第五幕 その4
ーー昔、いや、未来か。要は、ユピテラの転生前の話である。
春、帝都にあった養父の館のテラスで、確か、一人でギターを弾いてた時だったか。
なんで弾いてたのかというと、暇だったから以外の理由はない。当時は深窓の令嬢で、外に出ようとかそういう気もなく、養父母が喜んでくれることもあり、楽器を弾いてれば満足だった。
そんな時分を思い返す度に、ユピテラは自分の無知と悠長さに喉元が気持ち悪くなるのだが。
……話を進めよう。
「……あら?」
とりあえずと手慰みに一曲、春節を祝う曲を弾き終わったところで、視線に気づいた。
「……」
顔を向ければ庭木の影にそっと身を寄せた灰色の少女がいた。格好はそれなりに清潔だが、貴族の子のように派手なものではなく、使用人の子どもだろうか? ただ子どもとは思えない無表情が気にはなったが、血色自体は悪くなく、髪は灰色で陶器のような不思議な光沢が印象に残った。
迷子かしら? 人を呼んであげるべきでしょうか? ……でも、その前に、こちらをじっと見ていると言うことは、
「どうやらご観客のようですね。では」
ギターを軽く弾き、伸びやかな旋律を暖かな春へと響かせて、もう一曲、もう一曲、そしてもう一曲。そうして紡がれる音は、所詮は貴族の趣味のはずだが、それでも無表情だと思っていた少女の丸い瞳が、キラキラと輝いていって、
「……こちらにいらっしゃい? かわいいあなた?」
ユピテラのその呼びかけにトコトコとやってきたのが、彼女、フィフスだった。
その日から午後、日が傾きかけた時になると、ユピテラは庭に来たフィフス相手に、様々な楽器を演奏したり教えたり、文字を覚えさせたり服を着飾らせたりしたものだっけ。
そうしたことを1年と少し続けたある日、フィフスは庭に現れなくなり、それっきりになってしまったが、あの無表情ながらも綺麗な丸い瞳は、深窓の令嬢故に家のもの以外との関わりが薄かった前世のユピテラにとって、忘れ得ぬ思い出だ。
ーーそれがこうして、また再び会って、
(まさか帝都を滅ぼした悪魔なんて、ね。神様も皮肉が過ぎます)
口の中が苦くなる。帝都の人々を殺し親しかった人々を殺し、ファスを殺した悪魔との記憶が、暖かなものだなんて。
『その言葉だけは、聞けないな』
赤い血が見える。紫の剣に貫かれ、それでも優しく笑ってるファスの姿が、白く染まって、いやだ、いやだいやだいやだ、私を、置いて、置いて、置いていかないでっ!
「ユピテラ様!? 大丈夫ですか!? ユピテラ様!?」
ファスの少し若い、でもやはり痩けてはいるが優しい顔があった。
息が苦しく、鼻がすっぱい。どうやら過呼吸を起こして吐いてしまったらしい。フィフスにかけたろうから悪いことしたな、とどこかが囁いた。
……寒い。
「どこか痛みますか!? 寒気などは!?」
「……ぎゅーってして」
「は?」
「ぎゅーてしてください、お願いだから」
寒くて、寒くて寒くて寒くて、ファスが死んだ後に、洞窟に閉じ込められた時のようで、暗くて、怖くて、苦しくて、だから、
パチンパチンという留め金の音、そしてカランカランという金属音が響いた
「あっ……」
そして暖かな感触に包まれる。少しゴワゴワとしていたけど、優しくも力強くて、確かに生きている。
ファス、ファス、ファス、私の騎士、私を救い、私のために戦い、命すら捨てたあなた。また再び出会えたあなたを、今度は、今度こそは、私が……。
そうして抱きしめられて、どれくらい経ったろうか。
「……あの、大丈夫ですか?」
「……はい、でも、もう少し」
恐る恐ると様子を確かめてきたファスに、名残惜しくてついそう答えてしまう。実際、どこかも分からぬ敵地で、こんなことしてる場合ではないことが分かるくらいには、ユピテラも落ち着いてきたのだが、折角の機会である。
(ああ、あの時、心細い夜はこうして抱きしめてもらいましたっけ。あの脱出行はいい思い出ではありませんが、懐かしいですね。それ以上のことはしてくれませんでしたけど。でも、匂いも変わらず爽やかで、そういえばこの匂いって確か、以前の雇い主から臭うからと贈られた香水のでしたっけ。……もうこの時には既に知り合ってたんですね。へー)
ということは前世では結構な長い間、取っておいたわけですか。ほー、ふーん。そういえば、安全なところに行ったら香水を絶対贈ろう、って未来でも思ってましたね。うん、城伯領に戻ったら絶対に香水を贈って変えさせましょう、絶対。
「いやあの、なんで脇腹つねるんですか?」
「別に、ちょっとイラッとしただけです」
そうユピテラが答えると、はぁああ、とわざとらしいデカいため息をついてくるが、ふんだ、ファスが悪いんだもん。
そんな未来の嫉妬に振り回されていたら、
「それで、あれ、大丈夫なんですかね?」「落ち着いたみたいだけど……」「なら良かったけどよ。ったく、冷や汗かいたぜ」
周りの声がようやく聞こえてきた。
……あれこれ、すごい醜態を見られてませんか!?
「も、もう大丈夫ですから! は、離してくださいファス!」
慌ててグイグイ押すも、いつもみたいな力が出ないため、まったくファスを離せない。
それどころか何故かファスは、ぐいっと顔を近づけて、しげしげとユピテラの顔を眺めてくる。ランタンで顔が照らされてはっきり見える顔は、やはり優しくどこか落ち着いていて、何もかも飲み込み同ぜぬ静かな山のよう。そのまま山に迷い込んだ旅人のように、私も彼の中で溶けてしまいたい、て! 下手くそなポエムもどき詠んでないで!
「あ、う、あ! な、なんですか!?」
「あまり調子が出てないようなので。顔が赤いのは照れてるだけでいいんですよね?」
「照れてません! 照れてませんから!」
「んと、まだ調子出て無さそうだが、照れ隠し出来るくらいなら大丈夫、か?」
ホッとしてるけど何が大丈夫で何を納得してるんですか! 後、照れ隠しじゃありません!
ムキーと犬のように叫ぼうとした瞬間、とんとっと肩を叩かれた。
「……」
フィフス、だった。先程までと同じ、ついでにおぼろけながら思い出した、未来と同じ石膏で固めたような無表情だが、少し心配そうに見えるのは気の所為、ではないはずだ。
「ん、大丈夫です、大丈夫よ!」
ですます口調が出てたのに気づいたので直しおく。しかし、前世の記憶を思い出して吐いたのは、城伯領に来て初めてか。3年の転生生活で酷い時は毎日、今でも月に1、2度くらい似たような症状を繰り返してるが、やはり困る。痛みも苦しみも自身への戒めであり、忘れてはならないものではあるが、あまり周りを心配させたくもない。どうしたものでしょうか?
そんなことを思い悩み始めたユピテラだが、その際にふと思い出した事があった。
「名前、名前をつけましょ!」
「いや、フィフスって名乗ってますが?」
「ただ単に番号でしょうそれって!」
「確かにそんな感じですが……」
「そんな感じじゃなくてそうなの!」
転生前、彼女と仲良くなって名前を聞いた時に、五番目だからフィフス、そういう風に名乗っていたのだから断言できる。
それは名前ではないのでは? とユピテラは疑問を投げかけたのだが、フィフスと名乗る彼女は興味なさげに確かクッキーをついばんでたのが、なんとも寂しかったのだ。
「だから名前よ名前! どんなのがいいかしらね! ウルトラクトゥルーとか!?」
「名付けをするなら真面目にやってください」
「うっさいナディ! 真面目にやってるわよ! かっこいいでしょ!」
そう皆に同意を求めて見渡すが、
「アレっすね、貴族様のセンスって、あれ、独特っすね」「ばっかやろう。ナディさまが止めたってことはユピテラさまがおかしいんだよ」「うん、ユピテラさまはしばらく休んでてください」「はぁもう。礼楽寮長のご令嬢なのに……」「うう、さ、流石にそんな名前は嫌ですよぉ……」
あによー! その反応! ギャン泣きするわよ!
「バカにしてぇ! じゃああんたたちはどうなのよ!」
「そ、それならジェ、ジェニスタ! ジェニスタでお願いします!」
ユピテラの問いに食い気味に主張してきたのは、フィルレである。
「ジェニスタって、エニシダのことかしら!?」
「ええと、は、はい、その、エニシダ、です。小さな花を、ええっと枝いっぱい咲かせてくれて、流れる花です!」
さぁっと腕で緩やかな弧をランタンの薄い灯りの中で一生懸命描いていく。その様子自体は可愛らしいのだが……。
「あれ、色んな花があるんっすね。あれ、トマスは見たことあるっすか?」
「温かいところだとそこそこ見るね。この辺りにはないみたいだけど。しかし、どうしてその花の名前を? 花の悪魔っていう共通点はあるけど、あれは菊っぽいし」
ジィーの問いに答えつつ、トマスが当然の疑問を出せば、ええっとと少し口ごもるフィルレだが、すぐ何か決意した顔で曰く、
「す、好きだからです! い、以前見たことあってそれで!」
「いやまぁ、それなら分かるけど、名前を決めるのにいいのかね、それで?」
「別にいいんじゃねーの。少なくとも悪ぃってことはねぇ」
そんなもんか? そんなもんだとファスとルゥグゥ、それをナディがおっ被せるようにまとめて、
「では、ジェニスタでよろしいでしょう。ユピテラ様にまた変な名前を並べられても恥ずかしいですし」
「変じゃないって言ってるでしょうが!」
「なら変だとご自覚ください」
あーもーこいつぅ! 淡々とした無表情で宣言してくるナディの顔を、元気になったら絶対にひっぱたいてやるとユピテラは誓いつつ、しかし、ジェニスタか。
そういえば、エニシダのアクセサリーを前世で彼女に贈ったことがありましたわね。うん、かっこよくはないけどかわいいし良い感じです。色々と私のネーミングセンスに関することとか、納得がいかないことはありますが。
「とにかく! 異論は無さそうだし、あなたの名前はジェニスタね! いいわね!」
「……」
そう言い渡すと、分かっているのかいないのか、触手少女フィフス改めジェニスタは、ただ触手をふらふらと揺らしていた。