第四幕 その1
アイリス城伯領は、水気が多いところである。
小高い丘の上にあるお城や整備された港町周辺を離れると、柔らかい湿地に沼地や小さな池がぽんぽんっと広がっている。そしてその池には、時々大きな芋が青い葉に包まれ、黄色い皮を光らせながらプカプカと並んで浮いていたりする。
水浮き芋と言うそうで、アイリス城伯領含むこの五竜伯領では主食として親しまれているものだ。分厚く硬い皮に覆われ中身も木の幹のように硬いが、腐りにくくて何日でも保つのだとか。
そんな水浮き芋が、池や沼、そして人工池にみっちり植えられている様は、さながら水の畑と言った塩梅で、その中をちょいちょいと小さな木橋が架かっている。
「それで、特に何か化け物とかそういうのは見てないわけね!」
「へえ。ご領主様にお触れいただいて、おらたちもちょこちょこ見回って見ましたが、まあ変な奴らが出たということもなく」
「……何か事件とかそういうのもないわけ!?」
そしてその年季が入った木橋は、灰色の枯木色で苔に包まれで見るからに古色蒼然ボロい。そして、ユピテラが乱雑に踏みしめるのは無論、鼓に合わせて行進させてる兵士たちの足並みにすら、べきべきめしめし鳴るもんだがから、率直に言って怖い。
まぁ案内の村人いわく、木橋は作りが甘いだけで見た目以上に強度があり、万一崩れても池はそんなに深くないそうだが。加えて兵士たちも地元民として泳げるみたいなので大丈夫だろう。
さて、そんな木橋を歩きながら、兵士を引き連れたユピテラは、村人から事件や異常がないか色々と聞いていたわけであるが、
「え、えーと、そうだべですなぁ、見回りに行って目ぇ離してたら、グーグーとベーベーが喧嘩しちまってて大慌てだったんだべだが、次の日には元のように仲良しになってだべなぁ。あの喧嘩はなんだったんだと……」
「やっぱりくっそ平和じゃないのよ!」
ポーンっとなる鼓に合わせてざっざっざっざと揃った足音を、ユピテラの遠吠えが切り裂けば、もう慣れてきた兵士たちはともかく、案内してくれていた村人はひぅっと息を飲む。 村人がビビって逃げ出しかねないから落ち着いて欲しい。
「落ち着いてるわよ! 落ち着いてるから! ああもうあああもう!」
「あ、ええっと、な、何か失礼あっただべですかね」
「いや、そんなことはねぇよ。ちょっと団長は功名心はやってるんだ」
「へぇ、功名。やっぱり悪魔が出たっていうお話で?」
「そうなのよ! なんとか解決の糸口を見つけたかったのだけど平和で! くぅ! 体よく事件から遠ざけられ気分よ!」
気分じゃなくて実際そうなのは明らかだが、直接指摘すれば余計な八つ当たりが始まるかもなので、ファスはまぁまぁ城伯様にもお考えあるんですよ、とテキトーに宥めておくだけにする。
さて、今、何をやってるかというと、アイリス城伯領の巡察である。
先日、ベルゼを騎士にしてから数日経ってる。
その間にユピテラが、悪魔の調査はどうなってるの! 私にも参加させなさい! と城伯に延々と絡み続け、ついぞ根負けしたらしい城伯が、なればと提示したのが領内の巡察だ。
『悪魔が現れるような兆候に気づかないとは、恥ずかしながら私の領内の検見が不十分であった証。つきましてはユピテラ様に是非、村々を巡ってお調べいただきたく……』
などと城伯は言っていたが、恐らく事前に調べておいた安全な場所へとユピテラを送りつけたのだろう。
とりあえず村や通りで出会った村人に聞き取りをしたが、お触れが出たから調べたが特に問題はなかった、問題があっても家畜だの子供だのの喧嘩くらい、だそうで。
「城伯めぇ! せっかく助けてあげようと思ったのに! 子供扱いしてぇ!」
「まぁまぁ、ユピテラ様は大事なお方ですからね。何かあったら城伯や俺らは首をかけないといけなくなりますし」
ファスの言葉にもプーと頬を膨らませたままのユピテラに、さてはて何となだめようかと頭をかいていたら、トマスが引き継いでくれて、
「そうですよ。それに悪魔と戦った件で、ジラス伯に警備の不十分さを突かれてるみたいですし」
「なにそれ!? ていうかジラス伯って誰よ!」
「アイリス城伯の隣の伯爵ですね。元々は城伯の、正確には五竜爵の主筋なのですが」
「あれっす、もう主でもなんでもねぇのに偉そうでいけ好かない奴らですよ」「主筋だなんてとんでもねぇ、勝手に名乗ってるだけでさぁ」「むしろこっちが世話してやってるくらいっすよ」「貧乏伯爵のくせに住民も気位だけは高くてなぁ」「先日も行商に来た奴が平気な顔して母ちゃんにゴミ掴ませやがってな」「郎等の奴らも威張り散らしやがってよぉ」
「ちょっとストップ、落ち着け」
なんか色々と鬱憤が溜まってるのか、巣の中の雛鳥の群れよろしく、トマスに割り込んで兵士たちが一斉にぴーちくぱーちくしだした。
「あーうん、まぁ色々とあるわよね、世の中!」
あまりの兵士たちの剣幕にユピテラすらも引き気味。とりあえず、それで毒気も抜けたようだし、ナイスだお前ら。そう心の中だけで礼を言いつつ、
「ま、いろんな因縁があるってこってすな。ところで全員、足並み乱れてるからしっかり合わせろ。ジィーも鼓を止めずに打ち続けてくれ」
「あれ、すんませんっす」
ファスの指示を受けて、肩から吊るした小さな腰鼓をジィーがバチで叩けば、うーすと声を合わせてがっこんがっこんベキベキベキと、兵士たちは足を揃え木橋鳴らして再び行軍する。
「こうして鼓に合わせてぴっちりそろえてると、すごい兵士みたいね! でもこういうのって意味あるのかしら!?」
「陣形魔法で必要なんですよ。本来は身振りやら掛け声やら笛やら歌やらも合わせて、なんだっけえな、意識を同調させていくって感じそうで」
そうして意識を同調させることで、更に魔力を同調させて集めて行うのが陣形魔法。本来は火種を起こすだけでも一苦労なほどに魔力が低い平民が、実用的に魔法を使うための手段だ。
「なるほどねぇ! でも、あんまり一般的じゃないわよね! 皆知らなかったし! 何故かしら!?」
「使うなら結構な訓練が必要ですし、陣形魔法を使えるやつ以外にも、他の魔法を使える人員なり、このシグナムみたいな集中用の魔法具なり、色々と必要ですからねぇ。それなら騎士一人雇った方が安上がりって話ですよ」
しかもその騎士一人に兵士たちは薙ぎ払われたりするのだ。ちょうど、ペルゼたちが悪魔に全滅させられたように、とは本人や兵士たちの前で言うのはまずいか。
「魔法具で、固めた、私達、も、苦もなく、やられました、し、ね。数の、ため、に、見込み、の、ある郎等、を、鍛え、ます、が、それだけ、でも、大変、ですし、戦場、の、主役、は、やはり、騎士、様、です」
などと考えていたら、ベルゼは特に屈託もなく語る。
「そんなもんかしらねぇ! あ、でもベルゼ! あんたも私の騎士なんだからね! 他人事みたいに語っちゃダメよ!」
「えっと、はい、まぁ、がんばり、ます」
「まぁってもう! そこは最強無敵の騎士になるくらい言いなさいな!」
何だそのアホな形容はと思ったが、ベルゼが曖昧に笑ってるのでファスも曖昧に笑っておくことにする。
さて、騎士にしたということで、魔族のベルゼもまた、ファスたちについてきている。まだ怪我が治ってなく包帯まきまきで腕も吊るしたままだが、痛みなどはひいたらしく、冷たい銀髪に相応しい整ったクールな顔を、ぽやっとさせて歩いている。
ファスの前例、というか後ろで見てたからか、ベルゼを騎士にしたことに対してナディも特に文句を言わず、アイリス城伯も困った顔をしていたが、聞き取りは他の助けた者でも出来るということで、認められた。
「しっかしもっとすごい力とかあるのかと思ったけど、怪我の治りも遅いから魔力も低いっぽいし、平民と変わらないのね、あなた!」
「魔族、といっても、人族との、混血、ですし。他の、種族、よりは、魔力は、高いみたい、ですが、貴族様、特に、神族様と、比べると、やはり、難しい、です」
ベルゼは途切れ途切れに考えながら、のんびりと答える。騎士になったとはいえ、差別なのか意味不明な理由で斬られそうになったのに、特にわだかまりはなさそうである。
あるいは理不尽に慣れてる、ということなのだろうか?
「なら魔族は覚醒とかはしないの!? 神族みたいに! 自分で知らない力があるとか!? 私は死にかけた時に色々とあって目覚めたけど、あんたはどうなの!? 何か心が震えるものがあったりしない!?」
「ええっと……」
「覚醒ってのはなんっすかね」
とりあえずそろそろ助け舟をと、ファスは質問を割り込ませる。
「覚醒っていうのはあれよ! 神族の力が目覚めるってやつよ! 覚醒してない神族は下手すると平民と同じくらいの力しかないわ!」
「ああ、以前にも教えてもらいましたね、覚醒して強くなるって。戦場で遭う方はどいつもバケモンっすから、なかなか想像できんすが。マクは知ってたか?」
「いやぁ、神族様にお会いすんのはユピテラ様が初めてだべからなぁ」
「神族様は、帝国全土でもそんなに数がいないからね。加えて純血の神族様同士のお子でも、証たる角を受け継いでなかったりするし、覚醒まで至ってる方となると、だね」
そんなもんなのかねぇとトマスの説明に感心しつつ、ふと目に入った。
誰かと言われればフィルレ、ベルゼが拾ったという浮浪児少女で、今はユピテラの従士。
彼女と初めてあった時には、燃え尽きた木炭のような灰被りだったが、今は磨かれ灰色だった鱗は琥珀のようにしっとりと輝いている。服もツギハギだらけの古着から、ちょっと大きめだが小綺麗なものに。ユピテラ用の荷物が入った背嚢を背負い巾着などを腰にちょこちょこと着けた様は、さながら職人作りたてのお人形、どこから見ても貴族の見習い従士である。
まぁ当人は服を汚さないのに必死なのか、やたらおっかなびっくり歩いて大変そうだが。
(浮浪児からいきなり従士だからなぁ。しかし汚れを気にする神経があるってことは、そこそこ育ちがいいのかもな)
だがそうなると、と考えたところで目があったので、よ、と手をあげてみれば、フィルレはぴぃ!と鳴いて目をそらした。
何だその反応。
「あらファス! 嫌われたわね! だけどそんなムッとしちゃだめよ! ただでさえ無骨な傭兵って感じで怖いんだから!」
「感じっていうかそのものなんすけどね」
とはいえユピテラに言われるまでもなく、まだ付き合いも浅い子供の反応にカリカリしてはいけないのは確かだ。そもそもフィルレが斬られそうになった時に日和ってたわけだし、隔意を示されても当然と言えるだろうか?
「まぁそんなに真面目顔にならんでもよかだべよ。子供が人見知りするのはよくあることだべですし」
「でもあれ、ベルゼ様以外はあんま慣れてくんないのはあれ、気になるっすね」
「そうね! 私を怖がるのは仕方ないとして! あまりあんたたちと馴染めないのは困るわね! あるいは怖い私に慣れたらいいのかしら!? 例えば!」
と何を思ったかユピテラはマクとジィーの間を通ってフィルレの前に立ち、ヒョイッと顔を合わせたと思ったが、
「こんな感じで! べろべろばー!」
そう赤ん坊をあやすがごとく、変顔をした。
「……あう」
美少女台無しな顔を受けたフィルレ、キョロキョロしてベルゼとなぜかはファスを見比べる。ベルゼはともかく、なんでこっち見るんだっての。
「……これは失敗のようね! 面白顔なら大丈夫だと思ったんだけど!」
「どの辺りに大丈夫な要素あったんすか」
「怖いってやっぱり見た目から来そうなものじゃない! それが威厳台無しな顔すれば、少なくとも恐怖はなくなるはずよ! ほにゃらげらぴー!」
「いや、あまりアホな真似はやめてくださいよ、マジで。それにフィルレのヤツ、顔が真っ青じゃないっすか」
「ま、真っ青じゃない、です」
ファスの指摘にフィルレは健気に首をふるふるするが、見た目分かりやすく血の気がひいてる。
「誰がアホよ! でも、浅知恵だったのは確かね! 悪かったわねフィルレ!」
「あ、いえ、その、謝るのは、わ、私で」
「なんでよ! 突っ走った私が悪かったでしょうに! 謝罪くらいはさせなさいな!」
「まぁまぁがなりなさんな。フィルレがますますビビってますから」
「その通りだけどさ! なんかペコペコされるといらっとするのよね!」
「んな理不尽な」
「私もそう思う! 気をつけるわ! しかしみんなに馴染ませるってのも難しいわね! あんたたち! なにかいいアイディアないかしら!」
むんっと何故か胸を張ったユピテラが兵士たちへ呼びかければ、
「そうっすねー」「やっぱりお菓子とかあげるとかだべか?」「ガキじゃあるまいし、いやガキだから良いのか?」「あ、俺、兄貴みたいな鎧欲しいっす」「お前のことは言ってねぇって」「あれ、やっぱりあれ、宴とかじゃないっすかね。あれ、歓迎会みたいな」「歓迎会かぁ。準備どうしよう」「せっかくだから派手に行くっしょこれは!?」
とざわざわと相談しだすのであるが、
「あ、う、あ、そ、そんな必要なくて、あう……」
そのまま泡を吹きそうなくらいに口をパクパクさせるフィルレ。まぁ本人の前でやるのはいかんよな。
ぱんぱんっとファスは手を打つ。
「はいはい、そういう話は後にしましょう後に。一応、訓練もかねてますからな、また歩調が乱れてますし」
「ん! それもそうね! まぁなんか仲良くなるいい手があったら、私に教えなさい! 褒美もなにか考えておくわ!」
あれ、はいっすだのうぃーすだのわかったべーだの、口々に返事をする。なんであれ、亀にでもなりそうなくらい縮こまってる、当のフィルレをちゃんと見てから考えてほしいもんであるが。
(しかし、どうも嫌悪とか恐怖じゃねぇんだよな)
遠慮、とでもいうべきか。何かと申し訳無さそうな態度なのである。浮浪児だったことも鑑みれば、他人からマトモな扱いを受けてなかったから、とか?
ふと見れば、ファスと同じような困った顔をしたベルゼと目があい、軽く頭を下げられた。
いや下げられても何もわからないんだがなと、そうファスは肩をすくめるしかない。