序幕
「うわぁぁぁああん!」
人が水平に飛んできた。
どういう意味かと問われても、そのままの意味としか言いようがない。
まるで弓から放たれた矢のように、人が、一直線に吹っ飛んできたのである。
自分も先程、同じように投げられた後なのだが、やはり信じられない光景だ。
「ちょ、ま、待ってくださいよ! 悪かった! 悪かったですから!」
逃げ回りながら謝まるファスだが、まるで雨あられのように人間は投擲され続ける。
「うるひゃいうるひゃい! ひっく! とっへもいはたったむひゃから!」
投げられた同僚が、壁にぶち当たってゴシャガキドカと大音を鳴らし、そのまま地面に伏してうめき声もあげなかった。
木製の鎧兜を付けた兵士とはいえ、アレでは無傷では済んでなかろうが、今のファスには手当どころか無事を祈ることもできない。
少女をなだめようと近づいたものは、腕を捕まれて投げつけられ、何だ何だと近づいてきたものも足を捕まれて投げつけられ、逃げ遅れたものは首を捕まれて投げつけられ、倒れ伏すものも再び胴を捕まれて投げつけられる。
ファスへ向けて。
(くそぉ何かもう笑えてくるな!)
思わず片頬を持ちあげると、ピュッと飛んできた兵士がかすめ、後ろにいた不幸な同僚にぶち当たり、一緒にクルクルと宙を舞う。やれやれ、温かい季節とは言え、背筋をヒヤッとさせる納涼にはまだ早いんだぞ。
しかし嘘みたいな情景である。人がぬいぐるみのように空を舞うのもそうだが、その中心にいるのが、見目麗しい年端の行かぬ少女、軽い滑稽本にでもありそうな状況だ。
ただし、本の登場人物と違って、ホントに命がかかっている。
人というものは、重く固いからだ。それがしかも、木の鎧兜で身を包んでいる。その有様は、牛が角を向けて飛んできていると同じである。
無論、ファスもまた傭兵として、傷だらけだが一応ちゃんとした胸甲やらに厚手の服、頭に後頭部まで覆うお椀のような兜と、がちがち実戦用の装備だ。しかし、一定以上の打撃を受ければ鎧兜は大丈夫でも、中身の肉体が持たないというのは、メイスなどが広く使われていることからも明らかで、そんな説明を弄さずとも、死屍累々たる周りの兵士たちを見れば分かる話だ。
「っ!」
突如、左足をぐっと引っ張られた。思わずたたらを踏んで下を見れば、同僚のトマスが、膝に地獄の亡者が如く取りすがっていた。
「て、てめぇトマス! 放せこの野郎!」
「ご、ごめん! でも君が倒されれば済むんだか、きゃう!」
「クソが! 誰がやられてなるもんかってぇの!」
その女面を容赦なく蹴り飛ばして再び走りだそうとするが、足首に巻き付いた腕は外れない。
(こんな時に限ってぇ! 頑張ってんじゃ、がっ!)
内心の悪態は、ゴッという衝撃に中断された。首が、巨人にでも引っ張られたようにぎゅっと伸び、視界は真っ白。
「ばかばかばかばか!」
少女の叫びが、急に遠くに響きだす。食らったファス本人は、衝撃で脳が揺れてしまい何が起こったのか分からなかったが、事実としては単純な話だ。
人が頭に当たった。
「死んじゃえ! 死んじゃえ!」
倒れて既に意識が朦朧としているところへ、容赦なく人が降り注ぐ。
(まったく、どうしてこんなことに)
徐々に降り積もっていく人山に圧迫されながら、ファスは薄れる意識の中で、さっき起きたことを思い出していた。
貴族、特に世界を創り上げたと創地の五神より連なる神族は、平民である人族と、絶対的な差がある。
それは、身分だけでなく、能力においてもそうだ。否、能力が隔絶するからこそ、絶対的な身分差が生まれたというべきか。
魔法の大本である神威と呼ばれる摩訶不思議な術を操ることも勿論だが、身体能力においてさえ、神族は平民より圧倒的に優れている。加えてその高い魔力で力をブーストすれば、山のような大岩を小石のように持ち上げ、天を突く大木を小枝のようにへし折り投げ捨て、平民の兵士千人を神族一騎でなぎ倒せる。そんなことはファスも身に染みて分かっていた。
しかし、それでも信じがたい光景だった。
時間は冒頭より少し前、昼過ぎの事である。
一人目で、唖然とし、
二人目で、現実と認め、
三人目で、恐怖となった。
「次! 早く出て来なさい!」
少女の甲高い声が、古い木の城壁を揺らし、訓練場となっている狭い曲輪の一角にワンワンとこだまする。
その大音声に、多くの兵士たちは、固唾を飲むことしかできず、順番がまわって来た兵士も、恐る恐る向かい合うのがやっとだった。
「でぇい!」
そして気合一閃、鋭く踏み込んだ少女の大剣が首を打ち、一瞬にして四人抜き。
「な、なんだよあれ……」
そうつぶやいたのは、自身の声か周りの声か、ファスには判然としなかった。丈の低い雑草の、合間に隠れていた小石が太ももに当たり、少し痛い。
見た目は、華奢な少女である。透き通るような肌に、小枝のように細い腕、体も若木のようにほっそりとして、背も平均並みのファスの胸程度しかない。
その未熟で小さな体と、端正だが幼い顔立ちから、一応成人してまだ数年のファスよりなお、7、8歳は低いであろうか。
美しくはあるが、頭に生える小さな角以外、人族の子どもとそう変わらない見た目だ。
なのに平民とは言え、大人の兵士たちを彼女は撃ち倒し続けているのである。
それも全て一撃で。前述の通り、神族というか貴族全般は、平民より高い身体能力を持つが、それはあくまで大人の場合である。しかも見たところ、神族特有の高い魔力を使っての身体強化もなし。それなら精々、あんな小さな子どもなら平民と変わらないか少し強い程度の力しかなく、大人の兵士を圧倒できたりはしない。
はずなのだが、
「とりゃぁ!」
「な、が!」
鱗におおわれた、トカゲのような頭の大男が倒れる。この地方一帯に住む竜人、ナーガ族だ。普通の人族より5割増しは大きい上背と横幅を使い、剣を受け止めて体格勝負に持ちこもうとしたのだが、半分以下の背丈の彼女の一撃を受けて、そのまま押し切られた。
五人目。
(信じらんねぇ……)
いきなり鎧兜をつけての訓練中に現れて、私と勝負しろ! などと叫ばれた時には、この角が生えた神族のお嬢さまと思わしき少女にどう無事、お帰り頂くか、悩んだものなのだが。
ご覧の有様である。
少女の得物は、肉厚な片刃の木刀。長さも小さな少女を越える程だが、何より幅に至っては彼女が隠れてしまうほどで、厚みも拳一つはある。
そんな大きなドアに柄を付けたような、馬鹿馬鹿しくも無骨な得物とは裏腹に、着込む鎧は、名筆で書かれたような流麗な模様が施された、光輝く優美な代物。
その下からのぞく服の袖には、きらびやかな金糸の刺繍が見え、彼女のかわいらしい見た目も合わせて、まるでお姫さまが胸に抱くお人形だ。
芝居じみていると思う。
銀細工のような瀟洒な鎧をまとい、ありえない長大な大剣を担ぎ、兵士を草みたいに薙ぐ、妖精のような少女の存在が。
だが、現実だ。
「ぎゃ!」
「甘い!」
六人目。先手を打って斬りかかろうとしたのだが、逆に踏みこまれて胴を打たれた。
既に兵士たちは、何とか面子を保とうと本気で挑みかかっていて、それなりに戦歴を積んだベテランまでも工夫を凝らして彼女に一太刀浴びせんとしているが、
また一撃、
また一撃、
また一撃、
そして、また一撃、
ファスは、瞠目してそれを見る。
「ユピテラさまはお強いって聞いてたけど、あれほどなんて……、ど、どうしよう、ファス、ファス?」
「……」
同僚のトマスの言葉にも気付かず、ファスはその剣を、考え続ける。
捨て身の剣である。倒れこむようなその歩法は、守りも何もなく、一心不乱に相手へと迫って叩き斬ることしか考えてない。
危ういが、危うい故に鋭い。その伸びと速さ故に、相対した者は、恐らく彼女が、いきなり大きくなるように見えるであろう。
また、その剣も独特である。構え自体は、両手で持った大太刀を肩に載せた、八相の構えである。そして普通ならば、肩を中心に円を描いて振り下ろすはずだ。
しかし、彼女は剣を直線で放つ。
もちろん、それは斬撃である限り、例えである。しかし、肩ではなく剣を中心として、その重心を上下させず押し出すように斬りつけるその技は、突きに近い。
故に、普通に斬りつけるよりも鋭い。普通の円を描く斬撃では、遠心力に振られるため、軌道が大きくなり、また武器の重さに速さが殺されて緩さが出てしまうのだ。
そしてそれは、刹那を計る戦技において、看過できない隙となる。神族の腕力があるとはいえ、少女の細腕なら尚更だ。
だからこそ、独自の剣を、自身の力で作り上げたのであろう。
それでも尚、足りないが故に、捨て身の剣を選んだのだろう。
また、一撃。今度の輩は初めから逃げの手を打つことで、空振りを狙ったが、しかし彼女の瞬間に迫るような剣撃から、逃れられなかった。
その淀みのない、美しさすら感じさせる軌道と速度。
それは、神族、否、貴族特有の魔術や力任せではなく、ありきたりな体術の工夫の上にある動きだ。
故にファスは、見惚れるしかない。
しかし、所詮は捨て身の剣だ。
そうファスが思い至った時、少女は十二人目をやはり一撃で打ち倒した。
「どうしたの! もうおしまい!?」
そう宣する少女の目は、青空の太陽より輝き、浮かんだ笑みも邪気なく素直。
だが、今この場にいる兵士たちには、獲物をなめずりする熊のようにしか見えない。
「情けないわよ! せっかく城伯が雇ってくれたんだから、もっとしゃきっとしなさい!」
そのため、稚気に満ちた声にもただ身を震わせ、目をつけられないよう、皆そろって顔を伏せることしかできなかった。
「よし! あんたは大丈夫そうね! こい!」
そして唯一の例外がファスであったが故に、そのピンッと伸ばされた少女の剣先は、彼へと向けられたのである。
「……え?」
ボーとしていただけのファスは、まさかまさかと疑い、思わず左右を確認してしまう。
周りは顔を閉じこもる貝のように伏せている。隣のトマスが、憐れみのこもった上目づかいと共に、肘をちょいちょいと当ててきた。
恐る恐る自身を指差すと、少女は軽く頷いて、
「あんたよあんた! 早くしなさい!」
「いやいや、えーと実はちょっとなんですかね、えーと……」
「何をぼけっとしているの! とっととなさい!」
「は、はい!」
キンキンと鐘でも叩いたような甲高い声に、ファスは慌てて立ち上がった。
が、頭の中は真っ白である。まさか自分に、という言葉が反響する。視界には、地面に転がされたまま呻く十一人が広がり、思わず生唾を飲む。
そして、不安になる。はたして思いついた企図が、本当に彼女に通じるのかどうか、そもそもやっていいものかどうか。
それでもセコセコと小走りに、他の兵士たちの間を抜け、剣の間合いより数歩、手前に立ち、少女と向かい合った。
「ようし! 勝負!」
嬉しそうにその長大な剣を肩に乗せた少女は、やはり、美しい。
ふわふわとした髪に整った顔立ち、特に瞳は宝石のように美しく、そのきらめきは圧倒的と言っていい。つやつやとした肌も絹のように柔らかで、今はやや赤みをおびて汗でぬれ、幼いながらも艶かしい。頭に映える小さな二本の角もまた、大理石で作ったように染みもなく滑らかだ。
体格は大人と比べれば、まだ大分低く細く、成長途上といった塩梅。しかし、すらりと伸びた背筋や、ピンッと整いつつも余裕を感じさせる一挙一動からは、高い鍛錬と清廉さと、美しい獣のような躍動感を覚えさせる。
強さと美しさを備えた華やかさ。人を見惚れさせ、その心を揺り動かす快活さ。こんな状況だというのに、胸に吹き抜けるような清々しさを覚え、ファスは思わず苦笑する。
(ーーたと一緒に!)
ーー何か見覚えが、いや気のせいか?
「どうしたのよ! さっさと構えなさい!」
「え、あ、はい! よよろしくおねがいします!」
腹から響く大音声に妙な心地よさを覚えつつ、どもりながら軽く頭をさげつつ、大きく息を吐く。
若干ながらも、体の固さは取れた。半身になり右手で剣を中段に突き出し、後は覚悟を決めるだけだ。
しかし、やはり迷う。本当にやっていいのか、本当に上手くいくものなのか?
決められない。決めきれな、
「よし! いく、っ!」
黄色い声と共に一歩、踏み込もうとした彼女へ、左腕は投石機としてするりと走った。
かんっと音のない音が鳴り、少女の頭が軽く仰け反る。
投擲、投げたのは親指ほどの小さな小石だ。そのため額にこそ当たったが当然、ダメージはほぼなく、ほんの少し動きを止められた程度である。
それでいい。
その隙が、少なくとも彼女には一番、致命的なはずだ。
「くっ! あんた!」
そのまま突っ込むファスに一瞬の棒立ちから覚めた少女は、罵声と共にすぐさま迎撃せんと剣を振り上げる。
ファスは、驚愕した。
石を投げて先手を取る、大したことのない策だが、ファスなりに考えての事だ。
十一人、全て一撃。そんな無茶を成し遂げた彼女の剣自体を、どうこうする手はファスも思いつかない。
ならば封じてしまえばいい。
少なくとも踏みこみを封じるのは簡単だ。今やったように、相手が踏み出す直前に、攻撃すればいいのである。要は牽制、或いは拳闘のジャブだ。出鼻を挫いて踏み込ませなければ、速いもクソもない。
捨て身の剣は、一瞬でも守りを強いられれば脆いものだ。
そう考え、石を放った。
だが、否、意図した通り少女は、初めて先手を打たれて足が止まり、鋭い踏み込みを剣には乗せられなかった。
しかし、それでも彼女の方が疾い。
少女の剣先の起こりから、ファスはそれを理解した。剣を素早く切り落とす、ということに関して、技術、膂力共に彼女はファスを上回っている!
さすが神族と言うべきか。それとも、少女の鍛錬の成果を賞賛すべきか。もちろん、今までより緩い斬撃ではあるが、しかしまだ、覆せない差がある。
つまり、このままでは、斬られる。
ならば、どうする?
「っ!」
意思はなかった。体が勝手に選択した。
全身は一息に沈みこみ、前へと流れて軽くなる。
頭だけが出遅れて、無理やり引っ張られていく感触。
足は重さを失い、むずがゆい浮遊感に包まれた。
「な!」
鋭く突きだした木剣が、ゆっくりと、瞳の中を伸びていく。
刹那の中のはずなのに、眼の前の少女の姿が、小さな傷の一つまで鮮やかに映る。
まるで時が、無限に延びきったかのような感覚。
それに、頭はただただ驚き戸惑っていたが、
「あぐっ!」
それでも確かな手ごたえを、剣から感じた。
「……お、おおおおお!」
僅かな沈黙の後、一斉に大歓声が上がった。
「す、すごい! すごいよファス!」
「あの化け物娘から一本取るなんて、何て奴だ!」
「ガキだと思ってたが、さすが歴戦の傭兵って奴か!」
頭から飛び込びこんでの、捨て身の突きだった。自らを投槍としたそれは、見事、少女の胸を打ち抜いたのだ。
「は、は、ふぅー」
ふと気付くと、ファスは、片膝を地面につき、剣を前に構えている。知らずに受身を取っていたらしい。
右手はまだ痺れるようで、左手は受身の際、多少こすれたらしくピリピリしてきた。
そして目の前には、少女が胸を押さえて倒れている。
「あ!」
思わず、声をあげてしまう。かっかと熱を帯びていた体にも、さっと寒気が走る。
やっちまった。
「だ、大丈夫ですか!」
「ごほ、がほ、ごほ」
うろたえながら、ファスは咳き込む少女へ駆け寄る。その姿に、騒いでいた皆も水を打ったように静かになる。
彼女から仕掛けてきた話とはいえ、貴族で神族の娘さんである。そんな方に暴力を振るい、万が一それで傷が残りでもしたら、どうなることか。
最悪、打ち首獄門である。
「はぁ、はぁ、う」
「ど、何処か痛いところは! 胸とか大丈夫っすか!」
声をかけると、少女は倒れたまま、顔をしかめつつも上げてくる。
「う、うう……」
「ととにかくえーと、落ち着いて! い、今、医者か誰かを呼びますから」
慌てて立ち上がろうとしたファスの手首を、少女は何故かがっしりと掴んだ。
「え、えっとその、どうしました?」
「うわぁぁぁぁぁぁん!」
そして、最初に戻る。