第四幕 その4
「あたぁ!?」
ガーンと石が砕けるほどの衝撃、というか実際にぶつかった石の台座が砕ける衝撃がユピテラの頭を襲う。
が、
「あいたたたた、もう!」
それでも頭は砕けるどころか気絶もしない自分に、ユピテラは感心してしまう。
未覚醒だった時ならあっさり死んでいたであろうから、色々とあったが覚醒してよかったと思う。
まぁ良かったとか思ってる場合ではないのだが。
「ふん! 予定通りだな!」
「あなた! っ!」
先程のシャレコウベと同じ、くぐもった声へ応じて動かそうとした手足には、灰色の触手が巻き付いていて、ユピテラの体を大の字に石の台座のようなものへ磔ている。
「この触手、花の悪魔のか!」
「ほう、ガキくせに、知ってたか。城伯の入れ知恵か? 500年前、ナーガ族の勇者によって封じられた悪魔、神代に作られた神の尖兵だってよ」
そう声は乱雑に吐き捨てる。似たような加工ではあるが、あまりに口調が違う。先ほどの慇懃無礼なのとは別人か? 少し野太い気もするし。とはいえ、声はぼやけた調子で男か女かも分からない。
「っ!」
「せっかく封印を解いたというのに、あっさり倒しやがって、また育て直しだ!」
ギリギリギリっと陶器質の触手がしまり、冷たい感触がユピテラの肌にめり込んでいく。耐えられないほどではないが、引きちぎるには少し手間かもしれない。
周りは暗闇ばかりで何も見えず何の音も聞こえ、いや少し呼吸音のような音が聞こえるか? それ以外にはしゃれこうべの耳障りなぼやけた声が聞こえるだけ。
「この落とし前はつけさせてもらうぞ!」
「は! あんな安っぽいものにご執心ね! まぁ品評会に出すつもりなら、ただ大きく育てたからって自慢すると野暮な蛮族だって笑われるわよ! ま、蛮族そのものみたいだし、そんなの気にしないのでしょうけど!」
「誰が蛮族だ!!!」
「っちょ!?」
カッとした高声とともに、一本の触手がユピテラの首に巻き付いてへし折らんばかりに締め付けてくる。
……ふむ、この明らかに血がのぼってる様子、その昔にファスがやってた挑発して当たりをつける、というのをやるチャンスでしょうか。怒らせて情報を引き出したり、行動を単純化させるというのは、一つの作戦だそうですし。
「ああ、蛮族っていう言葉は謝罪するわ! 蛮族なら勇敢さは持ち合わせているもの! あなたみたいな姿も見せられない名前も名乗らない卑怯で臆病なのは蛮族ではなく、きっと下賤で卑怯な魔族か羽ペン騎士の類でしょうから!」
「誰が羽ペン騎士か! 我ら大神より連なる」
ええっと、魔族には反応してないから普通に騎士なのでしょうか? 口喧嘩は慣れてきたが、やはりいきなりでは情報を引き出すのは難しいとユピテラは思う。
「やすい挑発に乗るのはやめてくださいよ」
怒鳴り声は強引に断ち切られ、先程、外で聞いた癪に障る落ち着いた調子の声が代わりに響く。
「あらあら! 平然としてるけど、あなたは大神への敬意ってやつがないのかしら!? せっかく名乗ろうとしてたのに。まぁあんな一目見るまでもなく分かる愚か者が信仰するような神じゃ、敬意なんて払う気も起こらないかもしれないけど!」
「やれやれ、口が悪いお嬢さまだ。ああ、彼女にはもう聞こえてないので、挑発する必要はないですよ」
「あんたになにか指示されるいわれはな、ぐぎぃ!」
首に巻き付いていた灰色の触手が喉を強引に押しつぶし、ユピテラの言葉を寸断する。
「ふふふふふふふ、お言葉には注意した方がよろしいですよ、ええ、ええ、あまり元気がよいと、こちらも昂ぶってしまいますのでね」
その言葉とともに、体に巻き付く触手が、骨を砕かんばかりに手足を締め上げてくる。平民、否、普通の貴族ならばそのままどうすることも出来ずに締め潰されていただろう。
「舐められた、ものね!」
だがユピテラは覚醒に至った神族だ。この程度の縛り、強引に引き千切って、
「おっと、忘れてました。これをご覧ください」
「っ!? 子ど、も!?」
小さなまだ五つになるかも分からぬ、ボロをまとった子ども。それがぐったりとした様子で、悪魔の蔦によってユピテラの眼前に吊るされた。
「村で、いなくなったって、いう!?」
「ええ、その通りでございます。そしてお優しいお嬢様なら、おわかりいただけますよね?」
別に優しくなくても分かる。人質だ。締め潰すにせよ叩き潰すにせよ、ユピテラが下手な抵抗をすればあの子どもは殺されるだろう。
……普通の貴族ならば、無視したであろう。どうせ平民だ。貴族、いわんや神族の危機と天秤にかけられる存在ではない。
だがユピテラは、もとより甘い性分であったし、加えて、
ーー怖い、よぉ
小さな手が記憶から伸びれば、そんな選択肢はありえない。
もっとも、だからといってなにか出来るということもなく、
「こん、のぉ! 三文芝居の、悪役みたいな、真似をぉ!」
「ええまったくその通りで。でも芝居と違って、現実では、こんな感じにね!」
「ぐ!」
触手は締め付けるだけでなく、車裂きにでもするようにユピテラの手足を無理やり引っ張っていく。細い手足は限界まで引き伸ばされ、体からチリチリっと嫌な音が聞こえてくる。
「くくくくく、いい姿ですねぇ。幼くも美しい少女が無残にも化け物に捉えられる姿、他の貴族と同じように子どもなぞ無視すればいいものを、その優しさ故に、実にいい!」
「クッソみたいな、趣味、ね! そういうのは、艶本の中だけに、しとき、なさい!」
「本の中だけでなく、現実で楽しむのもよいものですよ」
「ユピテラ様!!!」
聞き覚えのある声が響く。暗闇故に薄っすらと輪郭がわくのみだが、特徴的な羊の巻き角でそれが堅物のナディのものだとはすぐわかった。
「あそこか!? 今お助けを! くぬ!」
「おっと。いいところで邪魔が入るのは、それこそ三文芝居だけで十分ですよ」
近づこうとしたナディの前に、わらわらと花の悪魔の触手が立ちはだかる。
「さて、時間も押してますし、名残惜しいですが手早く済まさせていただきましょう」
その言葉とともに、目の前にいきなり剣が浮かんだ。
禍々しい紫の光をたたえた剣。その光は、ひと目見たユピテラが拘束された苦しみを一瞬忘れて見とれ、すくみ上がるほどの美しさと存在感を持つ。
そしてそれは、
「あの、時の、魔将の」
ファスを殺した、剣。
「おやご存知ですか。これは神代より伝わる大神の剣。これに切られたものは、かの神の使徒へその魂を捧げるとか。それでは」
そんなゆったりとした掛け声は、覚悟する暇も与えず、すっと白銀の鎧を貫きユピテラの胸へと剣を突き立てた。
「あれ? っ!?」
しかし生まれるべき痛みはなくて、首を傾げた瞬間、身体の力ががくりと抜けた。
「これ、この……」
剣が、ユピテラの魔力を吸っているのだ。そのことに気づいて何とか止めようと歯を食いしばったりするものの、スルスルと穴の空いた水風船よろしく抜けていく魔力を止めることは出来ない。
「しかし私は運がいい。あなたに使徒を倒された時は本当に頭を悩ませたものですが、こうして神族という生贄を手にして、いちいち余計な策謀を弄さずに済むのですから!」
そう勝ち誇るいけ好かない声に、ユピテラはまだ開けていた瞳を鋭くしたが、それもすぐに垂れ下がっていき、意識もまた闇へと沈んでーー