桜花の天神通り外伝-柊-
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桜花の天神通り外伝-柊-
作:狩屋ユツキ
【登場人物】
<柊>
驚異的な殺人術としての剣技を持っている。
飄々としていて粗野だが情には厚い。
【所要時間】
20分程度
【比率】
男:女
1:0
【役表】
柊♂:
-------------
(全て柊の独白となります)
俺の生まれは所謂、農民侍ってやつだった。
親父殿は「家宝だ」と言って後生大事に一振りの打刀と脇差を家に飾っていたが、それを一度も抜いたところを見たことがない農民だった。
兄弟は弟が一人、妹が二人いたが、上の妹のは器量良しだったンで歳が六つになったところで人買いに売られていった。
母親は下の妹を生んで早々におっ死んじまったンで、あんまり顔をおぼえちゃいねえが、それなりに美人だったような気がする。
親父殿はそりゃあ俺達兄妹を殴る人でなあ。特に一番上の俺には殆ど殺しみたいな殴り方も多かった。
それもそのはず、俺ゃああんまり農作業が上手くなかったからな、年の近い弟の手際の良さに比べりゃ殴りたくもなるってもんだろう。
家は質素で飯も質素。ただし親父殿は酒をよく飲んでは俺に愚痴って殴るのを肴にしていた。
そんな生活に俺が耐えられると思うか?……それがなあ、耐えてたんだよ。
だが、上の妹が売りに出されて戻らないと知ったその夜、俺は耐えきれなくなった。
いつものように農作業に精を出していたその夜に、妹が一人消えているんだ。そりゃあ不思議で俺は尋ねたのさ。
そうしたら「売りに出した。良い酒代になったぜ」ときたもんだ。
俺はカッと来てね。仲が特別良いとは言えなかったが、それでもそれなりに兄様兄様と慕ってくれた妹の一人を売りに出してそれがあの男の酒代に消えるなんて許せなかったのさ。
家宝として家の奥に飾ってあった打刀を手にとって、酒を飲んで高笑いする親父殿の背中を思い切り、斬りつけた。
……ま、日頃の恨みが溜まってなかったとは言わねえよ。鬱憤も限界が来てたんだろう。
だけどなあ、不思議なもんで、斬りつけられて信じられないと言ったふうに振り返った死に際の親父殿の顔を見たとき、俺の頭に上っていた血はすっと冷えてな。とんでもないことをしたと、弟や妹にすまないことをしたと思ったのさ。
あんなんでも弟や妹にとっちゃかけがえのない親父殿だったからな。唯一の親を殺しちまったことに、その死骸に縋り付いて叫ぶ弟と下の妹を見て俺はもう一つの家宝であった脇差も取りに行ってそのまま家から走って逃げ出した。
親殺しは死罪。
それもあったが……なによりその場にいることが耐えられなくなったのさ。
それは俺が数えで十のとき。
俺は晴れて農民から侍になったわけだ。はは、ここは笑うところだぜ?
とはいえ、金は一銭も持っていなかったからな。
人を斬った刀を質に入れるわけにもいかねえし、第一、打刀も脇差も売りに出す気は起きなかった。
質屋の前に来ると親父殿の死に顔が目の前をちらついてなあ……俺は俺なりに罪悪感ってものがあったのかもしれん。
が、しかし、とうとう腹が減って、水辺で水を飲もうと川辺で動けなくなったところでな、猫の子でも拾うように首根っこを掴まれて引きずり起こされた。
「しょぼくれた餓鬼が大層な刀を持って何をしている」ってな。
引きずり起こしたのは俺とそう変わらないくらい襤褸い着物を着た侍だった。その侍に腹が減って動けないことを伝えると、何も聞かずに手を引かれてそいつの塒につれていかれた。
「食え」と出されたのは粟と稗の粥だった。
俺は夢中でがっついたね。
何せ何日食っていなかったかわかりもしないくらい食ってなかったんだ。
胃がびっくりして、粥を食った直後、俺は胃の痛みに七転八倒の苦しみを味わったわけだが……男は何もせずにそんな俺を放置して何処かへ行っちまった。
帰ってきたのは夜だった。ぽんと放り投げられたのは胃の薬だったんだろう。
「飲め」と水と一緒に出されたそれに、俺は素直に口をつけた。
俺が薬を飲んだのを見てから、「寝ろ」とその後男は言って、また何処かへ行っちまった。
俺は何がなんだかわからないまま、とにかくその男が何者なのかも知らないまま、疲れてその日は眠っちまったわけだ。
もしかしたら薬の中に眠り薬も入っていたのかもしれねえな。
久しぶりに茣蓙の上で俺はぐっすりと眠っちまったのさ。
起きたら俺の腰に刀がなかった。
すわ、盗まれたかと思って飛び起きたら、なんてことはねえ、刀の手入れを男がしていた。
そりゃあ見事な手付きでな、俺はぽかんとそれを見ていた。
「お前、人を斬ったな」と男は言った。
「血がこびり着いたままになっている。これでは刀が錆びてしまう。人の脂で斬れなくなってしまう。手入れくらいちゃんとしとけ」ってな。
「手入れの方法なんざ知らない」と俺は素直に答えたね。
「そりゃ飾られてた刀だから、人を斬ったのは初めてだ」
「そうか。何を斬った」。男は言った。
「親父殿を」
俺は素直に男に答えた。
「親父殿を斬った。人があんなにあっけなく死ぬものだと思わなかった」
「弱いやつは強いやつに殺されたって文句は言えない」。そう男は言った。
「お前がどういう理由で親を殺したか興味はないが、その父親はお前より弱かった。それだけのことだ」
男の言葉は俺に染み渡った。殴られている間は俺は親父殿より弱かった。反抗もせずにばんばん殴らせるままだった。だけど俺は親父殿を斬って殺した。俺は今親父殿より強くなったんだ。そういう感覚がじわじわと俺の拳を握らせた。
「終わったぞ」と言って刀を鞘に収めて男は俺に刀を返した。
「お前、行くところはあるのか」と男は聞いた。
「何処にも。家はあるけど帰る気はない」と俺は答えた。
「ならばここにいろ」と男は言った。
「お前に剣技を教えてやろう。仕事を手伝え」ってな。
それから俺は、毎日男に剣技を習うことになった。実践でな。
相手は棒きれ、俺は持ち出した打刀。
最初は馬鹿にされているんだと思ったが、違った。
男は手加減ってやつが出来なかったんだ。本物の刀を使われたら俺は何度死んでいたかわかんねえな。
毎日打ち身の傷を作って、時には打ち据えられすぎて肉が爆ぜても、男は稽古を止めなかった。
男の剣技は独特だった。多分、我流だったんだろう。
蹴りは飛んでくる、拳も飛んでくる。そっちに気を割けば木の枝で打ち据えられて地に這いつくばる羽目になる。
俺は毎日男に挑んでは負けていた。
そんな年月が幾月か流れて、俺は十五になっていた。
「飲め」とある日の夜、欠けた盃に酒を注がれた。
「元服の祝いだ、飲め」と男はもう一度言って俺に盃を差し出した。
「俺はあんたの名前も知らない。そこまでしてもらう義理がない」と俺は辞退した。
「飲め」とそれだけ、男は繰り返した。「飲んだら、お前はもう大人だ。俺の仕事を手伝ってもらう」
俺は男の仕事をなんとなく察していた。
夜になるとふらっと消えて、血飛沫を浴びて帰ってくる仕事なんて暗殺業ぐらいしか知らない。
俺は悩むことなく、その盃に口をつけた。
初めて飲む酒は辛くて不味くて俺は派手に噎せ返った。
男はそれを見て口の端をにぃっと上げて笑った。
男が笑ったのを見たのは、それが初めてだった。
それから俺は、男の仕事にくっついて夜に出かけることになった。
とは言え、まだまだ剣技は男に及ばない。仕事は結局男がして、俺はそれを眺めているという日が何日も何日も続いて一月経った。
稽古は相変わらず続いていた。
ただ、俺の剣技もそれなりに上手くなっていったのか、男に手傷を負わせるようになっていた。
それでも男は棒きれで俺の相手をするのを止めなかった。
ある、よく晴れた日のことだった。
いつものように稽古をする時間になっても男は稽古を始めなかった。
その代わり、俺を連れて俺を拾った河原に連れて行った。
そこには大きな桜が咲いていた。
見事だった。
何十年、いや、もしかしたら百年を超えるかもしれない大樹の上に満開の桜が青空に映えて、まるで青と桜色しか空には無いように見えた。
「此処で飲む酒が一番旨い」と男は言って、桜の根本に腰を下ろした。
「食え」と懐から三色団子の包みを出して俺に放ってよこした。
俺はそれを受け取って、素直にそれを食った。
「酒もくれよ」と俺は言った。
「お前は酒が苦手だっただろう」と男は言った。
「此処でなら飲める気がする」と俺は答えた。
「……わかった」
しぶしぶと言ったふうに男は俺に酒の入った瓢箪をよこしてくれた。
俺は恐る恐る、その瓢箪に口をつけた。
その時飲んだ酒の旨さを俺は一生忘れることはないだろう。
それからまた年月が流れた。
男は年老いていた。年齢不詳だと思っていたが、俺よりも二十も上だったらしい。
男は床に伏せることが多くなった。
それでも稽古を止める日は一日もなかった。
あの花見の日以外、一日たりともだ。
雨が降ろうが槍が降ろうが俺達は毎日斬り結んでいた。
そしてあるとき、その日は訪れた。
その日も、よく晴れていた。
「ふっ!!!」
男の腹を、俺の打刀が真一文字に切り裂いた。
ぱっと飛び散る血に、俺は一瞬呆けてそのまま動きを止めた。
「隙あり」。 静かに男は言って、俺の脳天に棒きれの一撃を食らわせた。
俺は軽い脳震盪を起こしてその場にぶっ倒れ、男は腹から中身が出るのを抑えながら静かに息を吐いてその場に座り込んだ。
「よくやった」。静かな男の声が、ぶっ倒れた俺の耳に届いた。
「これでお前は一人前だ」と男は言った。
「手当……を……」
「いらん。この傷は死に至る傷だ。このまま病で死ぬよりよっぽど良い。間に合ったとでも言うべきか」、と男は腹の傷を撫でた。
「間に合った?」
「お前には見せていなかったが、俺は労咳病を患っている。お前に伝染る可能性もあったが、幸いにしてお前は強きものだったらしい」と男は溜息を吐いた。
知らなかった。男は床に伏せることが多くなっていたが、剣技が弱った様子は何処にもなかったからだ。
「見せぬようにしていたんだ、知られてたまるものか」と、男は、肩をすくめてみせる。
男の声は静かだった。だが、よく響いた。
ぐらぐらする視界の中で男を見ると、男は少し何か考えるように顎に手を当てて首を傾げていた。
「柊」と、唐突に男が呟いた。
「何?」
「俺の名前だ。お前にいい名前を付けてやろうと思っていたが思いつかん。お古で悪いが、お前はこれからそう名乗れ」と、静かながら有無を言わさない強い口調で男は言った。
「は……?」
「昔の弱いお前は俺が連れて逝く。お前はこれから柊という強きものとして生きていけ。塒は好きに使えばいい。俺の死体などそこらに埋めておけ。どうせ大した徳も積んでおらん。地獄でお前を待つのに大層な墓など必要ないわ」と男は目を閉じて笑った。
どこか嬉しそうな笑みだった。
あの元服の酒で笑ったときとは違う、晴れ晴れとした笑みだった。
「柊」
俺が繰り返すと「そうだ」と男は頷いた。
それが、男の最期だった。
それから更に幾年か経った。
俺は今、昔の俺のように二人の双子を育てている。
いつか、俺もこいつらに殺されるのだろう。
だがそれも悪くないと、今ならあの男の心情がわかる気がする。
「あんたは墓なんかいらないって言ったけど、墓石くらい置かせてもらったぜ。そこらに転がってた石だけどな」
俺はあの男を埋めた場所に立って折り取った桜の枝を供え、瓢箪の酒を墓石に注いでやる。
「それじゃあ今日も一仕事してくるわ。ああ、あの双子ならそれなりに力をつけてきてる。女だってのが勿体ないくらいだ。嫁の貰い手を世話してやることはできねえが、それでももうひとりで……いや、ふたりで生きていけるだろう。今日の仕事が終わったらあいつらにもそろそろ酒の味を教えてやらないとな……」
そうして俺は、今日も仕事に出かけた。
それが最後の仕事になるとも知らずに。
それが最期の墓参りになるとも知らずに。
ああ、桜が綺麗だ。
あんたとあのとき飲んだ酒はとても旨かった。
出来るならあいつらとも一緒に飲みたかったが……あいつらと食った三色団子も美味かったよ。
俺の人生もそう悪いものじゃなかった。
菖蒲、鈴蘭。
お前らは俺の道を歩くんじゃねえぞ。
柊の名前と道は全部俺が持って逝く。
お前らの弱さも全部俺が持って逝く。
お前らに教えたのは護身の術だ。
傷は癒える。
体も手も、きっと綺麗に治って……お前らには幸せな結婚と家庭が待っているだろうよ。
だから生きろ。
生きて生きて……生き延びろ。
ああ、本当に、綺麗な桜だ。
ああ本当に、お前たちは綺麗な二つの花だ。
俺はお前らに出会えて、幸せだったんだぜ――。
了
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