第五幕 その10
「そこの平民! どきなさい! 用があるのはあの神族だけです!」
神族の少女は、ファスと相対してそう命じると同時に騎馬から飛び降りれば、手にしていた金属の錫杖ーー先端が竜っぽい紋章を象っているが角が明らかに折れているーーを手近な岩へと叩きつける。
「それとも! 私の魔法で潰されたいのですか!」
と、岩は地面がずぼんっと大きく沈み込み、さらにはメキメキメキと音を立てて砕けて平らになってしまった。
(あー、こいつは重さを操作する類の、確か重力とかいうのを操作する魔法かね)
珍しい代物で、戦場で見たのは1,2回くらいだったか。あとは、以前にあの人に見せてもらったことがあったか。確かえーと……。
特徴や対処方法を思い出しつつ、少女を観察してみる。ユピテラより少し大きい、ギリギリ元服したくらいの雰囲気をした幼さが残る少女である。体型的に一部が飛び出てるが身長は低めで小柄。だが、全体的にがっちりと芯を感じるため、なかなかの鍛錬を積んでいるらしい。手足の様子から弓など遠距離系ではなく、剣みたいな近接系に自信ありなタイプ。魔法は重さを操る以外は射程や他に使えるものなども不明だが、未覚醒というやつなのか、ユピテラのような圧力は感じない。
それでも神族は神族で、さっきの魔法だけでも喰らえば漬物よろしく潰されるだろうし、まともにやりあえばただではすまないだろう。
……それはそれとして、ファスはふと思ったことを口に出す。
「貧乏くせぇのが来たな」
「なっ!?」
「いや、驚くって。自覚なかったのか? 本当に貧乏なんだな」
なんか急所をついたらしい相手の反応に、ファスも素になってしまったが、実際、彼女の装備は酷い代物なのだ。
例えば鎧の装飾がないのはいいが、そこかしこの修理とツギハギの跡が目立っていて、古びたを通り越してボロい。しかも装甲は胸当てと手甲だけで、後は飾りと服でごまかしている。その服も大分薄く、何であれナディやユピテラのと比べると明らかに貧相だ。
馬も痩せ馬で、軍馬としては頼りなくーーまぁ貴族は普通の馬より速く走れることも多く、彼らの戦闘に馬がついていけなかったりするので、あまり重視しないところは重視しないがーー、連れている従者らしき5名も、カビの生えてそうな革の胸当てと額当てで、最低限の装備だ。手にした武器もさっきの通り錫杖の頭が明らかに壊れているし、従者の剣も使い込みすぎてるのか微妙に歪んでいる。
まさに田舎の貧乏貴族といった有様。木製とは言え磨かれて蝋を塗られた鎧を着ているルゥグゥたちが、光り輝いて見えるくらいである。
と、貧乏というのは真っ当な評価なのだが、それが真実であっても侮辱は侮辱である。
「ぶ、無礼な! 無骨といいなさい無骨と! 見た目で勇敢さが決まるわけではないんですから無意味です!」
「物は言いようだな」
そも言いようというか、誘拐などという後ろ暗いことやろうとしてるのだろうから、声なぞかけず問答無用で攻撃してくりゃいいのに。まぁ貴族はおおよそ、正々堂々と名乗りをあげて戦うのが作法であり、功績の確認的にも好まれるから、その延長か。行儀がよいことである。あるいは平民だから舐めてるというというのもあろうか。
なんであれ、挑発すれば効果がありそうだし、ちょっくらかましてみますかね。そう思い定めたファスはルゥグゥと視線を合わせて、
「俺も色々と各地を巡ってきたが、こんな貧相で貧乏なお貴族様は初めてだから驚いちまったよ。なんかこの辺りは伯爵領とか言ってたけど嘘だろう? 未開の蛮族が勝手に名乗ってるんじゃねぇか?」
「はっ! そりゃ仕方ねぇぜ! ジラスの家は畑もろくに作れねぇ荒れ地だからな! なんとか城伯様たちの温情で最低限、食いつないでっけど、上から下まで食器の持ち方も習えねぇ山猿さ! 中央出身の兄貴から見りゃ野暮ったくて仕方ねぇだろうよ!」
ルゥグゥはファスの意を汲み取って、相手の領家をあげつらいながら、目を見開き舌を出して小馬鹿に笑うという、なんともムカつく表情をする。うーむ、道化にでもなれば金が貰えそうなくらいのなかなかの演技、いや素なのかもしれないが。
「言わせておけば! トカゲモドキの分際で! この! えっと! 平民が生意気な!」
ブチ切れて少女は罵り返そうとするも、怒りすぎてうまく言葉が出ないのか口をもごもごさせるのみ。
まったくなんといいますかね。
「未熟なやっちゃな。こんなつまんねぇ挑発に最低限の言い返しも出来ず、苛立ちもまったく抑えられないとは」
「う、うるさいです! 平民風情が! 知ったような口を」
「そして鈍い。平民が平然と立ち向かってることに、何の疑問も抱かないのか?」
「だ、だったら単なる平民のあなたが何ができるというのですか!」
「おまけに愚かだ。敵にそれを問うてどうする?」
「こ、この! 平民風情が!」
「同じことしか言えねぇのか。まったく、未熟で、鈍くて、愚かな神族様だな。郎等がこの程度とは、ジラス伯の貧窮具合も極まれってところだな」
「ま! 貧乏人だけに人材もボキャブラリーも貧困ってことっすよ!」
「「ぎゃはははははははははは!」」
とまぁ、ルゥグゥとけたたましい大笑いを響かせる。トマスが「幾ら何でも品がない……。そもそも笑えるような内容? わざとらしい」とドン引いてるが、いや挑発なんだからいいだろ。
実際、大根演技だとは思うが、しかし効果はテキメンだったようで、神族の少女は顔を湯気でもでそうなくらいに真っ赤にして、
「いいでしょう! 慈悲を与えてあげようと思いましたが、そっちがその気なら!」
「慈悲なんて与える余裕ねぇだろ、貧乏人」
「っ! 砕けろ!」
ぺっとおまけでファスがツバをはいたのが引き金になったか、錫杖を掲げまっすぐに飛び込んでくる。それなりに離れていたのに、一瞬も待たずみるみる大きくなるのは大した脚力。だがしかし、単調な一直線の突撃である。
それならば、
「はああああああああああ!」
「障壁展開」
気合とともに後一息と、少女が踏み跳んだところで、ファスは手をかざす。
斜めに。
「くら、が!?」
ガコン! と凄まじい金属がひしゃげる音が鳴れば、ファスへと飛び込んでいたはずの少女は、しかし空中で何か突き刺さったように、くの形で折れ曲がって停止していた。
体から飛び出た血がゆっくりと、彼女の突撃を妨げその胸甲を突き破ったもの、即ち斜めに張られた障壁に沿って広がっていく。
「さ、逆茂木、代わり、に、く!」
地面に落とされたところへ襲いかかってきた剣を、少女は錫杖で受ける。障壁を解除したファスが斬りかかったのだ。
「どっちかってぇと槍衾だけどな!」
逆茂木、伐った木を斜めに置くなどしてバリケードを作り、馬などの突撃を防ぐ施設のことである。槍衾は逆茂木と同様の役割を、槍で行うものだ。今回は、魔法の障壁を斜めに張ることで、それらの代わりにしたのだ。そして、神族の少女が飛び込むタイミングに合わせたことにより、障壁は相手の攻撃を防ぐだけでなく、カウンターの一撃と相成ったのである。
(しかしこんなに上手く決まるとは、な)
ファス自身も少し苦笑してしまう。例えばフェイントを入れられたりすれば合わせるのが難しくなり、魔法で遠距離攻撃などをされれば合わせることすらできなくなるというのに。
つまらん挑発で頭に血がのぼった挙げ句、バカ正直にまっすぐ突っ込んできた少女の失策だ。それでもなお、剣を受ける余力が残っているのは流石だが。
「ぜ、ゼピュロ様! 今お助けしま、ぎゃ!」
後ろで固唾を飲んでいた従者たちが、主の危機に慌てて殺到しようとしたその先頭の肩口へ、ボウガンの矢が刺さる。やったのは小ぶりのボウガンを構えてファスたちを追い越したトマスだ。
「邪魔はさせない! ファス! 従者たちは僕らが!」
「とっととそんなマヌケな貧乏人、畳んじまえ!」
「応ともよ! そっちも任せたぜ!」
「く! なめる、な!」
トマスとルゥグゥへファスが答えれば、胸を砕かれているにも関わらず、少女はがむしゃらに錫杖を振り下ろしてくる。しかし、ファスは軸をずらしてこれを避けつつ鉄串を投擲、目に迫ったところを少女は腕をあげて盾とすれば、ぱぱんとほっそりした前腕の肉をえぐり血の花を宙へ咲かす。
「だらっ!」
そこへ更にファスは足を休めず踏み沈んで、狼が飛びかかるが如きの片手一剣胴薙ぎ。
「っ! この程、が!」
これをなんとか体をずらして浅手で済ませ、少女がすれ違ったファスに向き直ったところへ、更に更に淀みなく投擲された鉄串が2本、彼女の鎧の砕けた部分に打ち刺さった。
そうして生まれた隙をついて首を打てば、如何に彼女が神族といえど、っと殺してはまずかった。
「めんどくせえなっ! 刻印励起!」
ファスが自身の愚痴っぽい雄叫びを追い抜いて、首の代わりに狙ったのは足、風を割って駆け抜けて、薄手の布だけに覆われた太ももへ剣を走らせれば、スパンと小気味の良い音が鳴る。
「っあ!!」
ドサリという音とともにファスが残心を取って振り返れば、そこには地に伏した少女。片足の太ももから下がきれいになくなり、赤い血をダラダラと地面に広げている。
「ひ、あ、足を、私、の足……」
そのどくどく脈打つ傷口を、少女は無意識なのか手で押さえて掻きむしり、凛々しい瞳から涙をぽろぽろ零してる。無惨な有様とでも言ったものか、貴族だから足などはくっついて無事に治るにせよ、些か心が痛むところだ。
「やった! 流石ファスだね!」
「おらぁ! てめぇらの主はやられたぞ! まだやんのか!」
ファスが少し動揺している一方、トマスの歓声とルゥグゥの威嚇が響く。見れば、向こうも既に1人を気絶させて地面に転がし、1人は頭を抱えてうずくまりの戦意喪失状態で、残り3人。内1人は、ルゥグゥに武器を吹き飛ばされてドリル槍を突きつけられていて、後の二人はそれぞれ肩口と太ももにボウガンの矢が刺さり、青い顔で震えて及び腰だ。
「ま、勝負あったってとこ、っ!」
ほっと気を抜き勝利を宣言しようとして、ファスは舌打ちする。
地に伏している少女だが、その目にはまだ火が灯っていたからだ。
「こ、の! まだ、まだ負けてない! こんなところで負けるわけにはいかない! アルマ様のために!」
その叫びとともに爆発するような魔力の感覚がファスを襲う。
来る! 鉄串では止めきれねぇか!? などと考えたのは、体が咄嗟に動いた後だ。それでも逃げる姿勢を取ることすら間に合わず、次の瞬間にはファスの全身はうつ伏せに地面へ押し付けられていた。同時に辺り一面の岩、否、地面そのものが見えない重りに潰されるように、巨大な凹みを一瞬で作り出す。
少女が先ほど見せていた重力操作の魔術、それを周囲一面に張ったのだ。
「これでぇ! ぶっ潰れなさいぃ!」
自身も潰れ圧力で更に傷口が開き血が吹き出すのも厭わず、ファスを睨んだまま気迫で重力を強めてくる。一方のファスは、肉と骨と目玉と内蔵が空間に満ちる重みでメキメキと音を立て、体中が充血して潰れたトマトよろしく全身から血その他が吹き出しそうになっている。
(万事休すってか、まったく)
ぴくりとも指一つ動かせん。大したもんだ。
もし、あの人の教えがなかったら何も出来ず死んでたな、ファスは古い友人の顔と彼女の爽やかな香水の匂いを思いだす。
同時に、
「がっ!?」
ガンッという聞き馴染んだ鉄と骨の砕ける音が、耳に届いた。すると体を押しつぶしていた重さも消え、ファスはやれやれと顔をあげる。
そこに先程以上に飛び散った血溜まりの中で、倒れ伏した少女がいた。頭には無数の石がめり込んでいて、ダラダラと血が流れ落ちている。少女はその砕けた頭から、呆然とその一つを手に取り、
「この、石は、上、から? どうし、て」
「まだしゃべれんのか。すげぇな。俺が投げたんだよ」
魔法が発動する直前に投石用の石を一掴み、相手の頭上へとばらまく。そして魔法の発動後、重力の増加で重くなった石が相手の頭へ急降下する、と言う寸法である。
「そんな、こと、寸前で、なん、で」
「経験、というより持つべきものは知識ある友って感じかね。石が上手く当たらねぇとかそもそも別の魔法の可能性もあったから、ま、運も良かったわな」
あるいは少女の運が悪かった、か。紙一重だったが、何であれこれで勝利。周りを見ればトマスとルゥグゥも驚きこそしているが、特に重力に巻き込まれた様子もなく、一方の相手の従者たちは倒れたもの以外は背を向けて逃げ出していた。
(これで一安心、とするにはまだ早いか。ナディ様の方はどうなった? 距離が離れてるにせよ、結構な爆発音は聞こえてたが)
そう様子を確認しようとした時、ドンッという太鼓の音が響いた。