第二幕 その9
「許しませんから」
ファスの視界が再び開けた時にまず聞こえたのは、ユピテラの濡れた声だった。
淡く赤色になった瞳がこちらをじっと見つめている。
「何回目ですか、あなたに泣かされるの」
「……3回め、ですかね?」
「そういうこといってるんじゃありません!」
そういうことってどういうことだ? とは問うまい。
「申し訳ない。ですが」
「傭兵なんてそんなもんです、でしょう! 何度も何度も聞き飽き、聞き飽きたわ!」
いやまぁ実際そう言おうとしたけど、まだ彼女には言ったことないはずだが。
「っ! どうでもいいわよ! もうっ!」
「なにユピテラ様を怒らせてるのさ」
ユピテラが頬を膨らませてぷいっと横を向いてしまったのに頬をかいていると、トマスが割り込んできた。
「ちょっと気が回らなくてな」
意識がはっきりしてくると、でっぶりとした栗形の木の幹に寄りかからせられているらしい。少し先に、悪魔の光線で出来たむき出しの大地があり、積みあげられた悪魔による死体から、まだ血がだらりと固まりきらずにテカっているため、倒れてからそんなに時間は経っていないか。
「この世の終わりみたいにお泣きになられてたんだよ、ユピテラ様。ちゃんと優しくしてあげないと」
「べ、別に泣いてないし怒ってもない! もう! 力を使いすぎてお腹が空いてイライラしてるの!」
そうぶーたれた瞬間にユピテラのお腹が太鼓を叩いたような大きな音でグーとなったので、思わずファスは苦笑を、あいた、頬をつねるのは止めて万力クラスに痛いし。
「ならなにか! なにかすぐよこしなさい! この際、口に入ればなんでもいいわ!」
「んー、すぐって言うなら、はちみつとかでも良いですかね? 腹には溜まりませんが」
「はちみつ! 良いもの持ってるじゃない! 早く出しなさい早く!」
身体をゆすりなさんな、気持ち悪いから吐きそうになる。まぁ丸い宝石のような瞳が一瞬で輝く様は面白かったが。
とりあえず、ファスは自分の背嚢を漁るべく立ち上がろうとしたら、ぐらついてたたらを踏んだ。
「だ、大丈夫? すごい血が出てたし無理しないほうが」
「ああ、別に再生の刻印で、時間が経てば治るから大丈夫だよ。ユピテラ様とおんなじで力使いすぎたってだけで」
「私はふらついたりしないわよ! 立つのも大変ならそこで寝てなさい! 自分で探すから! ファスは何か必要なものないの!?」
「あー、じゃあまぁ強壮剤ください。背嚢下の薬箱に入ってる緑の瓶です。はちみつも一緒にありますよ」
分かったわ! と元気よく答えたユピテラは、ぴょんっとファスの背嚢へ一足に飛んで漁りだす。その特に疲れを感じさせない様は、確かにファスと比較するのもおこがましいか。
「まったく大したもんだよ。ところで、今、どんな状況だ?」
「ええっと、とりあえず他に敵はいなくて、なんとか生きてる人を探して手当してるけど、だいたいは傷が深すぎて無理そうかな。治癒の軟膏とかもあったけど、焼け石に水だね」
「……そう、帝都の件があったとはいえ、もっと早く助けられればよかったわね」
ファスの背嚢から目当てのものを探しだし、あったわよ! とルンルンして強壮剤を手渡してくれたユピテラが、即座にしょぼんとして悔いてしまった。
ファスはそれを受け取りながら、手足を軽く動かして状態を確認しつつ、
「そこは望み過ぎというもんですよ。結果的に無事、倒せたとはいえ、どの程度の脅威かも分からない相手だったわけですし、なあトマス?」
「そ、そうですよ! それに他に助かった人は何人かいますし! ユピテラ様のお陰ですよ! ただ……」
「ただ?」
ええっと、その、というお決まりなためらいを挟みつつ、トマスは恐る恐ると
「一部が魔族なんですよね、助かった人たち」
魔族、ユラシア大陸にいる様々な種族の一つで、そのルーツは太古の昔、創地の五神と戦った邪神が、人を模して作った眷属と言われる。額に高い魔力を持つ宝石を生やした彼らは、様々な怪物を操り、五神から祝福を受けた人々の怨敵であった。
あった、というのは長い時を経て、既に人々に溶け込み普通に生活しているものがほとんどだからだ。しかし、邪神への忠誠やその荒々しい本性を忘れないものもいて、上は国家転覆の大陰謀から下は畑荒らしまで、様々な悪事を引き起こしたりする。
特にノマン帝国は、魔族の国であるハルハロサと隣接してるため、略奪や征服戦争などで攻撃を受けることが多い。近年では、邪教徒であった先帝ティウラ・アマツ・ユラシアが、ハルハロサ王ニュユエの協力の下、その即位式で集めた客を虐殺して邪神復活を企み、帝国を二分する大動乱が引き起こしたりなどの例がある。
この乱自体は今上帝ホゥィ・テオゴニア・ユラシアによって女帝が討たれ、ニュコエ王も退位に追い込まれることによって収束したものの、魔族への警戒心を高め、場所によっては魔族狩りすら行われるほど弾圧されていたりする。
「……ま、予想はしてたけど、魔族だからって悪いやつとは限らないでしょ。せっかく助けたんだし、理由はわからないけど悪魔と戦ってたわけだしね。皆の中にも魔族はいたし」
とはいえ、そういうこともあるというだけで、少なくともユピテラは、そこまで過激ではないようである。
と思ったのだが、
「っ! 早くこいつの首を斬り落としなさい! 早く!」
その助かった銀髪の魔族を見た瞬間、ユピテラはいきなりそう叫んだ。
ーーあの時は、今と同じように暖かったものだった。
「どうかしら? この金雀児を象った飾り、似合ってると思うのだけど?」
「……」
最初、視界に入ったものが何かすら分からなかった。
その時は、ほぼ道具として目覚めたばかりだから仕方ないのだが、そんななんでもないことすら分からずに、首を傾げた蒙昧さは、今でも思い出すと恥ずかしい。
しかし、それでも、
「あら、何かまずいことがあるかしら? 嫌でしたら遠慮なくおっしゃって?」
そう、握ってもらった手の暖かさのために、忘れるわけにはいかなかったのだ。
『ダメです! ダメ! 死なないって言ったじゃないですか! お願いしたじゃないですか! 平民のくせに! 私の騎士になったはずでしょう! 打首にするわよ!』
例え、その人を踏みにじり、死に至らしめたとしても、だ。
ーーだから、
「っ! 早くこいつの首を斬り落としなさい! 早く!」
ああ、これが罰、なのか。