第五幕 その19
そして夜。
パチパチとなる焚き火の前で、ユピテラは未だむくれていた。
「ああっと、そろそろ機嫌直してくれませんかね、っと」
座椅子よろしく自分によりかかって座っているユピテラに、ファスは恐る恐る問いかけるがキッと睨まれた。
(まったく。根に持ってんなぁ)
仕方ないので頭をなでるのを続行すると、ユピテラはふんっと鼻を鳴らして再び胸に頬を当てて頬ずりした。
とりあえず、彼女は気絶から覚めた後、「100年恨みますからね!」「謝るなら態度で示してください!」「まず抱っこして頭をなでること!」などとブチ切れてきたので、仕方なしにファスは言われた通りにしてる。
お陰で野営の準備も手伝えんし、後いい加減、なでてる腕が疲れてきたんだけど、いたた。
「つねるのはやめてくださいって、もう」
「ふんだ、全部ファスが悪いんですもん」
頬をリスみたいに膨らませてユピテラは睨んでくる。はいはい、俺が悪るかったですよっと。
尚、マナポーションのお陰で、腕はちゃんと元に戻って動かせるくらいには回復したものの、足はまだなくなったままである。
「それに、つねられた感じまだ力戻ってないみたいですし、飯食ったらまたマナポーションを飲んで、いててててて」
今度はつねりつつも丸い宝石のような瞳に、涙が溜まり初めていた。そんなに嫌かね? どうせ戦士を志すなら長い付き合いになるのだから、慣れた方がいいと思うのだが。
なんであれ、だ。
「嫌がられようと嫌われようと、薬は飲んでいただきますからね。そこは絶対に譲れねぇっすよ」
「な、なんでですか! 確かにまだ本調子じゃないですけど、腕も生えて体も治ってきてますから、あんなまずいのは」
「そういう油断から治らない、あるいは後遺症が残りでもしたら、自分の首を切っても自分を許せませんからね。お叱りや何なら刑にも幾らでも服しますが、今はユピテラ様が元気になられることが一番大事です」
そんな大仰な、三文芝居かなんかかとファスも自嘲するが、彼女の輝く笑顔がこの傷のせいで曇ることはあってはならない、と言う気持ちは偽りならざる本音でもある。
と、じっとユピテラを見つめていたら、
「……あうう、真剣な顔で心配していただけるのは、かっこよくて嬉しいけど、嬉しいですけどぉ。の、飲むのはやっぱり、うにぃ」
ぶつぶつと小さな声で何かつぶやいていた彼女の顔が、風邪を引いたように真っ赤になっていた。焚き火の揺らめきってだけじゃない赤さだが、照れてるだけだよな? 怪我のせいで体を悪くしたとかじゃないよな? 大丈夫か?
「て、照れてません! あ、いや、でも風邪とかではなくてですね。え、ええとその、ええっと」
モニョモニョしだしたユピテラだが、不意に何かを決意したようにその宝石のような輝く瞳でファスを見つめて、
「そ、その、もしアレ飲んだせいでダメになっちゃったら、ちゃちゃんとせ、責任、取って下さいますよね!?」
「そりゃまぁ、言われずとも。腹を切るまでもなく、どうせナディ様辺りに首が飛ばされるでしょうし」
「え、いや、その、そういう意味じゃないんですけど……」
じゃあどういう意味だってのに。問いただしたら、「そりゃ我ながら無理やりな告白だったですけどぉ、ちょっとくらいですねぇ」とよく分からん恨み言とともに丸まってしまった。
ーーさて、改めて状況を説明すると、先程の戦闘から少し経って太陽が完全に沈んだ夜である。
「夜中に移動するのは危険だしみんな疲れてるだろうから、ちょっと移動したら今日は野営して休もう」
というアイリス城伯の指示の下、荒野を下って少し開けた草むらで野営をすることと相成った。
その間にユピテラが気づいて前述のブチ切れ、ファスは椅子になってなだめる羽目になったわけだ。
ーーナディ様どころか城伯様すら野営の準備をしているのにな、申し訳ないこと極まりないのだが。
「いいよいいよ、右腕はまだ動かないんだろう? ただでさえ君も大変だったろうし、そこでゆっくりユピテラ様といちゃついててよ」
その城伯は、焚き火で煮込んでいる鍋へ玉のような野菜をいれながらのほほんとおっしゃってくれるが、いやその、
「い、いちゃついてはいません! わ、私はただその、えっと」
「え? ユピテラ様、そこまで甘えておいて今更、照れなくてもよいのでは?」
城伯は苦笑しながら、大きめの魚をさばく。竜人の三本指の手でありながら、しゃっしゃと迷いなくナイフを振るう様は、なかなか器用で手慣れている。
尚、食材は城伯が持ってきたものだ。他に薬や今使ってる鍋などの野営道具などを持ってきてくれて、保存食を使わず温かい飯が準備されるのだから、ありがたい話である。
さて、ユピテラは顔を真赤にしたまま、それでもファスに抱きつき続けつつ、
「ええっと、その! な、なんで生魚なんて持ってきたの!? すぐ会えたからいいけど、見つからなかったら腐っちゃうわよ!?」
「ああそれは、ユピテラ様にお貸しした太刀がありますよね? あれは竜甲冑の一部で、だいたいどこにあるか場所が分かるんですよ。だから竜甲冑で飛んで行けば腐る前には見つけられるかなと。地下のダンジョンは盲点でしたから、お早く出てくれたお陰で腐らせずに済みました」
「それはジェニスタとフィルレのお陰ね! 後、一応ナディも! ああ、脱出法を思いついたのはジィーだから! 後ルゥグゥはいっぱいお宝とか持ってくれたし強かったし、トマスは物知りで!」
「なるほどなるほど。城に帰ったら褒賞を考えておかねばなりませんな」
興味深げにうなずいた城伯が、乾燥した香草らしきものをぽいぽいぽいっと鍋に入れると、しばらくして塩味なよだれを誘う風味が漂ってきた。
「おお! いいわねぇ! でも城伯殿って料理できるのね、意外!」
「料理と言うか、さばいたり煮たり焼いたりくらいですけどね。中小貴族は、傭兵や冒険者家業で少人数で野営とか宮仕えの給仕で肉切りとかしますから」
城伯は残りの切り身に串を刺しながら、どこか懐かしそうに語る。ちなみに、竜甲冑は既に脱いでいて、下に着ていた厚手の服姿。なめらかな質感でかつふかふかしていて質は高そうだが、ツギハギだらけである。
「なるほどぉ。私も覚えておいたほうがいいのかしら!?」
「騎士団を率いなさるなら覚えておいてもいいかもしれませんね。貴族百芸とまではいかなくても、何らかのおもてなしの術があると折衝が円滑になったりしますから」
「百芸ねぇ! 前は色々と仕込まれたなぁ!」
「ユピテラ様もなんか習ってたんっすか?」
「……礼楽寮長の養女であることを差し引いても、齢10程度でありながら、様々な舞曲、詩歌に通じ、引けぬ楽器無しと謳われる天才ですよ。何か習ってたなんてレベルではありません」
そうファスの質問に割り込んできたのはナディだ。大きな木ほどの金属の棒のようなものを4本、肩に担いでいる。それを地面にゆっくり下ろすと、それでもその重さ故かドスンという軽い揺れを尻に感じた。
そうそう、触れてなかったが、実は既にもう焚き火の周りに2本、金属棒はおいてあったりする。この計6本の鉄の棒がなにかというと、蜘蛛ゴーレムの足だ。胴体は城伯が消し飛ばしてしまったが、足は残ってたので戦利品として持っていくことになったのだ。漂流者製の結構な代物だろうし加工して装備にでもしよう、とは提案した城伯の弁である。
「どうも、お疲れ様です。すみませんね、荷物運びなぞ頼んで」
「いえ、持てるものが他にジェニスタしかいない以上、当然です。城伯殿こそ雑事をお任せしてすみません。ところで騎士ファス、いつまで抱きついているんですか」
「ああいやそれは」
「やっ!」
ファスが答える前にぎゅうっとユピテラが抱きしめてきて、それに応じてナディの目がぎりぎりと尖ってくる。色々と弱るね、これは。
城伯は、はっはっはと特に屈託もなくその大柄な体を揺する。
「まぁいいじゃないですか。仲良きことはよろしいことですよ、ナディ様」
「まだユピテラ様は幼いのですよ! それにそもそもなんで平民なんぞを! 騎士ファスには実力があり、傭兵とは思えないほど人品卑しからずとはいえ!」
「まぁまぁ。高位貴族様に平民の愛人や恋人がいることは珍しくないですから。我が始祖なぞそれこそ竜と人でありながら子どもを作っておりますしな」
「竜と人かぁ、どういう経緯なのかしら!? というかファスは恋人じゃないから! 違うから!」
「なんで抱きついているのにそこは照れるんですが?」
ナディの呆れた口調の当然な疑問に、うるせー! という品のない回答をユピテラがして、それにまた城伯がはっはっはと明るく笑っていた。