第一幕 その3
……気の迷いだった。
何が? さっきのユピテラの誓いに、何だか粛然とした気分になったことだよ。
『よっし! じゃあさっそく、剣の鍛錬ね! あんたの分も持ってきたから! 今度は嫌と言わせないわよ!』
ユピテラが、そう、逆の手で木剣の柄を差し出してきたのが始まりである。
『あ、はい』
そして、それを特に疑問も持たずに受け取ってしまったのが、運の尽きだ。
結果。
蹂躙され、粉砕され、大敗した。
「でぇい!」
「がっ!」
斜めに斬り落とされたユピテラの大木刀で、ファスは胸の辺りを打たれて吹き飛ぶ。
本来ならば、剣先にかすっただけの一撃だったのだが、しかし、彼女の膂力は大熊並みだ。
そのまま地面に叩きつけられて、息が出来なくなったファスは、ただ悶えるしかない。
色々と甘かったと言わざる得ない。
相手は神族なのだ。
単純な力ですら大差があるのだ。故に、鍛練と言う名のかわいい子供のチャンバラごっこだったとしても、単なる平民であるファスには耐えられなかったのである。
「ふふん! どうファス! 私は強いでしょう! これならあなたを守れるわ!」
ボッコボコにあの大剣で打ちのめされ、子どもにぶん回されてひしゃげた人形よろしく、地面に倒れるファスに対し、無邪気に胸を張るユピテラの姿は、無情さしか感じない。
いや、命の危険も感じたか。なんであれ手加減を知らない子供が力を持っているというのは、げに恐ろしい。
(前と同じで魔力も使ってないから全然、本気じゃねぇってのに、それでほとんど一撃とはなぁ)
痛みの中で、思い返す。初めて会った時と同じように、彼女の戦術は、しゃにむに突っ込んで、その木刀を叩きだすだけと言う代物だ。
が、それが避けられない。
来た、と思った時には、すでに剣が目の前にあるのだ。大太刀とは思えない異常な鋭さ。受け続けてわかったが、直線の剣筋だけでなく、踏み込みの調整や位置取りの絶妙さ、リーチの隠し方など、様々な工夫が積み重なっている剣だ。何度も何度も殴りつけられたが、その積み重ねられた鍛錬を、見切ることは出来なかった。
その凄さ自体はやはり称賛に値するし、そこそこ剣に生きているものの一人としては感動すら覚えるのだが、代償がぼっこんぼっこんに殴られ続けられることとなれば、そんな感心も吹き飛ぶというもの。
勘弁して欲しい。
鞭打ちの罰の方が、体を壊さないように工夫と加減が入る分、ましだったかもしれない。ボコボコになった鎧兜と体の刻印魔術に、これほど感謝したのは久しぶりだ。こいつらがいなければ、比喩ではなく文字通りの引きちぎられた人形になったに違いない。
もっとも、ファスの体の限界的に、それもここまでっぽいが。
「さあファス! もう一本よ! 早く立ちなさい!」
「あ、いや、その、ちょ、ちょっと休憩、休憩しませんか」
全身をヤスリにかけられたような痛みに耐えながら、何とかうつ伏せで膝をついたファスはそう提案する。
「も、もう大分、休まずやってたんですから」
「何いってるの! まだまだ私は大丈夫なのよ!」
俺が大丈夫じゃないんだ、とは言えない。
相手は貴族で神族で、ついでに子供だ。歯を食いしばれ。だがきつい。
「わ、分かりました」
「ふふん! じゃあ構えなさい!」
促されながらも、なるべくゆっくりと立ち上がりながら、ファスは考える。どうすれば、早く終わらせられるかと。
そして思う。自分が負け続けているのがいけないのではないかと。つまり勝てば、彼女の美しい顔に木刀を叩き込んでやれば、終わるのではないかと。
短絡的な考えである。が、痛みに蝕まれていたため、さらに一方的に殴られ続けたせいで堪った鬱憤が、余裕を失わせていた。
そのためにはどうするべきか。正直なところ、腕を振り回すのも辛いくらいで、木刀が鉛になったように重い。振りも自分で分かるくらいに遅くなっていて、一太刀、全力を出せるかどうかだ。
……試してみるか。
「では……」
「じゃあ、え!」
ファスが剣を構えると、ユピテラは目を丸くした。
剣を肩に担いだからだ。
彼女、ユピテラと同じ構えだ。
「参ります!」
「っ! 来なさい!」
驚く彼女を余所に、ファスは一気に近づく。
相手のユピテラもまた、今までと同じ、得意の肩に担ぐ構え。ただ、驚いてしまったからか、ワンテンポ遅い。
そのため、先手はファスだ。斜めに踏み込み軸をずらしつつ、ギリギリの間合いで腕を発する。
真っ直ぐに、一直線に。そして、
「でぇい!」
「がは!」
あっさりファスは反撃で沈んだ。
そりゃ長年、剣筋を磨いてきた本家に正面から挑めば、返り討ちにあうというもの。
「ふん、私の真似しようなんて、蜂蜜より甘々の甘なのよ!」
高らかなユピテラの罵倒が当然過ぎて、ぐうの音も出ない。
(痛みで頭も死んじまってんなぁ・・・!)
閃いた!
「そ、それなら! ぜひ私にユピテラさまの剣を教えてくれませんか!」
「わ、私の剣を、あんたに?」
「ええ、見よう見まねだけじゃ、身につきませんからね! 是非、お願いします!」
「え、えっと、わ、私が、ファスの先生なんて、そんな、あ、いや、その! 私の修行は厳しいわよ!」
土下座をくらって一瞬あわついたユピテラだが、頬を得意げにひくつかせつつもしかめっ面を作る。
「ええ、師匠! よろしくお願いします!」
「師匠! うんそうね! 師匠ね! まさかあなたに師匠と呼ばれる日が来るなんて! これからは師匠と、ええっと、そうね! 師匠団長と呼びなさい!」
いやそれはどっちかにした方が良いと思いますよ?
それはさておき、上手くいったようだ。練習なら、これ以上殴られないからな。
もっとも、習ってみたいというのも本当だったのだ。
それくらい、見事な剣である。
まぁ練習と言っても、ユピテラがファスの素振りを眺めてアドバイスするのだが、
「そこはこうもっとピーっと出して、えーと、ピュッとするのよ」
とか、
「だからその、ポンっと飛び込んで剣をするっとやるの」
とか、なんというか子供特有、あるいは天才肌特有の感覚的な言い方しかしないため、正直、訓練と言えたかどうか。
それでも、
「つまり、こんな感じで振ればいんですかね?」
「ええ! そんな感じそんな感じ! ただも引くのに伸びが足らないわ!」
「えーと、もうちょっと引くのを待った方がいい感じですか?」
「引きつつ伸ばすの! 引くだけだとギュウってなってしまうわ!」
「あーと、つまり、こんな感じで……」
あーでもないこーでもないとブンブン剣を振り回している間、風が柔らかに吹いていたのは確かだ。
「しっかし、すごい剣技っすな。貴族さまってのは身体能力高いし、魔術でごり押せるからもっと雑だと思ってましたが」
ゆっくりと反芻するように素振りをしつつ、ファスがふと疑問だったことを聞いてみる。既に述べた通り、貴族は身体能力に隔絶し、また魔術で防御を固めたり傷を即座に回復したりできるため、細かい武技などは粗雑な事が多い。
故に、こんな全てを捨てて最速を目指すような捨て身の剣技をユピテラが習得しているのが意外だった。
「ああ、それはあれよ、私は元々、未覚醒だったからね! 侯爵をたお、あっとっと、えーと、さ、最近まではずっと、力とか魔力も高くなかったのよ! だけど騎士にはなりたかったかったから、とりあえず剣を練習しておいたの!」
「ははぁ。神族さまってのは、生まれつきお強いもんじゃないんすかね?」
「んーと、私も詳しくは知らないけどね」
ユピテラの説明曰く、神族と言っても全員が凄まじい力を持つわけではなく、何かしらのキッカケで力に目覚めないと魔力や身体能力は、普通の貴族と大して変わらないそうな。
「なるほどぉ。生まれた時から化け物っていうわけじゃないんすね。剣技はどなたから習ったんで?」
「それはファスが、じゃなくてええっと、遍歴の騎士からよ!」
「ははぁ、芝居っぽいっすねぇ」
明らかに何か誤魔化してたが、まぁ深く問うようなことでもあるまいとファスはお茶を濁せば、ユピテラはゴホンと咳払いを一つ、
「それよりファス! なかなかこうって来てないわよ! 結構、物覚え悪いのね! あんたは騎士団の筆頭にする予定なんだから、もっとしっかりしなさい!」
「はいはい、申し訳ありませんっと。ま、励みますよ。しかし騎士団ですか。アイリス城伯様の竜兵団や陛下の近衛騎士団みたいな?」
「……そうよ、そんな強い騎士団。どんなやつにも負けない騎士団が必要なの」
少しファスは目を丸くする。内容自体は、子供の他愛ない夢みたいに聞こえるが、その表情はどこまでも思いつめていたからだ。
「必要、ですか? それはまたどうして? 先程のご誓いといい、その、ええっと」
遊びとは思えない、と聞いていいものか、などとファスが悩んでいたら、どう捉えたのか、ふっとユピテラは鼻を鳴らす。
「私のこと、バカだって思うでしょ?」
「それは、ええっと、いきなりまた、そんなことは……」
口ごもってはいけないのはファスも分かるのだが、正解に近いことを不意に打ち抜かれれば、まごつかざるえない。
そんなファスを余所に、ユピテラは、殊更にうーんと伸びをして淡々と、
「いいの。例えば、平民の兵士たちに神族がいきなり試合を挑むなんて、非常識よね。監視役にも怒られたわよ。他にも帝都で色々とやらかしたから、ほぼ追放同然でここに来ちゃったわけだし。焦り過ぎだって思うわ。でも私には前と同じで分からないのよ」
目的のために何をするべきか、それが全然わからないと、彼女は遠くを見ながら唇を噛み締める。
「だから、人が必要なの。古の皇帝を支えた騎士たちのように、あの時の傭兵たちのように、私のために働いて、色んな知恵を授けてくれる人たちが、ね。ねぇファス……」
そう名前を呼びかけてきたかすれ声は、迷うように間をあけるものの、しばらくすると恐る恐る問いかけてくる。
「……帝国が滅びるほどの災厄が起こるって言ったら信じる?」
「……えーと、それはなんとも、ですかね」
単純に肯定するお追従でも良かったし、あるいは何の冗談だと苦笑いしても良かったのだが、ユピテラの鈍く輝く瞳を前にして、少し背筋を伸ばして答えた。
「ん、そうよね。そんなもんよね。忘れて、子供の戯言よ」
「……そうですか」
どこか遠い微笑みが、何に向けられているかは、やはり、分からなかった。