第五幕 その16
ーーまた少し、時間は戻って、
「間に合ったか! っち!」
ファスがあのふざけた男の前に立ちふさがったのを遠目で確認すると同時に、蜘蛛が足の付け根から、小さな光をふよふよと辺りに漂よわせてきた。それに対して、ナディが後ろへ飛び下がると同時に爆発、蜘蛛は自分の周囲をオレンジと轟音で染めあげる。
小型の爆弾をばら撒いて自分もろとも周囲を焼き払う範囲攻撃。見切ること自体は難しくないが、近接戦闘はこれで容易に妨げられてしまう。
(私の遠距離魔法では、装甲を汚すことすらできぬのだから、直に斬るしかないというのにこれでは、ええい!)
歯噛みをしながら今だ熱風漂う中を強引に飛び込んで、その手の蒼剣を振るう。炎や風など、本来は流転するものを固めて剣と成す、ナディが属するファボス家が祖より代々、伝えし魔法。ナディ・ジュルティ・ファボスのそれは、自身より発した蒼い炎を固めて剣として、大型魔獣や竜種の鱗すら容易に切り裂ける。
はずなのだが。
「っう!」
ちいんという金属音とともに、剣は通らず無様に弾かれ腕をしびれさせる一方、切りつけた蜘蛛の装甲にはちょっと引っ掻いたような傷と凹みが残ったのみ。
(一切、攻撃を通せないとは! 疑似神格化を、くそ、敵の後詰を考えれば使えぬか!)
地道に削るか、あるいは騎士ファスの助けを待つしかない、のか? なかなかの戦士とは言え、平民をあてにする羽目になるとは、なんたる無様か。ユピテラ様に対してあんな不遜な口をきいていた分際で自分は。
……何が、何が、
『何が第三席よ! 返してよ! 妹を返して!』
かつて受けた罵声が頭をよぎる。そう、何が第三席、何が忠誠か。今回だって、否、ずっと平民と侮っていた騎士ファスの方が、よほど彼女の役に立っているではないか。
(……くそ、戦闘中だぞ。こんなことを思い出してる場合か。焦るな、集中を乱すな!)
ああでも、やはり思ってしまうのだ。自分はどうして、こうも上手く出来ないのかと。
「っ!? しまっ!?」
斬撃を弾かれ、仕方無しと後ろへ飛んだ瞬間、それを読んでたかのように蜘蛛の口が動く。余計なことを考えていたせいで気づくのが遅れ、とにかく風の守りを集、
視界が白く染まった。
直後に体全体へ熱と痺れが走り、ぱんっ! と空気が弾ける音が聞こえる。
(雷撃!? こんな武装まで!?)
元より貴族、この程度ではやられないし、常時全身に薄く張られている風の守りで、多少は反らせてもいる。だが、体に残ったしびれを即座には回復は出来ず、その間に蜘蛛はその大鎌のような前足を振り上げ、
弾け飛んだ。
「なっ!?」
「やれやれ、急いできたけど、やっぱり遅すぎたかねぇ」
大蜘蛛の足が宙を舞う中、はぁっと大きなため息と共につぶやいたのは、背中から下向きに炎を発しながら空を飛ぶ全身鎧の騎士。斬られたゴーレムの足から発される火花に照らされて、竜頭の兜は蒼銀に輝く。
それは話には聞いていたものであり、地下のテレビとかいうので見たものでもあり、そしてどこか疲れた男の声にも聞き覚えがある。
「ーー竜甲冑、城伯殿!? どうしてここに!?」
「どうも、ナディ様。この度はご苦労をおかけしました。後はお任せを」
蒼鋼の竜鎧を全身にまとったアイリス城伯は、いつもと変わらぬ丁寧さで挨拶する。それから、背中の四角い箱のようなものと足底から下へ火をふかし、蜘蛛の上へと飛び上がった。
飛行魔法、人気は高く有名ではあるが、技量が必要でかつ魔力の消費量も多いため、まっとうな使い手は非常に少ないのだが、こうも軽々と扱うということは、
「まさか、飛んでこられたのですか!? ご領地からかなりの距離があると伺っておりますが! そもそもどうしてこの場所を」
「その辺りのお話は落ち着いてから。今はお近づきにならぬように。では」
その言葉とともに竜を模した兜の口へ、凄まじい魔力が集まる。その魔力は、ユピテラやかの花の悪魔すら越えるか。一方、蜘蛛も危機に気づいたか、背中の大砲を宙の城伯へ向けて、こちらも距離を取ったナディの肌で感じるほどの強烈な熱を発し始める。
だが城伯の口に集められた魔力は、桁違いだった。
「ご照覧あれい!!!!!」
まさに竜の咆哮ともいうべき気勢とともに、口から発されるは蒼い輝き。瞬きの間に打ち出される鮮烈な力の奔流。大気を山の麓まで震わせて飛び出たそれは、同時に放たれていたはずの砲弾を一瞬で貫き霧散させ、あっさりと蜘蛛本体を飲み込んだ。
圧倒的な蒼が視界に満ちていく。黒から夜を奪い、陽の光以上に蒼々と辺りを照らし埋め尽くし、遅れて吠え立てる暴風が、岩を砕き下方の木々すらなぎ倒して駆け抜ける。
「……っ、ドラゴン、ブレス」
ナディはその圧倒的な光と音に、呆けたように呟くしかない。神話に語られる大竜種が使ったとされる、山々すら熔かしきった灼熱の吐息。そんな竜の力を貴族とは言え人の身で顕現させるのが、竜甲冑。この竜爵とよばれる地の貴族たちが、その始祖たる竜より受け継いだ魔法具である。
(そう話には聞いていましたが、これほどとは……)
そうナディが感心している間に、蒼と暴風が圧倒する驚愕の光景も終わりを告げ、夜の黒と凪が戻ってきた。しかし瞳には、ただただあの痛みすら覚える蒼が焼き付きリフレインして、
がしゃんと大蜘蛛は左右に倒れた。
城伯が放ったブレスに飲み込まれた結果、その巨人にも引けを取らなかった胴体は融けて消え、足の部分しか残らなかったのだ。
「む、しまった。貴重そうなゴーレムでしたし、融かし切るのはちょっともったいなかったですかな」
「……余裕、ですね。流石は皇帝陛下のご戦友にして、邪神帝戦争の勇士、お見事です」
「はっはっは。お褒めに預かり光栄です。しかし讃えられるべきは、この甲冑をお作りになられた始祖竜と、それを伝えてくれたご先祖様たちですな。そもそもナディ様がご本気になられれば、ですしな。ところで、ユピテラ様たちは」
そう城伯が、暗闇でも薄く輝く竜の頭で見渡せば、矮躯の兵士、ジィーが大きく手を振っているのが見えた。