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徳川吉宗は名君か

作者: 余りうごけん

異議は沢山あるでしょう。是非教えて頂きたいでふ。

徳川吉宗が行った改革は名君と言われる程なのか完全に主観的に書いてみる。

一般的に見て吉宗は幕府財政の再建した中興の祖と言われるが、再建出来たのは一代だけである。足高の制によって優秀な人材を役職に就いてい間は足りない分を補うという制度があるがこの政策により財政難がさらに進んだ幕府が行った政策が上げ米だ。上げ米の制により一時は財政が潤ったかもしれないが、この政策により相対的に幕府の権威は下がった。何故ならこの見返りとして参勤交代の江戸滞在を半減したからである。また、年貢徴収の基準を検見法から定免法に変え幕府財政の収入を安定させることに成功した。しかし、米の量が増えたことによって米価が下がり、これを解決しようとして米価に介入し逆に米価が高騰したりした。これらに加えて吉宗は、倹約を推し進めたことにより深刻なデフレが起きた。こう見ると吉宗は幕府側から見るとものすごい名君でありこれが名君と言われる由縁かもしれない。

ただ他の将軍が余りにも影が薄いからかも知れない。

個人的に何か吉宗は優秀な人であると思うですが名君かと言われると疑問である。まぁ他の参考文献から影響されただけとも言う。

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