第一幕 その1
ファスは傭兵である。
傭兵、雇われ兵士。大小の貴族たちが小競り合いを続ける、ユラシアの地においては、往々にして貧に窮まった者たちがたどり着く、極々一般的な職業だ。
ファスもまた、そんな平民の一人である。
家はノマン帝国の、中流規模の自作農であったのだか、暴君と呼ばれた前女帝の時代を耐えぬいた家も、流行り病には勝てなかった。年老いた祖父母だけでなく、大黒柱の父すらも病床についた結果、祖父母はあえなく天に召され、父の方は命こそ助かったものの医者やら薬やらで大金がかかった結果、親子六人、にっちもさっちも行かなくなったのだ。
奉公先が決まっていた姉は、日時を繰り上げてもらい、それなりに頭の良かった下の弟は、近くの修道院に預けられ、末の妹は、名も知らぬ親類に養子へ取られた。
そして、長男のファスは、傭兵となった。
理由としては、特にない。
特技も何もない、ただの普通な子供だったファスを、両親が何処にやるか頭をひねっていた際、傭兵の募集が村で行われた。
それに、ファスが自ら、勝手に志願したのである。
親を悩ませるのが子供心に苦しかったから、という理由だったかもしれないし、募兵官の勇壮誇大な武勇伝に、少年が抱がちなトキメキを刺激されたからかもしれない。
両親は、反対した。傭兵なぞ、何時死ぬかも分からぬ職である。さらに、世間からは強盗追いはぎの類として、犯罪者のように後ろ指を差される仕事。
そんな仕事に、まだ幼さの抜けないファスをやれるものかと怒ったのであるが、最終的には、妥協した。それくらいまずい家の状況だったし、疫病や折り悪く起こった作物の不作、そして貴族たちによって繰り返される小競り合いに皆が苦しむ中、他にましな仕事があるわけでもなかった。
向いていたかどうかは、分からない。大小の戦争による治安の悪化から、村々も自衛として戦力を持ち、その中でファスもまた、皆と一緒に武術をかじってはいた。しかしそれも、大勢の普通の中に埋もれる程度の腕だ。後は、文盲が当たり前な中、読み書き算術が出来ることくらいが、特記すべきことだろうか。
要は掃いて捨てる程いる若者の一人で、傭兵となったファスも、すぐほろ苦く自覚した。
勇士のように強くもなく、
智者のように賢くもなく、
聖人のように尊くもない。
ついでに金も儲からなく、だからこそ、無理せず無茶せず目立たずで、約十年に渡る傭兵生活を、なんとか生きていけたのかもしれない。
そして、六度目に所属した傭兵団の会計が、金庫の金を全部持ってトンズラした後、何とかありついた仕事が、このアイリス城伯が持つ城の警備であった。
で、働き始めて三日目に、前述の少女による騒ぎに巻き込まれたわけである。
「つーわけで、そんな感じで大したもんじゃねえんだぜ、俺はよ」
「いやいや、でも昨日のファスの兄さんは、アレです、大したもんでしたよ」
そして今、城壁で警備の仕事をしながら、兵士たち数名とだべっている。
「ホントすごかったべよ。オラなんか一撃だったべからなぁ」
その中の一人で訛りきつく喋るのはマクという名前の、鱗におおわれた肌とトカゲのような面構えを持った男だ。ナーガ族と言うこの五子爵領と呼ばれる地方一帯に住んでいる珍しい種族で、人型の竜のような姿が特徴。この地に根をおろした竜の子孫だとか。
そんな血筋だからか、マクを含む竜人たちは熊のように大きいのだが、おおよそそのいかつい見た目に似合わず物腰は温厚である。
「あの突きはやっぱり、どっかの秘伝とかそんなんだべか?」
「ああ、あの突きこそが闇人が伝える忍者の秘奥、マクさんたちだから特別に教えるが、あれはな」
「あれは?」
「ただ単にスッコケたけどなんか上手くいった、だ」
「おおー、て、そうなんだべか!?」
「ああ、あんな上手く行くなんて、こっちも驚きだったよ。二度はやれんし、やろうとも思わねぇ。今でも胆が冷えるよ」
城壁の上部で凹凸になっている、いわゆる胸壁に寄りかかりながら、ファスは肩をすくめてみせたが、マクは逆に感心したように、
「いやぁ、スッコケたのを見事な突きにする辺り、やっぱりファスさんはすごんだべな」
「そうだねぇ、とっさにああいうこと出来ちゃう辺り、やっぱりファスは歴戦の傭兵だね」
「アレですよアレ、やっぱり俺たち農民とはちがうんですよアレ、兄さんは」
トマスの言葉に、口癖なのかアレアレと繰り返しながらジィーが同調する。この二人は竜人ではなくファスと同じ人族で、マクとジィーは城伯に兵役で集められた農民、トマスは現在の傭兵団に入った時に知り合った新人傭兵だ。
しかし真面目に感心されると小っ恥ずかしいな。昨日の一件からこの方、兵士たちがずっとこの調子で褒め称えてくるので、いささか尻の座りが悪い。
「運が良かったってぇだけなのにさ。もしあのお嬢様が、本気出して魔力ブーストしたりしたらどうしようもなかったのに、どいつもこいつも褒め過ぎだぜ」
「謙遜することねぇべ、ファスさん、いや兄貴。ホントにすごかったんだべから」
「そうそう。ファスって実は有名剣士だったりするの?」
「あるいはアレ、神族のご落胤だとかそう言う感じだったり」
「お、よく気づいたな。聞いて驚け。家は代々、由緒正しい農民だぜ!」
「じゃあ農民様にカンパーイだべな!」
ふざけて水袋を掲げるマクに合わせて、トマスとジィーもカンパーイと調子よく水袋を上げて飲む。
「まったくまったく、カンパーイだ!」
ファスも合わせて乾杯するが、まぁ水。うまいかどうか問われれば、そりゃうまかったさ。
「でも実際、武功とかそういうのないの? 異名とかさ」
「一応、ギルヴァっていう魔族が支配していた城攻めに参加して城壁破りって呼ばれたり、後はグランダの侵略者どもを相手にした戦いじゃ、100人で要塞を守りきってネルダ川の100人って呼ばれたりはしたことあるけど、知らないよな?」
トマスの問いに答えてファスはとりあえず、自分が参加した中では大きめの戦を挙げてみるが、
「あー、うちら単なる農民だべからなぁ」
「えっと、アレっすね、確かて、帝都の方とかの話だったり?」
「いや、もっと北の国境の方なんだけど、ここからじゃ遠いからな」
と、マクとジィーの反応は微妙である。まぁ中小の、それも遠くの戦争となれば傭兵だって詳しくないのだし、農兵が知らないのは仕方ない。とはいえ、微妙に気まずい空気になって、やっぱりちょっとしょんぼりしてくるが、
「何であれ、あれっすよあれ、乾杯っすよ乾杯、かんぱーい!」
「だな! 乾杯乾杯と!」
そんな様子を気取られたか、ジィーが強引にごまかしてくれるのに便乗しつつ、苦笑とともにファスは空を見上げた。
青が染み渡った中を、真っ白な雲が漂っている。風はかすかに穏やかに、暑過ぎず寒過ぎず温暖というべき天気で、のんべんたらりと仕事をするふりをして井戸端会議をするにはいい具合だ。
そうしてしばらく、ここの食べ物はどうだの城伯様は偉いだの、逆に北の奴らはどうだの道の整備の大工事がどうだのというたわいない会話に興じていれば、ふと会話が途切れる時が来て、
「そういえば、あのバカ強いお嬢さまは一体何だったんだろうな?」
気になっていたことを、ファスは聞いてみることにする。
改めて書けば、あのキレイだが凄まじい剣技のお嬢さまが暴れてから、一日ほど経っている。
あの後、気絶したファスが、宿舎の二段ベットで気付いた時には、既に騒ぎは収束していて、夜になっていた。
気絶している間に、何人かの騎士と侍女と覚しきメイド姿の少女が現れて、泣き喚く彼女を連れて行ったらしい。が、それ以外の、例えば彼女が何ものかとかは結局、分からずじまいなので気になっているのだ。
「そうだべなぁ。特に上の方からもなんも言ってこねぇべしなぁ」
「まぁ、俺としちゃ、娘をよくも! この男の首を斬れ! とかそういう話になってなさそうで、ホッとしてるんだけどさ」
一応、昏倒から気づいた時にすぐ上司の傭兵隊長を訪ねたのだが、気にしなくて大丈夫です、と言われただけで、そのまま朝になって今この時点に至っても特に動きなし、と言う状況だ。
「本当に気にしなくていいのかね? つーかあのお嬢さん誰だったんだ? 城伯様の娘とか姪とかじゃないのか?」
「俺たちもアレ、ずっとこの辺りに住んでるっすが、アレですよ、あんなお嬢さまが城伯さまやご親戚にいるなんて、聞いたことないっすよ」
ファスの質問に、ジィーは木の実を頬張りながら首をひねり、トマスやマクもそれぞれ干し肉のかけらやら小魚やらをつまみながら、
「じゃあ外から来たってことなのかな? ファスや僕、君たちがわざわざ集められたことに関係してそうだね」
「そうだべなぁ。この辺りは平和で、若様は竜兵団を率いて帝都へご奉公中だけんども、特に大きな諍いもねぇだべし、兵役なんて久しぶりだべからなぁ」
「あれ、自分みたいなやせっぽっちのチビすら集めて、大勢の兵を用意するくらいっすからね! あれ、神族さまですし、きっと超偉いお嬢さまですよ!」
そうぐびっと水袋を傾けるジィーは、確かにかなり小さく、着けている木の胸当てや兜がブカブカで、子供の仮装みたいである。ただ手足こそ細いが痩せこけているわけではないので、兵士として不適というほどでもない。
「色艶もいいしな。この辺りはホント、平和だって察せられるよ。ご領主の、ええっと、アイリス城伯様のお陰かね?」
「そうっすね。あれ、城伯様はお優しいし無理も言わねぇって評判っすよ! だから今回、でかい、あれ、兵役を求められて村の皆もびっくりっすよ。まぁあれ、年貢は安くしてくれるみたいっすが、やっぱりいきなりだったんで」
「で、そんなこんなでてんやわんやしてたら、帝都の騎士さまも兄貴たちもこっちに来てで、そしてあのお嬢さまだべ?」
首後ろをかきつつ、マクは人差し指くらいの焼いた小魚を口に入れる。この辺りの浅瀬で取れるそうで、緑色でなんかタコみたいな触手が四本、腹から生えている。味は淡白を通り越して特にないが、骨がぷりっと柔らかくて食べやすい魚だ。
「なるほどねぇ、あのお嬢様に何かあるのは確定か。ただ、それにしちゃ団長本人は別の仕事で忙しくてこっちに来てないし、団の連中も殆ど来てないのが不思議だが」
「それは団長と城伯様が、元傭兵繋がりで昔から知り合いだから、団長が忙しいところを無理言って信用できる人だけを頼んだって話だね。後はやっぱりお金の問題かも。下の方の数合わせはともかく、ファスみたいな腕の立つ人はそこそこ高いんでしょ?」
「俺が腕が立つかはともかく、まぁそうだな。だけどよトマス、いやそれはいいか。しかし選別もちゃんとしてるとなると、やっぱりあのお嬢様やべえんかな?」
どうだろうねぇ? とトマスとともに首を傾ければ、ジィーは芝居がかって大手を広げて、
「異例だらけでアレ、こう、何か陰謀とかありそうっすね! 天地を揺るがす大陰謀とか! それで兄貴が大活躍するんすよ! あれ、緑の眼の怪物を捻り潰すんす!」
「あー、まぁ白い恋人はいねぇから殺す心配はないだろうけどさ。しかし、俺ら下っ端じゃ結局、よく分かんねぇ話だし、陰謀があったら俺ら使い捨てられる側だから勘弁してほしいけどな、はふ」
一つ大きくあくびをして、ファスは額を叩く。
たわいなくひだまりの中で話していると、どうも眠くなって仕方なかった。傭兵としてはあるまじきことだし、陰謀がーなんて話をしている最中ではあるが、いや、そんな話を含めてのどかが過ぎる。
「おーい、兵隊さんやー、飯はいらんかねー、飯はー。果物もあるべよー。酒はどうだべー」
少なくとも篭を担いだ近くの竜人の農民が、城内に平気で売り子をしている声を聞いて、緊張を保つのは誰だって難しい。
「おう、マクさん。すまんがなんか買って来てくれ。手持ちのおやつだけじゃちっと小腹が空いてな。おごるからさ」
「いやいや、兄貴。ありゃうちの親戚だから、むしろオラにおごらせてくれ。あいつんところのもろこしは絶品だべからな」
「そうかい? なんか悪いな」
「なぁに、ご高名な城壁破りのご傭兵様とお知り合いになれたんだべし、良いものもみさせてもらったべ、気になさるな」
「なら、ここはマクさんの言葉に甘えるとするか」
そんなこんなでマクが買ってきた真っ黒なもろこしーー見た目はアレだが美味かったーーを食べつつだべりで、どれくらいたっただろうか。
知らず、気が抜けすぎたかうとうとしていたところを、
「お前! 私ともう一度、勝負しろ!」
刃物のような鋭い声が、ふわふわしていたファスの鼓膜を切り裂いた。
「っと! な、なんだ!」
「なんだ! じゃない! とっとと構えろ!」
ぎょっと顔をあげれば、輝く肌をした、ふわふわの髪が愛らしい天使のような顔。ただ、今は手負いの狼のように厳しく、その細くも鋭い柳眉を逆立てている。
昨日の少女だった。
そして、ファスの鼻先には、先日、猛威をふるったあのバカでかい大木刀。
「え、えーとその、あの」
「早くしなさい! もたもたするんじゃない!」
目をぱちくりして神族のご令嬢を見つめる。先日と同じ銀色の、簡素だが優美な文様が施された鎧姿で、背に羽織ったマントが、城壁上に吹く柔らかな風にたなびいていた。
「いや、構えろと言われましても、木剣もありませんし」
「腰の剣があるでしょう! それともそれは飾り!?」
「いや、これは真剣ですので……」
辺りを見回してみる。左側の胸壁の向こうは平原で、手前の方は青々とした垣根で、その先は柔らかい緑がずっと流れている。その鮮やかな緑の中にはポツポツと大岩のように大きな栗の実がーー実は栗の実型の木であり、その中をくり抜いた家にしてるそうなーー、標石のように並んでいる。そしてその中頃にあるのはスラリと糸を引く川で、辿っていけばそれなりに大きな港町、そこを超えれば当然、青、海がどこまでも広がっている。
右側は城の曲輪である。お城の様々な建物が並び、その屋根には先程、説明した木の実型の木の皮がペタペタと貼り付けられていて、まるでこげ茶の波のよう。その中心の、ぽっかり空いた広場には、今は人気がない。日中、兵士たちが仕事中だからだろうか。更にその奥には、キープという城の中心たる石造りの塔が、遠目でも蔦巻き苔生しながら、微妙に傾いて立っている。そこから先は、やっぱり海。海沿いの断崖に建てられたキープは、灯台の代わりもしているとか。
視線を前に戻せば先程の平原、奥は衝立のように、なだらかな山が世界をさえぎり、森、森、森。
と、長々と風景を観察したわけだが、とりあえずだべっていた城壁の上にいるままで、うたた寝している間に気づかず運ばれたわけではないらしい。他に分かるのは、そんな風景を見渡せるほどの、高所にいるままだということだ。
つまり、逃げ場はない。
飛び降りたら、当然、死ぬだろう。
「真剣だろうと構うもんですか! 私がギッタンギっタンにしてやる!」
「で、ですが、こんなところじゃ危ないですし」
「常在戦場でしょう! ここが何処だって問題ないわよ!」
通路も確認、細く伸びてるだけで、掃除も行き届き、それこそ小石一つない。いや、マクたちがいるのだが、今日もいい天気だと顔を仰いでいる。
端的に言えば、知らん顔だ。そもそも座って舟を漕いでいたファスに、彼女が来たことを教えてくれなかった時点で、アテにはできなかろう。
兄貴とか言って駄弁りあった仲だというのに。まぁファスでも同じ立場なら知らん顔しただろうが。
さて、こんな真っ直ぐな障害物のない通路で、少女をすり抜けるにせよ後ろに下がるにせよ、逃げるのは無理だろう。単純なかけっこで、平民の身体能力を上回る神族に勝てるわけがない。一応、脚力などを上乗せする手はファスにも何個かあるが、眼の前に突き出されているこんなクソでかい木刀を軽々ぶん回せる相手では、焼け石に水だろう。
ということは、だ。
「とにかく! 勝負ったら勝負なの! 誤魔化そうって言うなら、このままぶっ叩くぞ!」
「……ど、どうぞ」
素直に首を差し出してみた。
「っ! な、何のつもりよ!」
「や、さすがに貴族様へ、真剣を向けるわけにもいけませんし、どんな理由があっても、危ない目にあわせたら罰されますから」
だからどうぞ、とファスは気弱げな笑顔で首を差し出す。
これで彼女が自身の横暴を悟ってくれれば、と思うが、かなりビクビクしている。語った理由も本当で、抜く訳にはいかないし無防備な姿を晒している以上、彼女が引いてくれなければ、無抵抗で撃たれるしかない。
ただ、そんな弱い立場の者を平気で叩くのかと、相手を試すような方法を用いて怒りを買わずに済むかどうか。
最悪、ふざけるなと無礼討ちを引き起こし、逃げることもできないかもしれない。そう考えると、胸が鉛を流し込んで固めたかのように、ガチガチと重い。
「……」
彼女は目を見開いて黙っている。
その沈黙が、失敗を示唆させ、首筋からダラダラと冷たい汗が出てきてしまう。
あるいは、真剣の件や仕事中だからと、ちゃんと諭すのがよかったか。あるいは、体術ならいいとか後でとか言って逸らせばよかったか。あるいは、とりあえず了承したと見せかけて、一か八か走って逃げればよかったか、あるいは、あるいは、あるいは……。
「……ふん、興が冷めたわ」
ぐるぐると疑問を胸に渦巻かせていると、少女がやっと、小さな言葉を発してくれた。
ほっとする。
のは、早かった。
「……でも、気に入ったわ!」
「は?」
「あんたを私の騎士に任命するわ!」
鐘の音のような少女の高らかな宣言が、城壁上に響き渡り、ファスは、彼女の騎士となった。
らしい?