第二幕 その4
数日たった。
森の中というものは、整備された道でも木々が生い茂り視界は悪いものなのだが、アイリス領の北側の山奥にあるこの森は違っていて、全体的に広々としている。
もちろん、普通の森よりは、という注釈はつくが、それでも明るい。
理由は明白、この木の実のような幹をした木だ。
竜の卵と言われるこの木は、アイリス領でしか見られない特殊なもので、名前の通り丸っこい卵型の幹の木である。
「近くで見てもやっぱり栗みたいねぇ。でかい栗っていう感じ」
特にひねりのない感想をユピテラが口にしているが、実際、巨大な栗の実がどんっと生えているのだから仕方ない。それが結構な幅を等間隔に保ちつつ、坂に沿って段々に生えている様は、木の回廊というかなんというか、作り物の町めいたおかしみがある。
間が広く、空を覆う葉も薄く、なのに地面の草丈も低く藪もないので、整備された果樹園に近くてとても歩きやすい。
「その代わり、草も木の実も少ないから鹿とかの動物もあんまり寄り付かないんだべよ。山菜も取れんしなぁ。代わりに頑丈だから、建材や武具に丁度いいんだべ。オラたちの防具もこれで作られてんます」
そうコンコンっとマクは木製の前掛けを叩いて鳴らす。確かにユピテラの訓練を受けて多少塗装は剥げているが、ヒビなく歪みなく平らなのでそれなりに頑丈なのだろう。
「後は、実がえらい甘くてうまいんだべ」
「甘いねぇ? どうやって実はなるんだ?」
ファスの疑問にマクはゆっくりとうなずき、
「なるといいますか、あの太い幹の中に実が入ってるんだべ。で、爆発した時に出てくるんだべよ」
「ばくはつ? この木って爆発するの?」
十数名の兵士たちの先頭を歩いていたユピテラが振り返り、後ろ歩きに話に割り込んでくる。いつもの優美な鎧に、背中に担ぐは先日までの訓練用の木刀でなく、ただしサイズは同じくらいの大曲刀。シンプルな無地の鞘に収められたそれを背に、小柄な彼女がとことこと歩く様は、現実感が狂ってくる。
などとファスが何度目かの呆れ半分な感心しているのを他所に、ジィーは大仰な身振りで、
「アレです、アレ、油樽に火を入れたみたいな感じっすでどっかんと。とにかくすげぇ爆発するんですよ、この木。時期になると中から火がついて、自分から。それでアレ、中の実がばらまかれるんです」
「おおーそれはすごいわねぇ! でもちょっと危ないんじゃないの?」
周りを見渡せば、小高い山の頭まで並ぶこの栗の実型の木は生えているわけで。これが全部、爆発なんぞしたら火の海、というより山が崩れるのではなかろうか?
「暦で言えば雪の月に、ごく一部の、種まく奴だけしか爆発しえねぇから大丈夫ですだべ。色合いで爆発するか分かるし、この木自体が普通のより乾燥してても燃えにくいだべから」
「まぁ危ないのは確かなんでアレです、村のもんは雪の月の時には山に行くなら、鎧兜つけてきますね、遠くから焼けた種が飛んで来ることはありますんで」
「へー。変な木もあるものねぇ。ちょっと見てみたいし、一つ火をつけてみようかしら」
「そ、それは流石に。探索の途中だべですから」
「冗談よ。せっかく爆発するんだったら。準備してから派手にやりたいところだからね」
「そ、それもあれ、冗談です、よね?」
「……もちろんよ?」
……変な間を空けるのは止めてもらいたいものである。ほら、ジィーもマクも笑ってるけど若干、引きつってるし。
そんな風に兵士たちとユピテラがだべるのを聞きながら、ファスは柳のようになだらかに生えた栗形の木の葉が、風もないのに大きく揺れるのを眺めつつ歩いていく。
ーーなんでこんなことをやっているかというと、先日、貴族をぶちのめしたからである。
「謹慎させるべきです!」「兵士なぞ貸し与えるから!」「そもそも流罪のお立場を分かっているのか!」「帝都に報告を!」
「無法を見逃せというのか!」「関係あるか!」「そもそも同輩とはいえなぜ監督しない!」「領民に無用の害を与えて、城伯に失礼だと思わないのか!」
先日の騒ぎを受けて、ユピテラとナディの凄まじい言い争いが、領主城館から離れている城の広場の端まで響いたのであるが、結局、城伯はまぁまぁ様子を見て、と曖昧にお茶を濁したらしい。
「お茶を濁そうとしたんだけどね、ナディ様だけでなくぶっ倒されて面子を潰された守役もグチグチ言っててね。ユピテラ様たっての頼みであるし、せっかく始めたんだから騎士団解散とかは避けたいんだけど、なんかこう、なんとかならない?」
私室に呼び出されたファスの前で、アイリス城伯はそうため息をついてくるが、いやなんとかと言われましてもね?
城伯の私室は、竜人用の大きな文机と座椅子が目立つくらいのこざっぱりしたもので、特に飾りっ気もない。ただ壁の棚には、遊戯用のボードが何個かおいてあるが、趣味なのだろうか?
ちなみに、何故かユピテラが脇の方に置かれた書見台で羽ペン片手にボロい巻物を開いて筆写をしている。
「罰ってことでナディにやれって言われたのよ! 納得いかないわ!!」
「まぁまぁ。筆写で見聞が深まるということもありますし、写本を作ってくれることは私としてもありがたいので」
「城伯殿のためになるならいいけどさ! 聖句書から地理志の筆写に内緒で変えてくれたのは感謝してるし、でも、この記述、まさか……」
そうむくれ顔を膨らせつつも、首を軽く傾けたと思ったらサラサラと書籍を写していく様は、まだ小さいとは思えない堂の入った姿。自分が同年代の時はもっとガキで、そもそも今でもあんな真面目かつ流暢に筆写とかできないが、家柄と教育の差だろうかね。
それはさておき、
「解散を避けるなら、ユピテラ様が騎士団を率いる必要性とかそういう理屈を作ればいいんじゃないですかね。えっと、功績というか、そういうのを積み重ねるとか」
「それはそうなんだけどさ、兵士を動かすような問題はこの領内じゃないからなぁ。僕の目と耳が節穴じゃなければね。他領の揉め事や傭兵に出すのは、流石にユピテラさまは要監視扱いだからまずいし、そもそも訓練も不十分な平民の兵士じゃね」
「となりますと、後は……」
騎士団長を別の人間にしてユピテラに顧問とかの形になってもらうとかだが、さて本人が納得してくれるか、などと考えていたら、
「あるわよ! 功績! 功績のネタになりそうなのが! この悪魔の話!」
ユピテラが古い巻物を掲げて嬉しそうに叫んだわけである。
ーーで、それから数日後の現在、ユピテラいわく騎士団員な訓練を受けた兵士たち十数名を引き連れて、この竜の卵な森に至るのだが、
「しかし、悪魔? 本当にそんなのいんのかよ?」
「ユピテラ様が持ってた地理志にはそう書いてあったな」
面倒くささげにあくびをするルゥグゥに、ファスはユピテラから見せてもらった地理志の内容を思い出す。
曰く、500年前、花の悪魔がこの辺り一帯を荒らしまわり、それを討伐するために人々は竜人フアンロンを旗頭に集結して封印したと。そして、その功績をもってフアンロンは大竜伯と呼ばれ、この半島を治めることになったそうな。
「で、その悪魔の歪な花は見れば人も動物も一様に恐怖で狂い、川のようにでかい巨大な根っこは辺り一帯の養分を吸い付くして毒の大地に変えちまうそうだぜ」
そんな悪魔が封印されてるなら、それを発見するだけでもなかなかの功績でしょう! とユピテラが言い出して、こうして調査隊として森の中を歩いているのだが、
「はーん、そいつは恐ろしい。500年前じゃなけりゃな」
小馬鹿にしたように眠気眼をこするルゥグゥの反応も、まぁ当然ではある。
城伯の所にあった古い巻物だから由緒自体はあるのだが、500年前のこの話以外で、その花の悪魔に触れられた事例がないのだ。
それでも例えば人がいなくなるだとか、草木がいきなり枯れるみたいな兆候があればもしや?と思うかもしれないが、あいにくとそんな話は城伯も聞いてないし、一応、兵士連中の話も聞いたが思い至るような事例はなかった。
アイリス城伯領は平和そのものなのだが、
「ルゥグゥ! 信じてないみたいだけどいるわよ! その花の悪魔は!」
とユピテラは言い張り続けている。
「いや、そう言うけど、ええと、言いらっしゃいますけさぁ、なんか地理志とかいうの以外に証拠ってのがあるのかよ、あるんですかよ」
「それは、実際に未来で聞いたし見た、じゃなくて! えーと神族のカンよ!」
「いやカンって。アホかよ」
うんまぁその通りだが、何事も思ったことを正直に言う前に一歩止まったほうがいいぞ。ほら、ああん?ってユピテラさまがガラの悪い顔しだしたし。
「ああいや、ええっと、ちょっと根拠としちゃ貧弱かと思うぜ、ますぜ」
「うっさいわねぇ! いるったらいるの! 地理志にあんな恐ろしげなこと書いてあったんだから確認しないとだめなの! いいからさっさと探せ!」
ユピテラにどやされて、はぁもう、と軽いため息をついたルゥグゥが辺りを見渡したのに合わせて、ファスもさっと周囲を観察するが、まぁさっきの通りの森。
既に中天へ昇った太陽の下なら、痕跡の類があれば照らされようものだが、そんなもんも当然なく、っと。
「ひぃ、ふぅ、ひぃ」
「大丈夫か、ジィー」
疲れ始めたか息を荒げてるジィーの小柄な姿に声をかけつつ、肩にかけてた荷物袋をヒョイッと取り上げる。
「す、すんません兄貴」
「気にすんな。朝から歩き詰めをもう2日だからな。足とかに痛みは?」
「あれっす、大丈夫っす。しっかし、鎧兜に荷物背負って山歩きってのはあれ、大変っすねぇ」
「ま、慣れてなきゃそんなもんだよ」
それに、明らかにサイズの合っていない木の鎧兜が、カチャカチャと鳴っているのも原因だろう。
「大きさを合わせるってのも難しいからなぁ。紐とかで縛るなりするしかないが、とりあえずヤバそうだったら脱いでいいから、無理すんなよ」
「ふぅ、い、いや! 俺もあれ、ユピテラさまの兵士っすから! はあ、あれ、がんばります!」
「よく言ったわジィー! がんばって立派な兵士になれば、本格的に私の郎党にしてあげてもいいわ! でもファス!? ええと確か、旗の魔法みたいのを使えば、びゅーんってもっと皆、楽できるんじゃないの!?」
「それって陣形魔法のことですかね? よくご存じですが、あれは……」
「やっぱりあれ、兄貴も魔法使えるんスね! 前も兄貴、魔法使ったって話っすが、あれ、ひ、ふぅ、外では習ったりできるんすか!?」
「ちょっと落ち着けジィー。でかい声出すと余計疲れ、待った」
「ん? あれ、どうしたんすか?」
「……黙れ、俺も聞こえた」
ファスとルゥグゥの言葉に、ダラダラと駄弁っていた他の兵士たちも顔を合わせて黙り込む。
……すると、ぱんっという小さな音が、はっきりと響いた。
「さっき言ってた、木が爆発する音、か?」
「うーん、そんな感じじゃねぇと思うべが」
「考えたって分からないわよ! 見に行きましょう!」
「え、いやそれなら、まずえっと、斥候として誰か」
トマスの提案が言い終わる前に、ユピテラが駆け出せば、ついていかないわけにはいかない。
そして、出会ったのは、まさか、というべきなんだろうか?