第二幕 その7
ーー忘れることは、許されなかった。
帝都が邪神の眷属によって崩壊してからの旅路で、見てきたこと。
『た、助けぎゃ!』『痛い、痛いよぉ……』『ど、どうか、許し』
引き裂かれてさらけ出された真っ赤に染まった内臓、打ち捨てられて魔獣に食い荒らされる頭、悲鳴を面白がった魔族に骨という骨を丹念に砕かれる子ども、醜く変貌して人々を生きたまま食べる騎士、脅され剣を持たされ夫を切り裂く母親、そして幾千とも重ねられたただただただたただただたたただ無造作に殺された人々の姿。
それは転生前、そして転生後に悪夢として、あるいはふとした拍子に過る痛みとして、何度も何度も何度も何度も何度も何度も立ち現れて問いかけてくるのだ。
お前は、自分を許せるのかと。
『貴族様、どうか、どうかお慈悲を! この子をどうか!』
母親がいた。自身が瀕死の中、なんとか子どもだけでも預けようとした母親。
『誰か! 誰かいないのか! こっちに人がいるんだ! 手伝って! くそ!』
騎士がいた。悪魔に囲まれた人々を助けようと、腕を失いながらも戦う騎士。
『母さん、しっかりして! 誰かすみません! 助けて、助けてください!』
青年がいた。下敷きになった人々を救おうと必死に瓦礫を持ち上げる青年。
その全てに耳をふさいで目を閉じて、自分は見捨てた。
絶対に許さない。
『こわい、よぉ……』
小さな少女がいた。死が迫る中で、ただ何かにすがって手を伸ばした少女、
『あ、ひっ、あ』
許さない。自分が、無様な悲鳴をあげるしかできなかったことを、忘れるなんて許さない。
耳を塞いで目を閉じて、その手を取れなかったことを忘れるなんて、絶対に許さない。
ーーそう誓ったはずなのに……、
「違う、違う、あの人たちはファスじゃないしみんなじゃないしここは帝都じゃない。3年前じゃないのです。それに誓ったじゃないですか、誓ったのに、誓ったのに、どうして……」
眼の前で再び現れた悪魔が繰り返している惨劇に、ユピテラはただ震えることしか出来ない。
何度も何度も繰り返したはずの誓いは消え、手の皮が破れ腕が握れなくなっても続けた修練も消え、ただ恐怖だけが体を支配する。転載前の、無力な自分に戻ったかのように体は固まり心は冷たく、ただただ早く何もかも捨てて逃げ出したい、と言う本能だけに支配される。
結局のところ、無意味だったのだ。
ただの小娘で何も知らない自分が戻ってきたところで、偶然に助けられあの事件で覚醒に至って力を得ただけの自分が、勇者でも賢者でも聖者でもなかった自分が、悪夢に立ち向かうなぞ、無理だったのだ。
そんな湧き出た諦念へ頷くかのように、
「……仕方ねぇんだよ」
ファスの言葉だけがはっきりと聞こえた。
ーーそれで思い出した。
その言葉は彼の人生の象徴だ、と未来のファスが言っていたことを。
『仕方ねぇんだよ』
子を思う母を追い払った時、民を守らんと戦う騎士を見捨てた時、瓦礫に埋まった人々を助けようとした青年を無視した時、小さな命がただ無意味に消え去る時、その言葉は繰り返された。
そして、彼の仲間を捨て石にして魔族から逃げ切った時も、
『汚れ仕事で恨まれても盗賊と馬鹿にされても貴族が逃げて金が入らなくても仲間を見捨てることになっても、そう諦める以外、俺たちにできることはないんですよ』
そう、わずかに差した月明かりの中で、何かに耐えるように言い聞かせるファスの姿を覚えている。
『その……』
『ああいえ、失礼、それこそ言っても仕方ないってやつでしたね』
そう皮肉げに笑った彼に、自分は何も言えず、何も出来ることはなかった。
ただその苦味だけが、ずっと胸に残り続けて……、
ーーそして今、胸の中で吠えるのだ。
あの時と同じように、諦めた彼に何もしてやれないのかと。
「仕方ない、ですか……」
答えは決まっている。
「なら、今度こそ負けるわけにはいかないですね」
もう震えは止まった。
その言葉だけはもう認めるわけにはいかないから。
「行くわ!」