然、目の前の凛々しい鎧の貴族様だ。
なんとか手甲で防げたが、腰の剣に手がいったのに気づかなければ、ファスの首は文字通り飛んで、
「って、おいおい!?」
「ヴォルト、ルデ」
更に、麗人は手をファスにかざし、冷ややかに言葉を紡ぎだせば、手のひらから青い炎が燃え盛りだす。
「こ、刻印起動! 障壁展開!」
「ファイ!」
そしてそのまま、青い炎の矢として放たれるも、しかしファスに当たる直前で透明な壁に阻まれて霧散する。しかし逸らされた残り火が、近くの雑草へと燃え移り、青々とした周囲を一瞬で灰に変えてしまった。
「ま、魔法!?」
騎士が連れてきた兵士の誰かが呟き、全員が息を呑みつつも物珍しげな視線を一斉に向ける。
「うわ、貴族様の魔法って初めて見たべよオイラ」
「あんな青い炎がいきなり出るなんてすごいべなぁ」
「ラオじいさんが半時間くらいがんばっても焚き火の火種がつくくらいだべだからなぁ」
魔法、あるいは魔術、呪文や道具などを使って、海を割り火の玉を作る奇跡の力。それは特別な知識と魔力と呼ばれる特殊な力がいるものだ。兵士たちの反応で分かる通り、平民、少なくとも人族の平民は魔力が総じて低いので、日常的に目にするようなものではない。
「でも、ファスの兄貴アレを防いだっぽいべよ」
「昨日といい、やっぱり歴戦の傭兵ってのはすごいんだべなぁ」
もっとも今、ファスが使った障壁の刻印魔術ーー予め魔法陣を刻んで発動させるもので、ファスは体に刻んであるーーのように、平民でも使えるような魔法は、色々と条件はつくものの存在はする。そして傭兵の中堅どころなら、おおよそ何個かは使えるものなので、あまり感心されるとガキ相手に粗雑な大道芸やってる気分になるから、控えめでお願いしたい。
「いや、実はあの魔法が青いだけですごくないとか?」
「確かに魔法使いっていう感じの賢そうな見た目でもないし、もしかしたら苦手なのかもしれないべなぁ」
って、コラ、興奮してるのか知らんが貴族を腐すのはやめろ。死ぬし死ぬぞ、まじで。
「……ヴォルト、ルデ、アニマ、バイル……」
ファスが忠告を発する間もなく、貴族様はゆっくりと呪文を唱えれば、先程は手のひらサイズだった炎は軍馬ほどの大きさになり、夕焼けの広場を煌々と青く照らしだす。
やべえ。
その表情は無表情、否、努めて無表情にしているのが丸わかり、とでも言うべきか。必死で眉が寄らないようピクピクしているのは滑稽ですらあるが、笑ってなぞはいられない。
(このデカさ! さっきのやつの数倍あるけど、城壁ごと吹っ飛ばすつもりかよ!? 流石に耐えられるか!? 今の障壁だけでも俺の魔力はギリギリだってのに!? マナポーションでも飲んでおくべきだったなこりゃ! というか、だ!)
おおーなどとギャラリーと化した兵士が歓声をあげているが、お前らごと吹っ飛びかねんぞ、これは。生じるであろう爆風を障壁で無理やり閉じ込めるのは、くっそ、俺の魔力では無理だ。
……となると、やる、か? いやしかし、それは。
そんな逡巡は、
「いい加減にしろ!」
ユピテラの一喝で文字通り消し飛んだ。
うっと体を貫くような衝撃。それは巨大な青い火球をかき消し、油断していた兵士数名が尻もちをつく。
その衝撃の中心であるユピテラへ視線を向ければ、その美しく磨かれた彫刻のような顔は火が出んばかりに紅潮し、柳眉を逆立て怒りの形相。
そして何故かその体の周りが、陽炎のような薄紫色の揺らめきに包まれていた。
(神威? 魔法? いや魔力そのものを放出してるだけ、なのか?)
ファスも詳しくはないが、確か魔力そのものは、外に放出しても空気のようなもので、魔法なり何なりで何らかの力に変換しなければ視覚化されず、力としても小石一つ動かすことすら難しいはずなのだが。
「……魔力を放つだけで、私の魔法をかき消すとは。これが、覚醒した神族の力」
貴族から見ても規格外だったか、騎士の女性も呆然と呟く。そんな彼女へ立ちふさがるように、ユピテラは仁王立ちして怒鳴る。
「あんた! 私の騎士に何すんのよ!! あんな熱そうなの当たったら死んじゃうじゃないの!」
「……御身を誑かすならず者を成敗しようとしただけです! そもそも、この程度で死ぬものが騎士などとは笑わせます! ごっこ遊びも大概になさってください! 勝手に平民を騎士に任ずるなどと常識がないのですか!」
魔法で何も知らん周囲の兵士すら吹き飛ばそうとした奴が常識ねぇ、とは思い浮かんだがファスは口に出さない。常識的には、平民の価値なぞ貴族にとっては家畜かそれ以下なので、間違ってはいないことではあるし。
「うるさい! あんたこそいい加減にしろ! いきなり剣を振るうに飽き足らず魔法なんて! ならず者はあんたの方よ!」
「っならず者とは! ま、曲がりなりにも帝国に仕える騎士で、あなたの護衛なのですよ!」
「何ならならず者以下ね! ならず者でも日銭稼程度には働いてるもの! それに比べてあんたたちは飲んで食ってばっかりじゃない! あまつさえ人殺しなんて! ここにいる全員を吹き飛ばしかねなかったのよ、あんたは!」
「平民なんぞどうでもいい! そもそも手向かいしたのはあの男です!」
「はぁ!? 手向かいするもなにも、防ぐのなんて当たり前でしょう!? それで頭にきてまとめて焼き払おうなんて、呆れた輩ね! 流石は、帝都を追放された咎人、粗暴で凶暴で、魔族かなにかの生まれ変わりなんじゃないの!?」
「い、言うに事欠いて魔族とは、そ、それを言うならあなたとてっ!」
「どうせろくでもない噂を真に受けてるんでしょ! だからならず者以下なのよ!」
「とにかく! お立場というものがあるでしょう! ただでさえご出自がご出自なのに勝手な行動で悪魔付きなどと呼ばれているのです! もっと弁えないと」
「っ! 弁えたって誰も救えないのよ!」
咆哮一声、ユピテラが大剣を振り上げる。もはや一瞬即発、止めようとしたところで今度こそ首が飛びかねない、とはいえ、ど、どうするべきか……、などとファスも兵士たちも息を飲んでいたら、
「おやおや、なかなか元気がよろしいことでございますな」
のんびりとした声が割り込んだ。
巨大な赤鱗の竜人。その少しシワが目立つ年老いた人物をファスはよく知っている。
雇い主である。
「城伯殿!」
城伯ガー・ヒュドウル・アイリスは、アイリスの地と呼ばれるこの一帯の主であり、前述の通りファス、正確には今ファスが世話になってるダイダケイル巨腕同胞団の雇い主だ。
そのアイリス城伯は、その老いて尚いかつい見た目に似合わぬうやうやしさで礼をし、ユピテラたちの前にひざまずく。
「ユピテラ様、本日もご鍛錬、お疲れ様でございます。お励みになったようで、なによりです」
「ええ、いっぱい鍛錬したわよ! それより城伯! さっきの見たでしょ!」
「ええ、拝見いたしました。ナディ様、新しい騎士をお試しになるなら、もう少しお手柔らかにと存じます」
「それは……」
あくまで穏やかに諭すアイリス城伯に、ナディというらしい麗人はバツの悪い顔をし、一方のユピテラは不満を抑えず、
「なに寝言言ってんのよ! そいつは私の騎士を殺そうとしたのよ!」
「確かに一歩間違えればそうなっていたので、テストとしては厳しすぎましたが、しかしこならこのファスを騎士として認めても問題ないかと存じます」
「城伯殿!」
「この地を治め、法を司るものとしてそう判断いたしましたが、なにかご異論が?」
ギョロリと、その夕闇の中で鈍く光る瞳で、ひざまずきづつもいきり立っている二人を睥睨した。
……ざっくりまとめればファスを騎士にするから、この場の騒動はそれで収めろと言う話なのだろうか。
かなり大雑把な裁定だが、身をかがめていても赤い大岩のような城伯の迫力に押されてか、二人は言葉を発しない。
その様子を見て、ゆっくりと城伯は頷くと、
「では、ご異論なければそのように。さてユピテラ様、そろそろご修練もお切り上げになられてはいかがでしょうか? 夕餉のご準備が整いました故。本日は鹿肉の香草焼きなどをご準備させていただいております」
「むぅ、肉。い、いや、まだキレイに投げれて、っ!」
ぐぅっと少女のものとは思えない大きな音がなった。うん、恥ずかしがらなくてよろしいですよ、肉うまいからね、肉、アイタっ!
「投げるのはやめてくださいよ、雑なもんとはいえ一応、武器なんですから」
「主を笑うからだ! ベーだ!」
舌を出して残りの鉄串を軽く放り渡して、
「また明日ね! ファス!」
ニコッと笑い、ユピテラはとととととっと子犬の全力疾走よろしく走り去っていく。
「は、はい! よろしくおねがいします!」
慌てて声をかければ、彼女はその背を小さくしつつも手を挙げて応えてくれた。
ふう、これで色々と無事に済んだ、
「貴様! いったいユピテラ様のなんだ!」
訳ではなく、残された貴族様が闘牛猛牛よろしく、烈火の勢いで絡んできた。
「あ、いや、何だと言われましても」
「下賤な傭兵風情が! 子供をだまくらかそうなぞ卑怯卑劣な奴め! この場で成敗を」
「ああ、彼は私が雇ったものでしてね、ナディ様。差し出がましいですが、私に預からせてくださりますか」
そう穏やかに制したのは、やはりアイリス城伯。
「し、しかし!」
「ナディ様にはユピテラ様を追っていただきたい。またぞろ、面白そうだからと変なことに首を突っ込みかねませんし。どうぞ、どうぞ何卒、重ねてこの通りに」
「お、おやめください! そ、そのように城伯殿が頭をさげることなど!」
城伯が深々と頭を下げれば、ナディは目を白黒に浮足立ち、
「わ、わかりました! わかりましたから! ここはお預けします! 傭兵! 今後、ユピテラ様に近づくなよ!」
最終的に気圧され上ずり声で言い捨てれば、ユピテラ以上の飛ぶような速度で走り去っていった。
「君たちも、もう解散していいよ。悪かったね、面倒事に付き合わせて」
「い、いえ、そのえと……」
戸惑った兵士たちだったが、いいからいいからと城伯がその尖った爪が目立つ手をふると、恐る恐ると退散する。
その遠ざかる背中たちから聞こえる、いや流石は城伯様、それにファスっていったっけ、あれもすげえな、いやしかし、あの貴族様はおっかなく……、などという声が消えた頃合いに、城伯は苦笑して、
「まったくもう、兵士たちも声が大き過ぎるよ、ねぇ?」
「は、はあ」
ファスが曖昧にうなずき返せば、アイリス城伯はそのまますっと燃えて茶色い土が現れた地べたに腰をおろす。
そして、はぁ、と何やら弱々しく湿っぽい溜息をはいた。
「ああ、疲れた。もう、なんで毎回毎回こんな胃を傷めないといけないんだろうねぇ」
「あ、その、すみません、色々とご迷惑をおかけしまして」
「ああいや、面倒事ってのは君のことじゃないんだ。君のことではあるけれど、あ、楽にしていいよ、もう誰もいないだろうからね」
「ら、楽にしていいよ、と言われましても」
「これから色々と話さないといけないんだ。だからね、えーと、君ら傭兵風に言うなら、戦場の流儀でね。これでも昔は傭兵をやってて、そっちのほうが慣れてるんだ」
「ああ、それは存じております」
アイリス城伯と彼が率いる竜兵団は強兵として知られ、先の邪神帝戦争では現皇帝を助け武功華々しく、今は帝都の近衛兵をしているのは、ファスのような平民傭兵にも知られている。
「近衛兵とかそんな御大層なものではないけどね。何であれ気兼ねなく頼むよ」
「そ、そういうことでしたら、先程はありがとうございました」
「いいよいいよ、君も災難だったね。でも、悪い方じゃないんだよ、ユピテラ様とナディ様はね。話を聞いてくれるからね、ふたりとも。でも根本が高位貴族のお嬢様だからね。ユピテラ様は奔放だけど素直だし、ナディ様は真面目なんだけどさ、お互い気位高くて嫌いあっちゃって、カリカリと喧嘩ばかりしてるのは困るんだけどね。だけど他のドラ息子共よりどれだけましか」
「は、はぁ」
グチグチと呟きながらあぐらをかく姿は、先程までの威容はどこへやら、城伯の体が、随分と小さく見える。
「あの不良貴公子ども、どいつもこいつも無駄飯食らうだけでなく、酔って暴れてものは壊す付けた従者にはあたる家畜は盗む女はかどわかす、とんでもない奴らだよ本当に。大貴族の師弟だからって、本当にもう。目付け役も賄賂と女と酒以外に興味のないクソ野郎だし。ああ一応、改めてルーク村のファス、君のことを騎士兼ユピテラ様のお付きに任命する」
「え、あ!? い、いや、えっと!」
「ん? さっきの裁定は聞いてたよね? ああいや、もしかして城壁破りって呼んだほうがいいかい? あるいは、ネルダ川の100人、それともナイ」
「いや、呼び方じゃなくて! 呼び方ですけど!」
焦るファスを見て、城伯はその萎びた枯れ木のような顔を、ニヤリと歪める。
雇ったとはいえ、貴族が直属でもない雇ったばかりの一傭兵の名前を知ってるのはかなり珍しい。ユピテラもなんでか知ってるようだったが、繰り返すがファスは掃いて捨てられる程度の傭兵の一人であって、別段有名人ではない。
アイリス城伯は傭兵をやってたという話は重ねて触れた通りだが、だからといってファスみたいな平民の一兵卒のことまで知ってるのは……。
「ユピテラ様が知っていた理由はわからないけど、僕が知っている理由は安全のためだね。君のところの団長のジニアは僕の戦友でさ、ある程度、信用をおけるものを無理言って送ってもらったんだ。自分が来れないから責任取れないぞ、と言われたけど、傭兵の伝手で信用できそうなのは彼女しかいなくてねぇ。帝都への軍役が無ければそんなことしなくていいんだけど、そっちは免除にならないし、俸禄が出るわけでもないし、まったく、戦友だからってホウィにも困っちゃうよ。またジラス伯が勝手をやってうっとおしくって、僕が名目上、五竜爵の筆頭だからって目の敵にしてさ、若いんだから因縁もあるってわけじゃないのにもう。相変わらずジラス伯の郎等は勝手をやるから会所からも何とかしろとせっつかれるし。六爵会議も胃が痛いよ本当に。サフランやモレアとの街路整備や港整備も揉めてるし……」
「ええっと……」
「ああ、ごめんごめん、愚痴が長くなっちゃったね。城の中はギスギスしちゃって愚痴一つ聞かれると大変なんだよ。ま、要は色々と大変なんだ。そこで、信用のおける傭兵の一人が、ユピテラ様のお気に入りになって、更にナディ様の魔法を防げるほどの腕前となったら、利用しない手はないよね? ただ」
「ただ?」
夕日が半分ほど地面へと飲み込まれ、肌寒くなってきた。赤暗い光が城伯の鱗を照らし、血溜まりのような不気味な色合いへと化けていく。
「嫌な予感がするって顔だね。当たってるけど、でもまぁ、遅いよ。色々と察せるだろうし、積極的に隠してるわけじゃないけど、広めたい話でもない。他言は無用だよ?」
そう前置きした後、城伯は淡々と語り始めた。
アイリス城伯の城館は、外観は磨いても消しきれないくらい苔が深い古臭い石の館で、内装もまたきれいに掃除されているものの、やはりどこか古色蒼然とした雰囲気は消しきれない代物だ。
帝都から付いてきた護衛という名の監視と言う名の無駄飯喰らい共は、やれ田舎城伯だからけちくさいだの我らのために新しい館でも建てろだのこんな廃墟に住めるかなどと文句をたれていたが、ユピテラは気にしない。
あの未来の野宿、襲撃に怯え寝入ることも出来ず、実際に肩へ矢が刺さることが目覚まし代わりになったりした地獄と比べれば、ちょっと古臭い程度なら天国みたいなものだろう。
(そもそも来る時はずっと囚人扱いで馬車の硬い椅子に毛布でしたしね。それが上物のベットを用意してくれて、城伯には感謝です)
ぽんぽんっと羽毛でも詰めているのか、柔らかなベッドに頬をこすりつけながら、ユピテラは小あくびをする。
今日は色んな事があった。
自分を倒した男へお礼参りに行ったら、その男は前世の混乱の中、最後まで仕えてくれたたファスで、また再び忠誠を誓ってもらった。
(記憶がないのがシャクに触りますし、そもそも遠慮なく剣で突かれたわけですが)
そう考えると果たして運命的とかドラマチックとか言えるのだろうか? 自分の前世の騎士に大恥をかかされたわけで、いやまぁそもそも思いつきで武者修行っぽく兵士に勝負を挑みに行った考えなしがよくないのだしファスにも反省の弁を述べたが、いやでもそれはその他に指針もなく思いつかなったからで、だからといって……。
(えーい! 別に私悪くないですもん! 子供だから仕方ないんですもん!)
言い訳をすれば、実際、心は体に従うというのか、過去に戻り子供になってからこの方、どうも感情の抑えが効かず、考えなしの思いつきの行動をするなど子供っぽくなってはいる。加えて皆に変に思われないよう、子供っぽい行動や口調も心がけているので……。
もっとも理性は、だからといってそれでいいんですか前世と合わせて精神年齢21歳、と容赦なく追い打ちをかけてくるわけだが。
そんなこんなの羞恥と正当化の間であーうーあーとユピテラはベッドで悶ていたが、しばらくして頬をぎゅうっと掴んで顔を引き締めた。
(済んだことは仕方ないとして! まだ将来の問題は何も解決していません! 明日からも頑張らなければ! そのためには)
未だ残る前世の記憶を掘り起こす。
前世、そう帝国が邪神と魔族によって滅ぼされた未来だ。どういう理由かは分からないが、その前世の記憶をもって、ユピテラは子供時代の自分へ戻ってきた。
『知っていますか? ユピテラ様? なんでも五竜爵領が邪神とその信者の手で壊滅したとか』『恐ろしい悪魔で、その花を見たものは狂い死んでしまうとか』
誰が語ったかはもう顔も思い出せない、いつかの茶会で聞いた話。初めて帝都で邪神の脅威がささやかれた時だ。
つまり転生前の未来において、邪神が帝国を滅ぼす嚆矢となったのが、このアイリス城伯領も属する五竜爵領なのだ。
とは言うものの、当時のユピテラは世間知らずな深窓の令嬢だったので、邪神が現れて人々を殺戮した程度しか知らない。要は、具体的なことは何一つとして分からない。
(しかし、捨て置くわけには参りませんし、チャンスでもありますわ)
機先を制するのは兵法の要訣が一つ、上手くすれば邪教徒どもの出鼻を挫けられるのだ。もしかしたら邪神召喚の計画の一端を知れるかもしれない。
とはいえ、前述の通り何か起こった以外は何も知らないし、子供故に出来ることも少なく何が起こるか調査することも難しい。未来の話をしても子供の戯れと鼻で笑われるだろうし、せめて証拠の一つでもあればいいのだが、当然、ない。
(だからこそ、騎士団ですね!)
ユピテラの前世からの趣味は、本を読むことと劇を見ることで、特に本は帝都図書館の館長である養父の影響もあり、よく読んでいたものだった。
その知識に照らし合わせれば、1人で出来ないならまず仲間を集めることが肝要だ。例えば帝国始祖の物語では、3人の騎士を初めに家臣にしたのを皮切りに、様々な英雄豪傑が集まって騎士団を作り、始祖を盛り立てていったという。
(それに、前世で最後まで私を助けてくれたのはファスだけじゃなくて、彼が率いていた傭兵団ですしね! 早めに似たようなの作ればきっと力になってくれるはずです!)
幸い、騎士団を作りたいという旨をアイリス城伯に申し出たら、快く兵士を貸し与えてくれる約束をしてくれた。子供の遊びという扱いのようだが、特に嫌な顔せずむしろホッとした様子だったのは、本当にありがたい話だ。上手く調査が進めば、色々と相談できるかもしれない。
(他にアテは……護衛の奴らは論外ですし)
ナディの顔がちらりと浮かんだが、ファスに魔法をぶち当てようとした奴なぞ論外も論外だろう。そもそも以前にちょっと相談した時ですら、立場を弁えろとか開口一番宣ってきたし。
(ま、なんであれ、兵士を貸してもらえる目処はあるわけですし、その次はええっと、やっぱり新しい自分の兵士をちゃんと役に立つように鍛えることですわね! どんな鍛錬をしましょうか!)
そう無駄に鼻息を荒くしながら、ユピテラはしばらく計画というか妄想を展開するのだった。