第五幕 その15
ーーそうして、目の前に立ちふさがったファスへ、優男はハッと目を丸くした後に舌打ちする。
「なんだてめぇは!? 単なる平民傭兵みたいだが、うぉ!」
いきなりファスから金属瓶が投擲され、優男は腰に差していた剣でそれを切り払おうと、
(いや、爆弾の類かもしれねぇな!)
そう即座に考えて飛びのこうとした。
その判断は正しく、また早さにおいても決して遅いものではなかった。
誤算があったとすればダメージ。
(っち、この容赦ねぇ感じ、平民とはいえ油断はできねぇ。ここは本気で氷をっ!? 足が!?)
如何な魔力に余裕があっても、頭に溜まったダメージはまた別で、加えて岩砕くユピテラの鉄拳によるものだ。決して軽いものではなく、男の足を僅かにもつれさせ、動くのを少しだけ遅れさせる。
それが、万全であったならまだ僅かに分からなかった男の運命を、完全に決定した。
「っ! ぐぁ!?」
足の甲と膝へ、装甲をぬってファスが投げた鉄串が突き刺さり、逃げの手を妨げる。
(ならとりあえず弾いて、なっ!)
腰の剣を抜きかけた瞬間、飛来していた瓶は既に、鉄串によって貫かれていた。
鉄串を足に当てて動きを止めるだけでなく、先に自身で投擲した瓶をも射抜くとは、なんという業前か。
(防人どものほら話じゃねぇんだぞ! くそったれ!)
そう毒づく暇もなく、穴を開けられた瓶は爆発し、優男の周りを白い煙で覆えば、
「がはがはがはがは!」
それは毒、目と喉へ焼きごてを当てられたかのような痛みが男へと襲いかかる。地下でナディが封じた、警備ロボットなるものの毒霧だ。
高度な技術を持つ異世界の漂流者が作った白いモヤは、直接浴びれば貴族であっても耐えることは出来ず、ただただくしゃみと涙を出すしかない。
「くそ、くそ! こんな、がはがは!」
それでも、男は、毒霧の中からなんとか片足で強引に飛び退いて逃れる。
尋常な平民なら、苦しみでそのまま倒れてもがくしかなかったろうから、感じられる魔力通りの耐久力と大した根性だ。
しかし、ファスにとっては、煙を晴らす手間が省けたくらいである。
『刻印起動、制限解除、過剰励起、開始』
煙から逃げた男へ即座に駆け寄りながら、ファスは刻印に過剰な熱を発させながら右手を突き出した。その手に沿ってくくりつけられたのは、腕を圧する大きさで、夕闇を吸って紅く鈍く光る穂先をのぞかせる筒型の武器、攻城槍。脇についたボルトを左手で絞れば、ガコンという重い音が響く。
「はっくしょん! 単なる平民じゃねぇみてぇだが! っくしゅ! なめんじゃねぇ! 我が神よ! 力を示し給え!」
しかし優男もさるもの、涙とくしゃみの中に沈みながらも準備していたのか、脇につけていた紋章を掲げて魔力をほとばしらせる。すると、大型盾のような魔法陣が目の前に現れて、分厚い氷の壁を顕現させていく。
先ほど、あの悪魔娘の触手攻撃を止めた盾、それを更に強化し改造したものだ。
「イタロス、マリディクトス、ジェリダムス! はっくしゅ! これぞ原初の先にありて果てまで続く解けずの氷! っくしゅ! その写し身を平民風情が破れるものなら破ってみろ!」
男がくしゃみと共に誇るのも分かるくらい、その氷の壁は先ほどとは比べ物にならない魔力を有している。その強度たるや、悪魔の突進を防いだファスの全力ですら遠く及ばない堅牢さであろう。
まさに貴族が誇る真智と魔力が練り上げた、絶対防御と言うべき代物。同じ貴族のナディや万全のユピテラであろうと、容易くは突破できないほどだ。
しかし、その手のものを破り崩してきたからこその彼の異名である。
『過展開、過開放、過集中』
急速に魔力を流し込まれた攻城槍が、朱と蒼の相対する光を絡めて紫とし、夕闇の中で煌々とその紫炎を知らしめる。
……北の防人が歌いて曰く、残虐無惨な血吹雪の姫、その配下にして居城、神器の一撃すら通さぬ城魔エリュニズを討ち果たしせしは、紫炎輝く人の槍。数多の人を食らえし罠を破り、数多の人を捕らえし壁を崩した、道を貫く導なり。
その歌は、誇大で無責任で、多くが間違っているのだけれど、ただ最後だけは本当だ。
『……導よ。道を貫き、証を示せ』
淡々とファスが絞っていたボルトをねじれば、槍は射出される。
そして男の胸を貫いた。
「……は?」
次の瞬間には、男の視界には赤黒い闇と、その中で鈍く光る複数の点が広がっていた。それが何か、何故広がったのか分からなくて発された呟きが、ゆっくり過ぎ去る紫の尾と共に消えていく。
「これ、は!? が、あああああああ!」
顔を生暖く濡らすものが、血であることに男が気づいた時、なくなった胸から体全体へ激痛が広がった。
(が、ぐ、が、な、なんでだよ? な、なんで俺の胸がねぇ! 貫かれたのか? バカな! 氷壁があるんだ、俺の全力の守りの! なのになんで胸に大穴が開くんだよ!?)
その答えは至極簡単で、胸以外に眼の前の氷の壁にも大穴が空いてることから誰でも分かる。あるいは男の少し離れた後ろの大岩が、轟音とともに崩れ落ちてることからも、か。
即ちただ単に、ファスの攻城槍に、その守りをあっさりと貫かれただけである。
だが、あまりにあっけない。一瞬でも止まるどころか、つっかえて勢いが衰える様子すらも何らなかった。そもそも、貫かれたことすら認める前に貫かれた。
そんなことが起こるのは、目の前の平民より、自分が完全に劣っている時だけなはずだ。
「……くそっ! くそっ! くそぉ! ありえねぇありえねぇありえねぇ!」
如何な傭兵に身をやつしたとはいえ、貴族の自分が平民ごときに劣っていることを認めかけてしまうとは。そんな怒りを胸を穿たれて尚、喚き散らす男へ、ファスはナイフを引き抜き歩み寄り、
「っち、しまったな。忘れてた」
周りに湧き出てきたゾンビへ、頭をかいた。